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スタァライトの曲を聴きながらスター・ウォーズのことを考えるオタクの近況 

 スター・ウォーズにハマっている。それはもうとんでもなくハマっている。自分史を編纂するとして、ハマったもの年表に鮮やかに刻まれていくだろう。すでにそう思っている。こんなにハマったのは久しぶりで、とにかく、毎日が感情の連続なのだ。

 それでいて、なぜか、スター・ウォーズにハマるごとに、少女⭐︎歌劇レヴュースタァライトの曲を聞く回数が増えた。

 なぜなのか。

 両者には大して関係性はない。片や長く続く世界を代表するスペースオペラであり、片やアニメと舞台で織りなされる二層展開式歌劇である。

 どちらも知ってる人がいるとして、スター・ウォーズとスタァライトが…って言ったとしても、「Star」繋がり?くらいなんじゃないか。描いてるテーマも私としては被ってはいない思う。スター・ウォーズは別にキラめきを奪い合ってスタァになる作品ではない。スタァライトにはキラめきとかいう謎概念はあれどフォースとか言ってないし、宇宙で戦ってない。

 違うとわかった上で、最近の私はスタァライトの曲を聴くことが明確に増えている。なぜなのか。(ァ)ライトの話をしたいのかウォーズの話をしたいのかもはや分からないが、自分なりに近況を書き綴っておく。

「あの話」から調子がおかしい

 私はスター・ウォーズを観始めてから7月現在で10ヶ月である。「スター・ウォーズ エピソード4・5・6・1・2」を観て、「クローン・ウォーズ劇場版」、「クローン・ウォーズ シーズン1〜5」、「スター・ウォーズ エピソード3」、「クローン・ウォーズ シーズン6・7」、「テイルズ・オブ・ジェダイ」、「反乱者たち」、「バッド・バッチ」、「ローグ・ワン」、「マンダロリアン シーズン1・2」………。こう書くといっぱい観てるようなのだが、観てないものもまだまだある。銀河は広いのだ。

 私だって初めからハマってたわけではない。まあ、名作だし観ておこうかな?という軽い気持ちがあった。それが、じわじわとタコがゆでだこになるように私の頭も茹で上がっていき、遠い昔のはるか彼方の銀河に飛ばされてしまったのである。

 ただ、私は明確に「あの話」から調子がおかしくなったのではないか?と思っている。もちろん、ターニングポイントというのは複数あるし、シリーズを積み重ねることでじわじわと効いた呪いのようなものを痛感しているのだが、「あの話」を観て以来何かが変わったことは間違っていないと思う。 
 ここではあえて何の話かは言わないでおく。なぜその話だったのか、というより、その話のせいで私は感情の喜びとひきかえに1ヶ月体の調子を壊したことについて話させてほしい。

喜ばしい感情との再会とキリキリ痛む頭

 その話を観て以来、常に私の頭の中には命題が浮かび、感情の渦にのまれていた。通勤ルートの道すがらさんさんと降り注ぐ朝日と一緒に、命題をこねくり回していた。職場でふと窓の外をみては、意識が違うところにあることを感じていた。もし、頭の中に洗濯機があるとして、その洗濯機は稼働している。稼働した洗濯機は水が入り、ぐるぐるとすすぎを行っている。そんな洗濯機のすすぎを見ている自分と、その中でぐるぐる回っている自分がいて、稼働する洗濯機の音と水の音だけがそこに存在し続けている。自分の心境はそんな感じだった。

 こんなに何かに夢中になったのは久しぶりだった。正直なところ、私はちょうど物語に対して少し諦めた気持ちを感じていたところがあった。幼い頃から本が好きで、大学になってから漫画やアニメに本格的に触れはじめた。私は物語が好きだ。でも、年齢を重ねていくにつれて、ある程度物語にも予測がつくようになることが多くなった。もちろん、そうじゃない物語もいっぱいあるのだが…。さらに、アニメの多くは中学生~高校生が主役であり、だんだんと自分の年齢からも遠ざかっていく。そんな中で、大学生の頃はある種の延長線上として受け入れられたが、今、大学時代も遠のいてきた中で、これから中学生~高校生を主役にした物語を同じように楽しめなくなるのではないか?もう幼い頃のように、夢中になれる経験ってどんどん希少になっていくのではないか?心が死んだまま批判だけが思い浮かぶ人生を送るしかないのか?それが心配だった。
 だからこそ、スター・ウォーズを通して感情のぐるぐる洗濯機状態になれたことは驚いた。まだ、自分にも、こんな感情があったのか…。まだ、私は、物語を驚きをもって、全く予想のつかない形で、どれだけの期待をかけたとしても、返ってくるかもしれないと期待しても、いいんだ…。嬉しかった。

 非常に嬉しい感情の動きだったのだが、この頃の体調は調子がすこぶる悪かった。崩れたといっても毎日元気に起きて寝ているので、そこまでではないのだが…。
 まず、命題を考えると、頭が痛い。頭の後ろがキリキリする。症状としては緊張性頭痛の痛みに近い。あと、胸が苦しい。締め付けられるし、切ない気持ちになる。でも、考えることをやめることができない。私にとってあまりに甘くて美しくて尊い経験を逃すことなどできないからだ。追い打ちをかけるように私の体調は悪く、お腹も痛い。私はとにかく食べることが好きで、甘い物も大好きなのだが、そんな私が、食欲が減退していた。おやつも欲しいと思わなくなった。今はそんなことよりも大事なことがある。
 この体調の悪さの原因は本当にスター・ウォーズのせいなのだろうか?私は懐疑的だった。もしかして、職場へのストレスではないか?そう考えてみたものの、思い当たる節はなかった。どう考えても、主要因を探れば探るほど、スター・ウォーズしかなかった。こんな話を、ぜんぜんオタクではない人、たとえば職場の人にしたとて、なんて説明すればいいのか?たとえ友達に言ったとして、この感情のうれしさはわかってもらえても、どうして身体的な不調とバーターになってるのか、わかってもらえるだろうか?正直私だってこの状況をよく分かっていなかった。

 頭の痛みと腹痛は現在なんとか解消している。もしかしたら夏バテだったのかもしれない。だが、あまりにも自分の感情の揺れと共通していたその痛みは、明らかにスター・ウォーズが原因だったと思うし、引き金だったのは間違いない。

人生と重なりすぎた少女☆歌劇レヴュースタァライト

 一方、少女☆歌劇レヴュースタァライトとは私にとって何なのか。スターウォーズにあれだけハマったと言いながら、スタァライトはそうではなかったのか。私にとってスタァライトとは何か。私にとってはどちらかというと、人生と重なりすぎたこと作品だと思っている。

 基本的に引きこもってオタク活動をしている私にとって、スタァライトはほぼ初めて現場に行くようになったジャンルである。ライブとか舞台とか、怖くて行けなかった人間が、ライブに参戦し、舞台を観に行く経験を複数回こなすようになったので、はたから見ると、というか自分でもスタァライトはしっかりハマっている作品だろう。
 私にとってスタァライトは意味が大きいなと思うのは、何かと人生の岐路に立たされた時にそっと背中を押してくれる作品だったことだ。「劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト」は何度か見たのだが、見た時の悩みや人生の状況によって得られたメッセージが異なったのは印象的だった。
 新たな状況へ旅立つ時に、舞台#4を観れたのはこの上なく自分への応援になった。

 スタァライトの曲は、今を生き抜く中での自分の武器になっていた。「Star Divine」も「私たちは舞台の上」も「綺羅星ディスタンス」も繰り返し繰り返し聞いても、やはりいい曲で、心が沸き立つ。

私は音楽を聴き、感情の消化の行く末を見守る

 では、どうしてスタァライトの曲を聴きながらスター・ウォーズのことを考えているのか。それは、今、消化しきれない思いを、感情を、どうにかしようとした結果なのではないだろうか。

 体調にまで影響を及ぼすほどの感情のただ中で、私はそれをやめることができない。なぜなら、幼い頃から物語を愛してきた人間にとって、この甘さと毒を混ぜ込んだような経験は人生の中であと何度経験できるか分からないものであることを知っており、そこに美しき物語があれば、それを手にすることをやめることはできないからである。

 そうであれば、何とかして今を引き延ばし、楽しみ、気持ちを消化していく他ない。私は、ノートに感想を書くようになった。見た直後に感じたことや疑問に思ったことを書いておかないと、自分のヒリヒリと熱い気持ちがどこか遠くへいってしまう気がしたからだ。今、こうして書き綴っているのもその一環だと思う。

 音楽は、時に自分でも言葉にならない思いに寄り添ってくれることがある。今、自分はどれだけ言葉にしても足りない思いを抱えているのではないだろうか。だからこそ、人生と重なりすぎたスタァライトの曲を聴きながら、スター・ウォーズをなんとか咀嚼しようとしているのではないか。
 もちろん、今一番好きなアーティストがスタァライト99組だったというのもあるだろう。
 ないところに共通点をなんでも見出してしまう私は、別に共通していないと分かった上でスタァライト99組とクローンフォース99は99繋がりとか考え始めるし、「星屑」と聞いて頭を抱え始める。やっぱり二つの異なる世界は星を通して少しだけ結びついているのかもしれない。

 まだまだ分からないことばかりで、銀河は広い。これからどんな展開が待っているのか分からない。だいたい、スター・ウォーズエピソード3のことをどう理解すればいいかだって私はまだ分かっていない。

 確かなのは、世界は広くて、私が知らない面白い物語は、まだまだあることだ。これからも、ずっと、ずっと、面白い物語に触れられますように。そして、今この瞬間を、できればずっと長く楽しんでいられますように。



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