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「ヒトは自分が傷つけたひとを憎む」?

おかしい、と思う。
ヒトは自分「を」傷つけたひとを憎む、ではなくて?
そっちなら、ある。それは、あるだろう。そうあるべきだよ、せめて。
けれど自分に限って言うならば。
「わたしはわたしを傷つけたひとを、それでも嫌いになれなくてなれなくて、苦しくて苦しくて、このままでは本当に、精神的にも物理的にも再起不能なまでにダメになってしまうぞ、というくらいまで追い詰められてやっと、離れることができました」
ということはあったが。
自分を傷つけてきたひとを、ストレートに憎めたことはあまりない。

ヒトは自分「が」傷つけたひとを憎む。とは、
わたしの友人が言った言葉だ。

容易に頷けない、よくよく考えてみてもどっか矛盾を含むこの言葉を、
それでもわたしは、ずっと頭のすみっこに住まわせている。



いじめられっ子だったこともあった。ハブられていたこともあった。ハラスメント行為を受け苦しんだこともあった。おおむね被害者であることが多かった自分が、けれども、加害者であったことも、事実あった。
コートの同じ面にばかり立ち続けていたわけではない。できれば無かったこととして忘れてしまいたいとさえ思う。これを言うのは勇気が要る。
わたしは、ひとりの女の子に対し、「いじめ」をしたことがあります。


その子は、4〜5人のグループの中で、いつもいじられ役だった。
からかわれては苦笑して、「やめてよ〜」なんて言ってる、その子と、わたしは仲良くなりたかった。
仲良く、なりたかったのだ。
それで、グループの子たちと同じように、からかいの言葉を投げた。
からかいの内容は名前のこととか顔立ちのこととかで、わたしはむしろ「そこがいいよ!そこが好き!」くらいの気持ちで、からかいの言葉を発していた。
わたしは小学生女子だったけど、脳内は小学生男子に近かった。
その子が笑いながら「やめてよ〜」って言うたび、仲良くなれていく気がして嬉しくさえあった。

けれどある日、その子が言ったのだ。
からかわれるのが辛くて、お母さんに「学校行きたくない」って泣きついたこともあるんだよ!って。
雷に打たれたよう、ってのは、本当にある。あったね。
わたしはそれを聞いた瞬間、身体中がびしゃーん!と震えた気がした。
学校行きたくないって、そんなこと思わせるなんて。もうそれはいじめだろ。
モゴモゴと謝罪の言葉を口にして、わたしはそれから、二度とその子をからかうことはなかった。
けれど。
仲良くしようと、近寄ることもしなくなった。
話しかけることもできなくなった。

「憎んだ」のではない。嫌いにもなってない。仲良くしたい気持ちは変わらずあった。
けれど怖くて、それ以上関わることができなかった。

怖いって、何がだろう?
当時わたしは自分の気持ちを明文化することはできなかった。(できなかったし、しなかった。考えたくなかった。)
今になって無理矢理説明をつけるなら、
「もう挽回はできないに違いない」という諦めと、「これ以上近寄っても、相手はもう嫌な気持ちにしかならないんではないか」という恐れ、か。
漫画やドラマのように、ごめんねと言っていいよって許されて、それから仲良くなりました…みたいなことになるためには、果てしない道のりがあるように感じてしまったのだ。
ひとを傷つけたら己も傷つく。これも、よく言われている胡散臭げな言葉だが、実際に証明された。
相手につけた傷は癒されるべき痛ましいもので、自分についた傷は隠し通すべき恥ずかしいものだった。

わたしはこのことを、ずっと忘れられない。


これは子供のころの話だ。ここまで思うのはおおげさだ、と言われてしまうかもしれない。
けれど、一事が万事なのです。
これまで生きてきて、わたしはきっと誰かを無意識に、あるいはむしろ良かれと思った行動で傷つけてきている。それはもう、確実だ。
相手が傷ついている(あるいは、嫌がっている)ということに気付けないまましばらくを過ごしたのち、ある日、雷に打たれる。
その時、自分の犯した間違いが、「ごめんなさい」で済まないものだったら?
「じゃ、以後改めます」で仕切り直してそのまま会い続けられるような、そんな域を越えてしまっていたら?
わたしはわたしの過ちのせいで、その人との接点を(自分から)放棄する羽目になる。


もっと平たい話にしよう。
たとえば恋人どうしで。
片方が浮気をしました。相手は泣いて傷ついて、それでも許しました。
けれどそれ以来本人は、どうにも、うしろめたさが抜けない。
罪悪感をこじらせて、常に責められてるような気分に(相手は責めてるつもりもないのに)勝手に、なってしまったり。
あるいは改心(?)して以前よりずっと相手を大切にする反面、「好き」という気持ちが以前のような無邪気さを失っていることに気付いたり。
順序が逆なのだ。
愛が薄れたから傷つけるのではなく、傷つけたせいで結果的に愛が薄れる事態をまねく。
わたしの言いたいことは、そういう感じに近いように思う。
もちろん、そのまま紆余曲折を経て絆が深まるふたりもいるだろう。
だからこれは、一例でしかなくて、「法則」ではない。

これは「法則」ではない。
そこのところはくれぐれも、前置きを外さずにいたい。



ヒトは、自分が傷つけたひとを憎みはしない。と、思う。


ただ、だれかを傷つけるということは
(それを狙ったわけではなくとも、結果的に)
自分自身の心の中から、そのひとに寄り添う気持ちを萎えさせてしまう。ことが、ある。
理不尽ですらあるが、そういうことが、ある。ことも、ある。

と、思う。


うまく説明のできないこの現象を象徴するものとして、
冒頭の、
”ヒトは自分が傷つけたひとを憎む”という言葉を、わたしは折にふれ頭のすみっこから呼び出しては、「うん…」って頷くのです。


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