見出し画像

我が愛しのゴールデンチョコレート(の得体の知れない黄色い粒)

いつの頃からか分からないが、ゴールデンチョコレートが好きだ。チョコレートが大好きな自分にとって、そもそもミスタードーナツは最高の場所の一つであることに間違いはないのだが、多数ある名作チョコレートドーナツを差し置いて、いつも必ず選ばれるのはゴールデンチョコレートだった。
子供の時、ふとした時に親に連れられてミスドに行ったものだが、ふわっとした家ルールで一人2個までとなっていた。実に悩ましい。なぜなら実質、選択の余地は一個しかない。ゴールデンチョコレートに何を組み合わせるか…という思考に疑いを持つことがないくらいには、何か自分の身に深く刻まれたゴールデンチョコレート。得体の知れない黄色い粒が大量に付いたあのドーナツを前にして、それを手に取らないという選択肢はなかった。
できる限り付いている黄色い粒を落とさないよう、慎重にトングで摘む。それでもそれなりの量の粒は落ちてしまう。それがいつも切なくて仕方がなかった。あのドーナツが並んだトレーに取り残された、黄色い粒たちはその後どうなるのだろう。きっとトレーごとゴミ箱に傾けられ、ザラザラと捨てられてしまうに違いない。いっそそれなら、そのトレーの角を私の口の前に傾けてほしかった。そのくらい、あの得体の知れない黄色い粒には心惹かれる何かがあった。
意地汚い話で恐縮だが、実際、自分の手元で食べる時にポロポロ落ちた黄色い粒は、一つ残らず口の中へ入ることとなった。ドーナツから離れた粒が、ドーナツを包む薄いシートの中になるべく残るように慎重に食べ、それでも落ちた分は改めてシートの中に指先で移し、きれいにシート上でひとまとめにして、シートを谷折りにし、シートを口の中に向けて傾けた。黄色い粒がサラサラと口の中に流れ落ち、噛み砕く歯に付き、舌に乗ったが最後、過剰な甘さを口いっぱいに広げる。綺麗に一粒残さず食べるという正義感と、意地汚いことをしているという罪悪感との、二律背反の狭間を抜け出した先にある甘美な幸福。その瞬間を味わうことができるのは、ゴールデンチョコレートの他にはなかったのだ。
そんなことを考えていたら、どうにもゴールデンチョコレートが食べたくなり、すっかり年の暮れにミスドへと足を向けた。が、時間が遅いこともあって、なんとゴールデンチョコレートのトレーすらない(R.I.P トレー上の粒たち)。悲しみをグッとこらえ、大人になった私は2個ルールを無視してチョコレート系ポンデリング2つ、ポンデリング、エンゼルクリームとカフェオレをいただきながら、これを書いている。もちろん、今とても満たされた気分でいる。ミスドの甘いドーナツたちは、いつだって幸せにしてくれる。だが、どこか欠けている。あのドーナツが、黄色い粒が、背徳の甘美が。
大人になった今、人前であの黄色い粒を一つ残らず食べるところをできる自信はない。普段なら恥が勝つ。だが、今この欠けた心をもってすれば、その恥すら超えてしまいそうだ。


この文章は、トーキョーブンミャクさんから出版されたミスド愛を叫ぶアンソロジー『ミスドスーパーラブ』に感化されて、自分なりにミスド愛、ゴールデンチョコレート愛を語ったものです。エッセイ、物語など、書き手それぞれの方法で綴られたミスド愛の数々は、「ミスド行きたい!」と「俺にも語らせろ!」と両方の気持ちを掻き立ててくれる、素晴らしい一冊だと思います。表紙も可愛いし。ここまで読んでくれた方がいたら、ぜひ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?