怪文書~だっていつ書いたか、本当に自分が書いたかもおぼえてないんだもの~

「鉄血のオルフェンズ」に関して、なんか正しく書かないと誰も正しく書かない気がするので正しく書いて岡田麿里を絶賛しておかないといけない気がする。

オルフェンズには3種類の人間というかロールが出てくる。それは「子供」「大人」「大人になれない子供」である。ガンダムが少年の社会との葛藤を、戦争を通じて描くドラマと考えるなら、これはめちゃくちゃわかりやすい

例えばポケットの中の戦争。シュナイダー隊とクリスは大人、アルは子供大人になれない子供がバーニィである。子供が一番カンタンで、力なく、カンタンに奪われる存在だ。アルは命を奪われなかったが、平穏と親友を失った

大人は、社会のために自分を犠牲にし、出し抜き、利益を上げ、時にリスクをおかし幸せを掴みに行く存在だ。途中ミーシャや隊長のように命を落とすケースもあるが、軍隊で出世したことは大人の証と言っていいだろう

しかし、大人になれない子供の「子供」とは、無垢さや平和の象徴ではない。浅慮で愚鈍、お人好しで世間知らず、おおよそ大人が備えている判断力や知識、タフさ、豪胆さ、繊細さ…そういう「人間が生きていく上での資質」を持たないままに、それらを必要とする場面に駆り出されたものを指す言葉だ

アムロやカミーユ、ジュドー、シーブックにウッソなんかは、この「大人になれない子供」が、社会との折り合いをつけて「大人」になっていくのだが、「鉄血のオルフェンズ」は、ことごとくこの「大人になれない子供」が多すぎて、大人になる前に死ぬ

もっと正確にいうなら、大人になるのを「拒否して」死ぬのだ

オルガの最期、警護もつけず、警戒心もないままノコノコ出てきて、あっさり襲撃で殺される。ワタシも最初は「いくらなんでもアホすぎるだろ。なんでこんなアホ判断したんや」って思ったんだが、鉄血のオルフェンズ全部見てわかった。オルガはそういう判断のできない「大人になれない子供」だったのだ

大人になれない子供大人になるには、大人が子供を育てないといけない。でも彼らには「大人になれない子供」を育てる「大人」が、誰も、誰一人いないのだ。テイワズは彼らをコマとしか見ておらず、わかったうえで「大人」として扱い、失敗しても利益が出るようにしている。ギャラルホルンも同様だ。死んでいったのは皆「大人になれない子供」ばかりだ。

それはそうだろう。子供は「奪われる」存在なのだから。

従って、オルガに対する風当たりは極めて厳しい。彼は失敗しているし、未熟だし、生意気だし、邪魔だし、カモだし。しかしそれは、現代社会においても崩れていない縮図であり、オルガのような「大人になれない子供」が、失敗し、未熟な判断で取り返しのつかないことをし、生意気で邪魔をするのでカモにして捨てる。子供であればためらうかもしれない行為ですら、大人が容赦なく潰していくのは、現代もオルフェンズの世界も同じだ。

これこそが、岡田麿里の描きたいものだ。

オルガは、大人から指さして笑われる存在だが、それはガキの理屈で大人に喧嘩を売り、甘ちゃんな考えで仲間を死なせ、最後はアホみたいな短慮で殺されるからだ。しかしこれは、誰が悪いのだろう?

オルガにはオルガの、ガキの理屈があり、無い知識を集めた判断があり、お人好しな仲間意識がある。それらは大人の世界では「邪魔」あるいは「カモ」であるが、それを踏みにじるのは、果たして正しいことなのだろうか。

岡田麿里は、それをつきつけたかったのだろう。

オルガを笑えるのは、大人になれない子供が大人にまじることを、受け入れたくない大人の理屈であり、大人になれない子供を大人に導く役割を放棄していることでもある。ランバ・ラルも真っ青であろう。

岡田麿里もそれをわかってるので、インターネットのおもちゃになるオルガを、さぞ「思惑通り」と笑っていることだろう。オルガを笑えるのは、子供をバカにする大人という、子供を育てる大人の対局にいる人間なのだから。

きっと彼女自身、この「子供をバカにする大人」が、死ぬほど嫌いなのだと思う。ワタシも嫌いだからよくわかる。こういうのがいじめや差別を生むことをわかってるからこそ、オルガを滑稽に、おもしろおかしく、徹底的にバカにするのを是としてるのだ。

岡田麿里の思うツボである。と、同時に自分の愛したキャラにここまでの役割を負わせる、残酷で恐ろしい人間でもある。ほとんど狂気といっていい。岡田麿里は、強い恨みと欠落を抱える、真のオタクではないだろうか…

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