見出し画像

大晦日、がめ煮を煮ながら

台所に立つといろんなことを思い出す。
水を使ったり包丁を使ったりしてる時は、あんまり未来のことは考えない。
不思議だ。

今日は大晦日なので、お雑煮やお刺身の準備に加えて、がめ煮を仕込む。
がめ煮とは、まあ、筑前煮のことだと思っておくれ。
違いがあると信じてるのは それなりに年嵩の福岡出身者くらいだと思う。
お祝い事に出される料理の定番だ。
わたしはがめ煮を作るとき、かならず母のことを思い出す。

結婚式の朝。
お化粧した口でも食べやすいように、小さく賽の目に切られた具材たち。
根菜メインの茶色い煮物であるはずの がめ煮を盛った器が、
大げさではなく、宝石箱に見えた。
具材は完璧に柔らかく、けれど煮崩れは一切せずにツヤツヤで。
あんなに美味しいがめ煮を食べることは、もう生涯ないだろうと思う。


母のことをを中心に、父や妹、家族のことを書き残していこうと思い立って、
でも、ちょっと書いただけで、もうずっと長いこと滞っていた。
理由は明らかで、
「昔こんなことがあった、こんなふうに言われた」みたいなことを書いていると
延々と恨み言を言ってるみたいで、うしろめたくなったんだ。

両親のことを、自慢の親ですよーみたいには思ってはいない。
それなりに辛いこともあったし、一生回復しない傷だとか心の枷だとかを
負わされることもあったと思う。
ただそれは、うちの家族だけでなくどこの誰でもが、
時代の流れの中で生きてて、その時の価値観やら決まり事なんかに沿うていただけの、その範疇でのあれこれだったとも思う。
近しい者からは、影響を受けずにはいられない。

つまり、
誰もが、親(あるいは何かそれに類するもの)に影響を受けて育ってきてるなかの、
その、世界中に存在する 良いことと悪いこと…
素敵なことと酷いこととの、あまりに広い振れ幅の中で言うならば。
わたしの家庭で起こってきたことは、
ありふれた…、むしろ、幸せな事のほうがずっと多かったと思う。

わたしが家族のことを書きたいと思うのは、(今でも、書こうと思ってるよ)
自分のことを知りたいからで。
親に面と向かって言えない憎しみごとを、吐き出すためでは、ないんだよ。


ちなみに。
がめ煮で送り出された結婚は、十数年後には終わった。
結婚しようと決めた時も、離婚しようと思った時も
母は、どちらも最初は反対し、のちに受け入れた。
母自身も自立していて、娘の動向に自分の生きる土台を揺るがされたりしない。

こういうのを、幸せな家庭って言うんじゃないかなあ。

…なんてことを考えながら、がめ煮を作ったのでした。

お正月の がめ煮の作り方は
①焼あご、干し椎茸、昆布…で取った出汁(雑煮や年越し蕎麦はぜんぶこの出汁で
 やるよ)と、酒、みりん、醤油を煮立たせて
②鶏肉(骨つきが、味が出て良いよ)、戻した干し椎茸、
 ゴボウ、こんにゃく、蓮根、大根、人参 それぞれを適当に切って煮るだけ。
油は使わない。
最初に鶏肉を入れて、あとは煮えにくいものから順番に、切りながら煮ながら
加えていく。
火が通ってきたら数回、適度に混ぜ返す。
この混ぜる時、鍋を振ってチャッチャッと底から返すのがわたしは出来なくて。
おたまかヘラを使って混ぜてしまう。
あの、母が作るような
ツヤツヤで柔らかくて、でも煮崩れしていない、美しいがめ煮は
どうしても作れない。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?