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そんなに必死に炎上させるものなんだろうか。

とある作品で、ずっと一定の言語で翻訳されてた物が造語だと判明した(ただし2年前にすでに出ていた情報で、全てが造語ではない)ということで炎上しているのだが、そんなに炎上させることなのだろうか。
(もっと詳しいことを言えば、その情報を公式の情報であると勘違いをした人間がいて、それを周りに言って回ったせいで、火に油を注ぐ形になってしまい炎上したというのが正しい。)

第1に、公式情報だと謳ったものではなく、あくまで1ユーザーの「考察」である。
第2に、有料ではなく無料
第3に、情報を鵜呑みにして公式情報として周りに吹聴していたが、それをやったのはあくまでその考察を見た人間である。

それに対し
迷惑をかけた原因がお前だから謝罪しろ
造語なのだから今までの情報は嘘だったと謝罪しろ
考察ではなく二次創作だと言え
断定口調が誤解を招いた謝れ

と必死になって怒っているユーザー達という図式なのだが、本当に下らないし頭が悪いとしか感じない。

言語というのは何かモチーフとして誕生し、戦争や侵略によって結果的に変化した言語もありと長い歴史があり、現在でも新しい言葉(人権界隈やセクシャルマイノリティーの世界)が誕生している。
つまり、造語と言ってしまっても、その造語のモチーフは絶対にあるハズで、その言語ではないと判明したとしても、炎上をさせるべきではなく、もう一度調べさせ直す時間と、自分達が調べる時間を作り、実際に調べないといけない。出来ないのであれば静観するべきだ。(実際公式は否定はしているが何の言語がモチーフかまでは言ってない)。

にも関わらず、鬼の首を取ったように嘘つき呼ばわりをし、攻撃し続け、それを多くのユーザーが正しいと思いこんでいるのが恐ろしすぎる。

また、考察ではなく二次創作で~というが、そもそも二次創作というのは、考察から一歩踏み出した非公式の派生作品であり、二次創作も考察が出来なければ生み出せない。
「こうだったかもしれない」を作品という形にしたのが二次創作で、こうだったのかもしれない。で済ませるのであれば考察の体は守れているハズだ。
そして、問題の箇所は本来であれば造語であったというところであり、その他はキチンと公式情報やテキストから引用されていたもので、物語を作っているわけではない(少なくとも見直して私はそう解釈した)。
断定口調なのが悪い。という意見も、そもそも前提が考察なのにまどろっこしい言い方になると思うのだが。

つまりは、自分の気に入らない箇所や嫌っていた人物を、騒動に乗じて叩いて満足したいだけで、それは単なるクレーマーと同じである。
しかも、フィクションの、無料の、単なる1ユーザーの考察に粘着して。

所詮は小さい世界だからやってもいいと思っているのだろうが、海外では「キャンセルカルチャー」と呼ばれ、過去の発言を掘り返して社会的なダメージを与えたり、誹謗中傷をする事が深刻な問題になっている。
ビリー・アイリッシュがそういったネット文化を批判したのは記憶に新しい。

どうか視野を広く持って、それは本当に正義なのかを考えてほしい。
たかがフィクションの世界でも考察をし物語に思いを馳せることは、間違いであっても楽しいものだし、間違いを悪意を持たずに指摘し、また一つの考えを提示する器の広さを身に着けてほしい。





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