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「虹の戦士」語り部教室のこと

「虹の戦士」という物語の語り部として、地球を愛し再生してゆく活動を続けている坂口火菜子さん(以下かなこちゃん!)。
先日、彼女がスタートしたばかりの「語り部教室」に参加した。

ダイヤモンドプリンセスの事件(こちらに記事を書いています)で、心を痛めてしまってこのところずっと元気がなかったので
会いたい人に会いにいこう!と、人々の集う場所に行くのが苦手で出不精なわたしとしては、かなりの一大決心をしたのだった。

彼女とは昨年、千葉県の山奥にひっそりと佇む一軒の古民家「チーズ工房千〜sen〜」で出会った。
ここをたった一人で営む主、柴田千代さん(以下おちよちゃん)は、発酵を通じて愛を伝えるチーズ職人。日本人女性として初めて、農林水産大臣賞を受賞し、昨年末イタリアで開催されたチーズの世界大会では第三位に輝いた。

そんな立派な肩書きを一切抜きにしたとしても、エネルギッシュで努力家で、どんなときも笑顔を絶やさない、パワーあふれる太陽のような女性。
台風の被害でガラスが吹き飛び、家中が水浸しになってチーズが駄目になってしまったときも
「毎朝お祈りするあの神棚だけは、守られたんだよ」と天井をまっすぐに見つめ、その瞳から光が消えることはなかった。

こんな女性こそが日本の誇り、希望の光そのものなのだと思う。存在してくれるだけで、有難い。そう思える貴重な人。

そんな友人のおちよちゃんが「きゃおりん(彼女はわたしをそう呼ぶ)に会わせたい人がいるんだ!」と、自ら主催した大切な祝いの会で、彼女とわたしを引き合わせてくれた。
演者としての共演が、わたしとかなこちゃんの出会いの始まりとなった。

カナダの原住民クリー族との魂の交流をきっかけに、さまざまな体験を経て磨かれた感性。
それらの感動の体験を惜しみなくシェアしていく彼女のエネルギー(世の中ではこれをオーラと呼ぶのだろうか)に、わたしは一瞬で釘づけとなった。

そんでもう、何にも声を出さなかったとしてもかっこいいのに、その上もんのすごい長さの物語を、台本なしで語るのだ。
わたしには一生できない!最高にかっこいい!!!

終演後、話をするとご近所さんだったことがわかって、後日、彼女の主催するカフェで演奏もさせていただくことになった。
その日のその空間のことは、今でも言葉にするのが難しい、かけがえのない宝物となってわたしの体に刻まれている。

○○○○○

そんなこんなで、彼女と会うのはこの日が、3度目。
縁のある人とは不思議と、心の距離がとても近くて、何度かしか会っていなくても、知らないうちにシンクロが起きていたり、家族のように感じたりすることがある。
シンクロがなくて家族のようには感じないから縁がないとか、そういうことでは全然ないのだけど、笑、こういうときの人との肌感覚、野生や直感で繋がっていると思える瞬間が、わたしは素直にうれしくてすきだ。

「かなこちゃん、ひさしぶり!やっと来れた〜!」
夕方、カフェの扉をあけると、初めてお会いする素敵な女性が2人座って、おだやかに微笑んでいた。
簡単にお互いの自己紹介をして、今の心と体の状態や、今日こんな時間を過ごしたい、という気持ちを言葉にしていく。

かなこちゃんは最初に、この場の空気を司る、明るくハリのあるおおきな声で話をはじめた。

自分の体が「楽器」であること。表情筋や肺のお話、そして関節をゆるめながらのストレッチ。わたしは股関節がカタイほうなので、足を広げて座っているだけでも気持ちよかった。

そして手鏡で自分の顔をチェックしながらやってみるのだけど、これがびっくり!全然思ったより動いてない。笑笑

そして何より、表情筋を動かしている自分の顔は、意図せずとも、この世のものとは思えないほどの「へんがお」になる。
わたしは自分の顔を見て、爆笑してしまった。笑いを堪えるのに必死なくらいに。そして、はっとして気づいた。
最近、こんな何てことないきっかけで、可笑しくて、自分から笑うことってなかったなぁ、と。

笑顔でいることを特に求められていない場では、わたしはだいたい真顔だ。険しい真顔。
頭の中は、うんざりするような世の中のニュースで埋め尽くされ、気を抜くとため息が出てしまう。

もちろん、愛想笑いは職業病のようなもので、人前では自然と笑顔になる(なってしまう)のだけど
それは楽しくて嬉しくてあふれ出た笑顔とはまったくの別物だということを、薄々感づいているだけで、直視してはいなかった。

「なんだ、へんがおするだけで、こんなに笑えるんじゃん!」とわかると、自分の沸点の低さにちょっぴり安堵した。

これからは表情筋のトレーニングと称して、毎日ちゃんと鏡を見ながら「へんがおタイム」を自分にプレゼントすることにしよう。
(同時に、この輝かしい決意が永遠には続かないのが人間だから、レッスンには続けて通うのが正解だ、ともつくづく思う 笑)

それから全身のロールダウンをして、足首や膝、腰や首を、丁寧にじっくりとゆるめていき
体を閉じて小さくなったり、逆に大きく開いたりしながら、声や感覚の繊細な変化を味わっていった。

かなこちゃんのガイドの声は導入のときと比べ、20分の1ほどの音量になっていた。
それは意図されたものではなく、ワークをしている人たちの心の状態にチューニングされたもので、ナチュラルで必然的な変化だった。受け手にはむしろ、最初と同じ音圧感で体に入っていただろうと想像する。

わたしにとって一番印象的だった瞬間は、小さく体を閉じてうずくまる「close」のポーズをとったとき。
ぎゅううううと力を込めて、これ以上ないくらい縮こまっていると、しばらくして
「こわいようー」と、助けを求めるような小さな声が、窮屈な胸の奥のほうに、じんと浮かんできた。

「え、怖いの?」
質問すると、小さな声は「こわい」と言った。
「そうか、怖かったのかー」「こわい」
「今も??」「こわい」

何度質問してみても
こわい、その言葉しか言わない 笑

小さな声は、きっとわたし自身の声に他ならないのだから、わたしは今こわいんだ。と思った。

何がこわいのか、それは「頭で」考えれば、いろいろな固有名詞を挙げ連ねられる。
だけどきっと大切なことは、その正体を見つけて袋叩きにしたり、念入りに除菌したりすることよりも
「こわいなぁ」って感じている自分にも、そこにいていいよって許して認めてあげることなんだろう。

そして「へんがおタイム」に加えて「こわいのねタイム」も作ってあげなきゃなと思った。

実はこういうことを、いつも自分のボーカルレッスンで、生徒さんには日々やらせてもらっている。

内観(ないかん)と呼んだりもするけれど、自分自身の「本質」に触れる時間をつくること。
たくさん話して、たくさん泣いて、心を軽くしていく(カウンセリングに近い作業かもしれない)

これが、今となっては歌うことの実践よりも需要が出てきてしまって、わたしのレッスン内容のメインになってきているのだけど(ほんとうは話すだけでなく歌に進みたい!笑)
どうしても自分自身に対してだと、脳みそ先生が働いてしまってものすごーく難しくて、なんでレッスンしてるくせに自分のことが出来んのだろうか!と、思いながら過ごしていた。

「どう?最近?げんき?」「別に…」
といったテンション。こわい、なんて返事をしてくれたことはなかった 笑

かなこちゃんの的確なガイドの中では、それがすっとできて、最高にきもちよくて感動した。

自分だけでやってみてうまくいかないときは、安心できる他者に甘えさせてもらって、変な意地を張らないで力を借りること。
そうして循環して生まれる発見は、一人でいるときよりも、さらに豊かなものになると信頼すること。

少し休憩を挟んだあとは、2人組になって相手の瞳の奥を見つめながら声を出してみた。
近づいたり離れたりしたときのエネルギーの変化するさま、感覚の異なりを、敏感にキャッチしていく。

この時、かなこちゃんの集中力はマックスになっていた。声を出す人の体の緊張や表情、声色から、刻一刻と変化していく「今起きていること」を瞬時に読み取り、本質を見抜き、鋭い視点で指摘していく。
誰にでも成せる技ではない。このワークはかなこちゃん自身の神性、創造、芸術そのものだな、とただただ見惚れていた。

そのあと、横になって体の部位をゆるめながら声を出したり、母音で発声をして腹筋や表情筋を鍛えたりして
最後に台本をパートごとに分けて、ひとりひとりが朗読をした。

ここまでで、時計の針は見ていなかったけど、たっぷり約2時間(!)

「もう、語り部教室じゃなくて、宝探し教室、に名前を変えようかなとも思ったのよ〜!」
かなこちゃん自身もそう笑うほど、語るという行為のために自身の存在と向き合う過程(宝物と出会う過程)を大切に磨いていく体験が、この教室のメインテーマ。

わたしはなぜか、先日読んで深く感銘を受けた小説「アルケミスト」の少年を思い出していた。
それこそ新しい挑戦がはじまる「前兆」をふつふつと感じ取りながら。

かなこちゃんの朗読へのアドバイスは、語り手に「今、何が見えているのか」を明確にしていく、極めて本質的なものだった。
歌のレッスンで例えると、音痴を直します!カラオケ上達法!ハイトーンのコツ!などの、突貫工事のような部類とは真逆のもの。

彼女の、敢えて言葉数控えめな助言にじっくりと耳を傾け、目の前に広がる景色、そこに至る物語のビジョンをはっきりと描けたとき
登場人物たちの佇まいはたちまち臨場感を増し、出る声は「演出として」ではなく「突き動かされ」必然的に生まれ変わる。

個性は個性としてそのままに、いやむしろ個性はもっとベールを脱いだ個性として表出して、強い光を放つ。

良いなぁ、すごいなぁ、と聴き入っているうちに、自分の番になった。
最初はドキドキしながら読み始め、繰り返していくうちに、最後には涙があふれて止まらなくなってしまった。
鼻が詰まって読めなくなる。かなこちゃんがティッシュをくれる。

「涙は、自分の中にある宝物と出会えたという象徴なんです。堪えないでどんどん流して!」

さいきん笑ってなかった、というのは、最初の「へんがおタイム」で気づいたのだけど
ああ、泣くことも、感極まって、という意味ではひさしぶりだなぁ、と気づいた。

悲しくて苦しくて悔しくて泣くことは、たくさんあった。でもそれらは、歓びが溢れ出てきたもの、今この瞬間ここにあるものへの感謝、とは程遠い、嘆きや憤りがこぼす涙だった。

こんなふうな優しい涙は、どんなときに流れるのだろう。
わたしの場合は、良い曲が生まれた瞬間に、そんな涙がボロボロ流れる。
「捨てたい」という曲を書いたとき。「自分の感受性くらい」という曲を書いたとき。夜中に一人でわんわん泣いた。
そうか、最近わたし、自由なきもちで、曲を生み出せていなかった。せっかくの宝物を無視して、この世界に宝物は見つからないよ、なんて、とんでもない場所へ行こうとしてたんだ。

こうしてさまざまな自分の宝物たちと交流した、こんなに贅沢な3時間の参加費は「2,800円」だったので
「あと1,000円は絶対にすぐ値上げしたほうがいい!!!」と、かなこちゃんに告げて、抱きしめてカフェを出た。

天気予報は雨のはずだったけど、夜のアスファルトが濡れて黒く艶やかに光っていただけだった。

この日記は、もちろんわたしのどこまでも個人的な感想で、参加した他の方が感じたことはまた全く別のものだろうと思います。
そして、かなこちゃんの意図とこの内容にも、もしかしたら大きな違いがあるかもしれません。

でも、一人でも多くの人がこの「語り部教室」の存在を知って、実際にカフェへ足を運んでもらえたら
そして、自分ならどんな宝物と出会えるのかな〜?と興味をもって、体験してもらえたらうれしいなぁ、と思って
拙い文章ですが、自分なりの愛をこめてみました。

そしたら、まさかのこんな長文になってしまいました…
(自分のレッスンやライブの宣伝だと何にも書けないくせに!笑)

彼女は
・自然由来の素材を使ったヘナトリートメント
・カフェでの生産者さんが感じられる食材でのメニュー作り
・自然や体に優しいグッズの販売
・全国での公演やトーキングサークルというお話会
などなど、さまざまな表現スタイルで「地球と人との繋がり」を届けています。

彼女の活動を心から信頼し、応援しています。
読みにくい文章で、たいへん失礼しました。

あっ、さいごにひとつだけ
自分のことを宣伝させてください!笑

2020年 3月28日の夜
東京・大塚All in Funにて
ピアノ弾き語りライブをしますのでよかったら!
この日に、日本が、世界が、地球全体が、いったいどんな状態になっているのかわかりませんが、持ちうる愛をしっかり磨き、たっぷり温めておこうと思います。

またね!みんな元気でね。


かおり

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