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余力などない

最近(最近?)気付いたこと。
私にはあまりにも余力がない。

「余力がある時に」と思ってるから、何にしても進まない。
まんがは書けないし、SNSは更新しないし、部屋の片付けも進まない。
うっすら分かってる。余力なんて、出さなきゃ出ないんだ。
なんなら、余力があってもやれない事がある。SNSとか。チェックすらろくにしていない時もあった。
気が向かなかった。単純に。

ここで、
「余力ってのは、出さなきゃ出ないんだよ」
って思うのが今までのわたし。
何かを出来ないこと、出来ていないことへの罪悪感と焦りはすごい。

でもなー。

自分を責めたり追い詰めたりするのって、それで気が済んだりするもんな。
いや、通説ではなく。「私は」ってことね。
自責で自分を追い立てると、たしかに体は動く。こともある。
でも、「それ」をどんどん嫌いになってくよね。
いや、通説ではなく「私」以下略


自責や焦りで体を動かしてると、「それ」を嫌いになっていくし
何より、自責でも焦りでも体が動かなかった時、もうほんとしにたくなる。
自責や焦りって案外、劇薬なんだな。

漫画は、嫌いになりたくないなあ。他はともかく。

そんで。
ここのところ、原動力を「気が向いたら」に切り替えることにした。


は?
「気が向いたら」?
なに甘えてんの?
ふざけてんの?
そんなんじゃ、何一つできっこないよ。
誰かが(あるいは、誰もが) そんなふうに言ってきそうな気がする。
けど、実際に言うのは自分自身だ。

どうやら、長期にわたった自責癖は、なかなか抜けそうにない。

でも今。
例えばこのnoteを、
わたしは「ふと気が向いて」書いている。

「甘えるな怠けるな。やれよ。やらなきゃでしょ」
と、自分に鞭打っても、この体は傷ついた老いぼれなんだ。
鞭で死ぬわ。
「気が向かない?」「いやそんなこと言わずにさあ。気が向いてよー」
「まあ、手ェつけてみるだけでも」とか
なだめすかした方が、どうやら体は動くようだ。

あと、「無意識」
無意識のうちに、手を動かし始めてしまう。
これがいちばん特効薬っぽい。

そういうわけで、
「書こう」と思う前に書き始めたのがこのnoteです。
うん。結論などない(笑)



noteは、ときどき、たまーに、読みには来てました。
でも、ほんと久々に自分の記事を書いた。
とってもうれしいよ。

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