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死にたいときのタヒチ

死にたくなったら、それをタヒチに行きたい、に変換しなされ。
 あなたは死にたいのではない、タヒチに行きたいのです」

という文章を読んだ。

いい考えだ。

死にたいの構造は(まあ、いろんな人が散々言ってることだけど)死にたいではなくて、死にたいくらいに自分がヤ、とか
死にたいくらいに今がヤ、とか
もろもろ、死にたいくらいにヤ、ってことなんだろうと思ったりする。
わたしはいつもタヒチに行きたいです。


タヒチ、に、行ったことがある。
むかーしむかし。
今より数千倍お金がある時で、今より数千倍ヒマがない時だった。
タヒチは、暑かった。
(これほどタヒチを台無しにする感想があるだろうか。いやない。反語。)
ダイバー御用達のランギロア島で、ちいさな教会に響くゴスペルを聞いたりもしたので、そこそこに美しい思い出もある。
が。
まあ暑かった。
どんくらい暑いかというと、現代の真夏の東京くらいです。

と。

いろいろ台無しにしておいた上で言おう。
わたしはタヒチに行きたい。なんならタヒチ経由でイースター島にも行ってみたい。


むかーしむかし。
タヒチには、当時つきあっていた男性と一緒に行った。
「女の子は黙って運ばれてりゃいいんだよ」とカッチョよくその人は言って
旅行の計画や手配をすべてやってくれた。
事務処理が人間失格なレベルで苦手なわたしには、たいそう有り難かった。
ちなみに旅費はふつうに自分で出した。
その人は、俺が計画した旅に乗ったのだから当然、と思ったんだろうか、
当たり前のように、わたしの服装を指定してきた。
ミニスカートのワンピにストッキング。
べつにいい。自前で、もとから持っていた。普段から好きな服装だった。
でも南の島で、ストッキングは履きたくなかったかな。
あと、レンタサイクルで島を回る時に、ミニスカはちょっと、ね。
(ミニスカで自転車こいださ。どうなのそれ。パンツ見えとっただろうな)

彼の要求は、けして法外とも言えないと思った。
俺はおまえの恋人である、という理由だけで、服装を指定してくるヤカラもいた時代の話だ。
苦手な事を代わりにやってもらったんなら、もちろん代償はあってしかるべき。…かも、しれない。
と、まあ、思います。自分の怠惰が原因だからとくに。

わたしは自分の甘さを呪ったね。
死ぬほど面倒でも、自分で計画を立てて自分で手配して、
旅には出たほうがいい。


死にたくなった果てに行くタヒチは、さぞや美しかろうと思うんだ。
で、
そのタヒチでまた「窮屈で死にそう」になったら、意味ないではないか。
自分で計画立てて自分で手配して、旅には出たほうがいい。
(2度言った)
南の島は、自分の決めた自分の好きな服で歩きたい。



さて今現在。
お金がなくてもヒマがあるので、旅にはバンバン行きたい所存です。
けれど行けない。それどころか、実家に帰省すらできていない。
理由はもちろんアレだけど、もうここで書きたくもない。
数年後数十年後、この文章を見直したら、何のことかわからなくなってたりするかな?
まあでも数年後数十年後、この文章を読み返す人は(わたしを含め)いないだろう。

いま、死にたくなってる人は
「タヒチに行きたい」「でも旅行は無理だ…」って考えるのかな。
さみしいことだなあ。


わたしはタヒチにも行きたいが、温泉にも行きたいです。
でもやっぱ、旅行には行けないなあ。

…お風呂にでも入るか。


お家のお風呂も、死にたさをまあまあ緩和してくれたりは、しますねぇ。

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