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自分の居場所を生み育てていくこと

noteを更新するのはものすごく久しぶりだけど、どうしても書きたくなったので、今回長らく放置状態だった自分のページをログインしてみた。

書きたくなった理由は、とある本に出合ったのがきっかけ。それは藤井聡子さんが書いたエッセイ「どこにでもあるどこかになる前に。」という本。副題は「~富山見聞逡巡記~」となっている。

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藤井さんが雑誌編集者を辞めて、東京から故郷の富山に戻ってきて感じたことや日々の葛藤、そこで見つけた新しい出会い、町の魅力なんかが綴られている。読んでいて要所要所で心に残る箇所があり、どうしてもそれらを忘れたくなかったというのが久々にnoteを更新した理由と言える。

藤井さんは映画監督になりたくて、大阪の大学に行き、その後東京でピンク映画の事務所に入るも、数日でそこを辞める。その後、DVD情報誌を発行している会社に就職して、雑誌編集者となり、編集ライターのキャリアを積んでいく。

ところが、30歳を前にして、富山に帰ることになる。きっかけは勤めていた音楽雑誌の売れ行きが悪化したこと。「ひとつの雑誌が死んでいくさまを目の当たりにし、グラついていた私の心はポッキリ折れてしまった」と藤井さんは記す。

そうして上京から6年、29歳を目前にした2008年に富山へと戻る。富山では母親が営む薬局で働くかたわら、地域密着型のフリーペーパーでライティングもすることになる。その中で改めて地方の切り取り方に違和感をいだく。

私の部屋に積まれたスローライフ系の雑誌を開けば、目に飛び込んでくるのは自然光で撮影された写真の数々。写真の上には味のあるフォントが並ぶ。ページの印象だけ見ていると、どれがどの地域の雑誌なのかよくわからない。私がユニークだと思っていた切り口もとっくにフォーマット化され、複製されていたのだった。
そのことに気づき始めると、ほっこりとした雰囲気の下に通底する「田舎ってこうでしょ」という紋切り型のイメージ、「地方はこうであってほしい」という願望に違和感を抱くようになってきた。もちろんよそ者だからこそ、閉塞感を外から壊せる可能性は十分ある。でもそれはいとも簡単に、暴力に転じてしまう危険性もある。地方を外から見るだけでなく、自分たち自身のことも俯瞰する視点こそが、真の洗練というものではないだろうか。

そこで藤井さんが思い出すのは、山深い里山の知人宅を訪れた時に出されたファーストフード店のチキン。それを前にして「意外と都会」だと感じた自分に恥ずかしさを感じる。都会から見たステレオタイプな田舎のイメージ、そうした田舎っぽいパッケージを集めるのおかしいと感じた藤井さんは、自分の身の丈に合ったやり方で富山に向き合うことにする。それは例えば暖炉の前でマフラーを編むおばあちゃんの手元にフォーカスするのではなく、ばあちゃんの服装が全身ユニクロであるという全体像も見るということだという。

土地に根ざして日々を営むことは、”ていねい”なだけでも、”ほっこり”なだけでもやっていけない。そこからあぶれたもの、なかったことにされてきたものにこそ、ここでしか紡げない物語が隠されているのではないだろうか。

そうした気づきを経て、藤井さんは地元のさまざまな場へ取材を進める。そこには気づいていなかった魅力的な場所がいくつもあった。その一つがドライブインレストランの「日本海食堂」。

私はこの店のお客さんがてんでバラバラ、好き勝手にくつろぐ空間に憧れた。それぞれにここが居場所だと感じながら、互いのコミュニティの間に頑強な境界線が張り巡らされているわけではない。それは店主である茂さん自身が、日本海食堂を「自分の店だ」と主張する縄張り意識がないからだと思った。

その後フリーペーパーの仕事をクビになり、発信の場をブログに変える。そのブログを目にとめた地元の人から、ミニコミを作ることを提案される。そこで藤井さんは焦る。それまでは会社から与えられた場でライティングをしていたため反響がなくても媒体のせいにできた。それがミニコミだとすべて自分の責任となる。そこで怖気づいた藤井さんに活を入れたのはお母さんだった。

「あんたは富山に帰ってきてからも、自分で作る覚悟も自信もなくて、そのくせ文句ばっか言っとる。お母さんはずっと、なんであんたは自分で本を作らんのかと思っとったよ」
「本を作るのがおこがましいって言うけど、あんたはもう既におこがましいが。人に何かを伝えたいってい思っとる時点で、おこがましいが! そのことをそろそろ受け入れられ。そして恥をかけ!」
母はたびたび私に、恥ずかしい気持ちを忘れるなと伝えた。母は社員の前で社長然として物を申す自分に、「どのツラ下げて言っとるんじゃ」と自分でツッコミを入れてしまうらしい。

こうして藤井さんは「とにかくカッコつけずに、全力で恥をかくことにした」。そしてミニコミ「文芸逡巡 別冊 郷土愛バカ一代!」を作ることになる。

藤井さんの本の中では多くの印象的な人物が登場する。ビリヤード場のおばあさんや、大企業の社長であり学者でもある人。木こりのブルースシンガーであるW・C・カラスさんが魅力的だ。カラスさんはパニック障害が理由で東京に行かず、富山で歌を歌っている。「見切り発車でやる度胸が必要ですよ」と述べるカラスさん。藤井さんはそのカラスさんのタフな生き様に触れて、この人と会うために富山に帰ってきたと感じる。

いろいろな人の中でもやはり特に印象的なのが藤井さんのお母さんだ。お母さんは一人で薬局を経営し、家族を支えてきた人。ミニコミを作る際の言葉もそうだけど、ほかにもいろいろと藤井さんに言葉を投げかける。

「あんたは愛想ばっか振りまいとって、本心を誰にも見せようとせん。人を信じれん人間なが。自分に自信がないから人のことも信じられんが。そんなんで生きていけるんかと思って、お母さんね、本当に心配しとる」

藤井さんは東京から富山に戻り、そこでさまざまな人と出会い、町の魅力に気づいていく。一方で、町は刻々と姿を変えていく。

街が洗練されていくたびに私は、壊れたから作るのか、作るために壊しているのかがわからなくなった。アクの強いものを手っ取り早く撤去し、大量生産された白いハコを街に放り投げる。それが、よそから広く人を招き入れることなのかと疑問が湧いた。
今の富山の街並みは、ものすごいスピードで均質化していく。それに対抗して、個性を奪われまいと戦う人たちも出てきている、だが、その両方からあぶれてしまう人たちは、どうすればいいのだろう。この街に足りないものは、どちらにも行けない人たちの受け皿となる、曖昧模糊としたわけのわからない狭間だ。

街並みが変わっていく中で、藤井さんは友人の「結局、店は人が作るもんじゃないけ?」という言葉から、気づくことがあった。

私はもう、居場所の喪失を嘆くのではなく、自分たちで生み育てていくステージに来ているのだと思った。あとは、人さえいればなんとかなると、ハッタリかまして次に進む覚悟が自分にあるかどうかだ。

藤井さんは私と同世代で職業や価値観もかなり近いこともあって、本を読んでいてビシビシとしびれることが何度もあった。文章もうまいし、本人の人柄がにじみ出て、すごく豊かな読書体験だった。

当分はこの本をいろいろな人に薦めることになるだろう。

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