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祖母の生い立ち(1)

毒母が、なぜ毒母になったのか?
それを知る手がかりは、祖母の生い立ちと関係ありました。

今回は、毒母の母(私の祖母)についてお話しします。

毒親問題を調べていると、
毒母だけでなく、祖母、曾祖母と全部つながっていることがわかりました。

誰かが気づき、この負のスパイラルを断ち切らない限り、毒親問題は、自分の子供、孫と、この先も延々と続いていきます。

ルーツは曾祖母の結婚から


祖母は、大正時代に東京で資産家の長女として生まれました。

祖母の母親(私の曾祖母)の実家は、東北の士族でした。

曾祖母の実家は、明治維新後、海産物関係の事業をしていてかなり裕福だったようです。

親族の中には、皇族に乳母として仕えていた人がいたと聞いています。

そんなことで、曾祖母は東北の一地方から、東京の資産家に嫁ぎました。

曾祖母は、明治生まれですがこの時代の女性としては珍しく商売の才能がありました。

資産家に嫁いだものの、出産後夫に先立たれて、後に再婚。

再婚してから、その商才を発揮することになりますが、その話は後ほど書きます。

曾祖母は、起業したばかりの再婚相手の家計を助けるため株式相場でお金を稼ぎ、事業を拡大していきます。

そして、夫の死後、昭和20年代から40年代まで女性社長として事業を拡大していきます。

この時代の女性社長は、本当に珍しい存在だったそうです。

曾祖母は、男性と対立するのでなく周りを上手く巻き込んで、したたかに事業を拡大していきました。

曾祖母という人は、仕事はできて、人格者だったのですが2度の結婚によって波瀾万丈の人生を歩むことになりました。

その影響をモロに受けたのが、私の祖母。

私の毒母のルーツは、曾祖母の結婚から始まっていました。

実父の死別で生活が一変

祖母の生家は裕福でしたが、幼い頃に父親が亡くなり、兄妹もいませんでした。

物心ついた時には、母親は他の男性と再婚。
家を追い出された。

これが、祖母の性格が歪む最初のきっかけです。

当時は、
裕福な家庭に嫁いだ女性は、夫に先立たれると、
婚家に子供を置いて強制的に追い出されるのが当たり前だったと聞きました。

祖母は、
母親の再婚後、父方の祖父母に育てられました。

祖母は、私に、
「物質的には裕福であっても、両親のいない寂しい子供時代を過ごした」とよく話していました。

ところが、祖母が小学生の時に、父方の祖父母が立て続けに他界。

親戚が養子を迎えて家を継ぐことになると、祖母の居場所がなくなりました。

母親の再婚先で継父と対立する

養育してくれた祖父母の死後、
私の祖母は親族からたらい回しにされ、行く先がなく、母親の再婚先で暮らすことになります。

この時、祖母小学6年生。
多感な時期です。

継父とは、仲が悪かったと聞いています。

しかし、ここから話は更に複雑になります。

祖母は、
母親の再婚先に来たものの、
継父の養女にはならず、戸籍上は東京の資産家の長女のままでした。

東京の実家は、
幼い祖母を追い出したにもかかわらず、祖母を継父の養女にすることに反対しました。

これは、財産の問題が絡んでいたからです。

曾祖母がどのような経緯で再婚したのかは知りませんが、新しい父親は、事業をしていたものの地方の農家出身。

祖母の生家ほどは裕福ではなかったことは確かです。

そのため、継父と一緒に生活しているものの、父親と苗字が違う。

祖母は微妙で中途半端な立ち位置に置かれていました。

当然、新しい父親とうまくいくはずはありません。

贅沢三昧で育った祖母が、これまでと同じ生活をするには、継父の稼ぎだけでは全然足りません。

そんな理由で、祖母の生家は祖母の養育費を送金していました。

その金額が、ちょっと常識はずれというか、継父の月収の2倍以上の養育費を送ってきたと聞いています。

これは、毒母から聞いた話ですが、
気の強い祖母は、「誰のお金で生活できてると思ってるの?東京の〇〇家に感謝しなさい」と言って継父をバカにしていたそうです。

この時、祖母小学6年生。

小学生の女の子が、40過ぎの男性に向かって言う言葉とは思えません。

言われた継父はと言うと…
おとなしい人だったので、継子(私の祖母)に言われっぱなしだったそうです。

何しろ始めたばかりの事業がまだ軌道に乗らず、祖母の養育費は生活する上での頼みの綱だったからです。

養育費は、毎月きちんと送られていました。

東京のお屋敷で育った祖母が、東京以外の地方都市で生活するのは、辛かったと話していました。

ところが、祖母が女学校を卒業する頃に東京の実家が破産します。

この事が、祖母の性格を更にひねくれさせていきます。













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