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総理の辞任について思う事

 菅総理が辞任した。いろいろ言いたいことはあるが、このパンデミック下で経済大国の陣頭指揮を執るのが過酷な任務である事はまぎれもない事実なので、まずは「お疲れさまでした」と言っておく。
 しかし、その評価はまた別の話だ。発表後、色々彼の功績を列挙する人もいて、その中には確かに功績と言える仕事もなくはないが、どれも「菅総理じゃなくてはできなかった」というにはちょっと弱い。
 それに対して、彼がやるべきことをやらなかったり、すべきでなかった事をやってしまったりした事の多さ、そしてその負の影響の大きさは比べ物にならない。
 また「火中の栗を拾ったので批判すべきでない」という意見もあるが、火中の栗を拾って火傷するかどうかはその人次第なのでこれは批判をかわす理由にはならない。
 それよりも今回僕が一番気になったのは、菅総理が総裁選や解散の次期に考えを巡らせているときに自民党の議員たちを中心に「次の選挙を戦えるか戦えないか」の議論ばかりが行われた事だ。
 もちろん、政治家にとっては次の選挙が全てなのだが、これは国民や日本(または日本の未来)のための発言ではない。これが政治を職業とする人が議員をやることの弊害だ。
 正しい事をして、正しい意見を言い、正しい主張をしたうえで落選するなら仕方がない、という気持ちで政治に臨んでいる人はいないのだろうか。
 小泉環境大臣に至っては「総裁選に突っ込んでぼろぼろになってしまったらやってきた良いことすら、正当な評価が得られない」みたいな事を言ってる。政権や総理の評価のために辞任(実質上の)するのか。そんな理由で政治空白を作っていいのか、甚だ疑問だ。

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