焦り吐き出し

すごいショックを受けた時とか、悲しみにくれている時とか。心身が思うように動かない時ほど、必死で何かをしようとしていた。
最悪の状態のとき、こんな時くらい静かに休んでればいいのに、と思いつつ毎日ただひたすら歩いていた。
歩く以上の建設的な何をもできなかった。
からだがわたしを治そうとあれこれしてくれていた期間だった。

仕事を失ってる間、いろんなことを書いた。
毎日アナログの日記を書きあるいは雑記を書き、もう使うこともないかもしれないプロットを書いた。
何かに役立てるためではなく、ただ単純に、治ろうとしていた。

治るって、なんだろ。わたしは病んでいた? そんで、治りたかった?
病んでいた、かもしれん。
でももっと単純なことで、毎日1度は笑って、ご飯をおいしく食べて、
そしてちゃんと眠りたかった。
べつに、素敵な人になりたいとか(言ってて気恥ずかしい)真っ当な人になりたいとか、創作をする人でいたいとか、そんなのは二の次だった。
生命活動を、喜びをもってできるならそれで合格。

今はどうかな。
生命活動は喜んで出来てる。のに、自分を合格だとは思えない。
難儀やな。

noteにいろいろ書いていたとき、わたしは治ろうと必死だった。
仕事を再開したとたん、すっかり足が遠のいてしまった。
あたまの中がまっしろで何もなくなった気がする。
むしろ、今の方が病んでるみたいな。
焦る。
周囲を見れば、みんなが素敵なものを生み出し続けていて
わたしひとりが後退・停滞しているような気がしてしまう。
待つことと自分で取りに行くこと、どっちもうまくできない。
気持ちが分散してしまう。
ああくそ。こんなふうに自分を「できないできない」って言い続けたくない。

でもたぶん、一生こんなふう。
惑い続けながら、思春期を抜けられぬまま、この生を愛す。

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