『龍馬伝』を急に観だしたことに意味はあるのか
わたしは『定期的』が苦手なんだと思う
薬も決まった時間に服用できるのは調子の悪いときだけ
よくなると、ほんとうに、ぺろりん、と忘れてしまう
定期的にできないこと
その最たるものが“ドラマ”だ
よほどでなければ観続けることができない
決まった時間に拘束?されるのが嫌なのかどうなのかわからない
かといいつつ、楽しみに観れるドラマはある。もちろんそれは、録画ありき。集中できる好きな時間にみれば観れる
気持ちがグググとはいったときしか何事もできないのだろうと自分のことながら推測する
龍馬伝は、歴史に疎く大河ドラマを観ないわたしにしては珍しくハートを撃ち抜かれた大河ドラマだった
光を匠に演出した映像もよし、
薄汚れた衣服、貧乏な家屋から醸し出すなんともいえない風情がいい
音楽もまた良い!
挿入曲は心情や物語の奥行きをうまく演出していて、とにもかくにもわたし好みのドラマだった
それがあるとき頓挫した
その理由は割愛するが、ラスト10話を残してわたしは“ピタリ”と観るのをやめた
観れなくなってしまったのだった
しかしハードディスクにはしっかりと全48話の龍馬伝はその後12年存在し続けていた
あれから、何度か「観よう!」と思い立つときがあった
ところが、観れない
観ようと思うのに観れない
変な話だけれど、なぜか7話だけは観れる。しかも何回も観れる。7話ばかり一日中つけている日もあるという変人っぷり
な、
わたしが、今、空いてる時間で龍馬伝を観だした
キッカケは忘れた
あいも変わらず7話からつけたが、次に、次に、と観ることができる自分に驚いた
そして
いちいち、登場人物の語る内容に心がひっかかる
そして思う
今、時のながれの変革の時代なのかもしれない、と
日本はもう蚊帳の外ではいられない
世界は変革の時代にはいったのだ
龍馬の時代、西洋文明を持つ者たちは、蝕むように他国を搾取していった
長州人のひとりが物語のなかで語る
北京では、西洋諸国によって牛や馬並みの扱いを受けているのをこの目でみてきたのだ!と
日本は日本人同士で争うべきではなく目を向けるのは世界なのだ!と
搾取されてきた国が、したたかに力も富も蓄えて、今度は、かつて自分たちがされたことと同じことを西洋諸国にしていっても不思議ではない
日本はこれから世界の中でどんな立ち位置になるのだろう。どんな扱いを受けるのだろう
今、身近で肌に危機感を感じる人間は日本の中でもほんの一握りかもしれない
龍馬伝のなかの江戸幕府は、何百年の平和の幸せに溺れて目の前の利権しか興味がなくなっていた
あの時代に存在した長州と龍馬
今の日本にはいるのだろうか