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幕間 ドラマ「アソーカ」ロスにどう対処するかを考えると、手をつけたい作品の話になる

第7・8話感想の前に…

 ドラマ「アソーカ」の配信が終わった。
 私は、配信後毎週感想を書こうと息巻いていた。しかし、急な秋の到来に「このままじゃ身体を壊す!」と休息を優先した。頭をぼんやりさせながら「週刊連載の作家ってすごいな…。」と考えている。
 「無理なオタク活動はしない。持続可能なオタク活動をしよう!」をモットーにするためにも、ここで休むのは良い選択だと思う。悪くない。

 だが、しれっと第7話感想を第8話のことをなかったことにして書く元気も今はなく、いささか困っているところだ。第8話感想を書くにしても、すぐに書ききるのは無理なのかな思った。なぜかというと…

 ドラマ「アソーカ」ロスがあまりにも大きすぎて…。

ということで、幕間としてドラマ「アソーカ」ロスにどう対処するかの私なりの処方箋を記しておこう。7・8話のネタバレは全くないのでご安心を。

未視聴のドラマ

 私がスター・ウォーズを見始めたのは去年の10月頃。(ついに一年経った!)
 そのため、実はまだ履修していない作品がある。その中でも、今から手を付けるならこれかな?と思っているものを挙げておく。

「オビ=ワン・ケノービ」

 なんとまだ未視聴。評価は良いとも悪いともなんともなことを、そこまで検索していないのに何となく知ってしまっている。(怖いよ~!)
 まあ、自分の目で見てみないことには分からないと思うし、楽しみにしている。
 ドラマ「オビ=ワン・ケノービ」は、どのタイミングで見るか正直全く分からなかったのでずっと見ていなかった。もうエピソード1~9も見たし、きっと大丈夫なはず。

「キャシアン・アンドー」

 私は、「ローグ・ワン」を観てキャシアン・アンドーが出た時に「キャシアン・アンドーってドラマになってる人じゃん」と思ってしまった。
 「キャシアン・アンドー」ってドラマがあることを知らずに「ローグ・ワン」と出会いたかったとちょっとだけ後悔している。
そもそもドラマが後発作品ということすら分からなかった。時系列順はご丁寧にも私のディズニープラスのホーム画面ではいつもトップに躍り出てくれている。しかし、新規ファンには公開順なんてものは分からない。だって全部過去なんだもの!!
 ひたすらディズニープラスでスター・ウォーズ関連作品を視聴していくと、でかでかと「キャシアン・アンドー」が表示されるのをずっと繰り返してしまう。避けようがないよね?これ…。
 「キャシアン・アンドー」は面白いらしいということは何となく知っているが、話の内容は全く知らない。それにしても、まだ知らない物語を抱えているっていうのは素晴らしい。

 まだ知らない物語を永遠に抱えていたいので、「オビ=ワン」も「アンドー」も、もったいなくて見たくない気持ちもある。しかし、そろそろ見てもいいんじゃないかなと踏ん切りがついた。見るなら、今!

 映画「ハン・ソロ」もどこかで観たいし、アニメ「ヤング・ジェダイ・アドベンチャー」もどこかで見ておきたい。なんやかんやまだ見ていないものがいくつかあるので、映像作品にはゆっくり触れられたらな~と思う。

本(スター・ウォーズ関連書籍)

「アウト・オブ・ザ・シャドウズ 上下巻」

 ドラマ「アソーカ」最終話配信の翌日10月5日に発売日を迎えた、ドラマ「アソーカ」ロスの人々を救済する小説。(ありがとう!ありがとう!)
 実は、もう読んじゃっている。面白かった。

 ハイ・リパブリックシリーズは本編の200年前を舞台に織りなされる物語だ。
「本編の200年前ってもう誰が読むんだよ!?」って私はちょっと思う。でも、読む人がいるんだよなあ、これが…。これがスター・ウォーズか…。(ありがとう)
 前作「イントゥ・ザ・ダーク 上・下」を読んだ時は世界観とキャラを掴んでいたらいつの間にか終わってしまった。そのため、正直この一作だけでは面白いとは評価できなかった。

「ハイ・リパブリックは結局面白いの?」と私は疑問をもやもやさせていた。それで、この疑問を少しでもはっきりさせたくなり、私は同じハイ・リパプリックが舞台になっている「ジェダイの光 上・下」を読んだ。(出版年は逆)

 そしたら、これが、面白い!!!それぞれの心情描写がかけ合わさり、視点と場所が変わりながらも一つの物語として形成されていくところが良い。
 また、「イントゥ・ザ・ダーク」を先に読んでいることで、知っているキャラが出てきて嬉しくなる。あの時そこまで親しみがあったわけでもないキャラに「ジェダイの光」で会うと、よく知ってるキャラだと不思議と感じてしまう。「久しぶり〜!!」と思ってしまう。これはいくつか読むことで得られる楽しみだ。
 ここにさらに「アウト・オブ・ザ・シャドウズ」を読むとさらに楽しい。    
 ハイ・リパブリックシリーズはスター・ウォーズちょっと分かるよくらいの人でも(私のことである)、気軽に楽しめる外伝作品だと思う。作品の面白さはまたどこかで書きたい。
 ぜひとも次回も邦訳版と出会えることを心から願っています。

「千の顔を持つ英雄」

「千の顔をもつ英雄」がスター・ウォーズを作る際に大きな影響を与えたことは有名な話だ。
 
そのため、いつかは避けて通れない道と思っていた。
 すると、たまたま本屋のフェアでばったりと出会ってしまった。これは買うしかないだろう!
 思ったよりも文庫でコンパクトなものが存在していたのでびっくりした。文庫だと持ち運びやすいしお財布にも優しいし、いいことづくめだ。
 文庫の裏には「<スター・ウォーズ>創造のインスピレーションを与えるなど」としっかりと言及されていた。自分の浅はかな目的は全て見透かされている。
 堅めの本は買って満足しちゃう性質なので、ちゃんと読み進めたいと思う。読もうと思わないと、他の本にどうしても手が行ってしまう。
「父と子と運命について考えたい」とスター・ウォーズの王道みたいな理由で「100分 de 名著 オイディプス王」あたりも購入したが、未読のままになっている。なんだか同じように積読になりそうだ。今のところカバンの中に忍ばせたぬいぐるみみたいな扱いになっていて、本の役割をなかなか果たしてくれない。
 いつかは読めると信じて気長にやっていく他ない。

クローン大戦ノベル「破砕点」~「悪の迷宮」

 調べる限り、中古しか入手方法がなさそうだった。文庫全巻セットの中古本があったので私はそれを購入した。約2500円でなんと10冊が手元に来てくれた。
 私としては「レジェンズかカノンかはあまり気にせず、楽しみたい!」と思っている。
 もともと小説読みなので、読みたい本がたくさんあるのはご褒美と思うところがある。10冊も頼りがいのある物語があるというのは嬉しいことだ。これが終わった後には「ダース・モール 闇の狩人」や「偽りの仮面」、「ダース・プレイガス」を読む予定だ。まだまだ物語の可能性に満ち溢れている。

指輪物語

 ドラマ「アソーカ」について、北欧神話や指輪物語からいくつか引用しているらしいと知った。
 私はファンタジーが好きで、幼い頃からファンタジー小説をよく読んでいた。だが、恥ずかしいことに、指輪物語を読んだことがないのだ…。
 言い訳がましいが、トールキンに師事したダイアナ・ウィン・ジョーンズの作品はよく読んでいた。(※ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作品で万人に通じるのは「魔法使いハウルと火の悪魔」だろう。私は「大魔法使いクレストマンシー」シリーズが好きだ。)
 ダイアナ・ウィン・ジョーンズの本を読むと必ず経歴に「トールキンに師事」と書いてある。幼い頃には「それでトールキンっていうのは誰?」と思っていたわけだが、本当に有名な人だと知るのは後になってからである。
 「そもそもファンタジーが好きと言っておきながら、「ナルニア国物語」や「ゲド戦記」を読んでいないというのはどうなの?」自分で自分に突っ込みを入れてしまう。正直に言うと、自分にとって少し気にしているところがある。
 私は荻原規子や上橋菜穂子、村山早紀の作品を読んでいた。海外ファンタジーより日本ファンタジーで生きてきたのだ。
 しかし私が読んできた作品たちも、源流を辿れば全てトールキンに通じている。荻原規子もエッセイ「ファンタジーのDNA」で言及していたような気がする。

 流石にもう読まない理由がない。
 映画「ロード・オブ・ザ・リング」を見てから小説を読むか、順番を迷うところだ。しかし、まずは小説を読んで様子見してみようかと思う。

本(人文書)

 いろいろと触れてみたい作品を挙げてみた。
 しかし、ロスはすぐには埋まらない。そんな簡単な話ではない。
 ドラマ「アソーカ」が終わった今を生きる私には何が必要なのか?寒暖差にやられ、ベッドの上でぐったりとしながら考えていた。
 それは答えのない事態に耐える力なのではないか。
 そういった概念といえば、「ネガティブ・ケイパビリティ」が思い浮かんだ。「ネガティブ・ケイパビリティ」はコロナ禍でよく読まれるようになったと聞いたことがある。やはりみんな悩んでいるのだろうか。

 ドラマが終わり、どこか落ち着かない気持ちが自分の中にはある。
 それは、ドラマ「アソーカ」が終わったからではなく、元々の自分の悩みがドラマ終了によって再び表出したのかもしれない。祭りの時間が終わると忘れていた日常を思い出させてしまうように。原因は分からない。常に結果だけが自分を取り巻いている。今は、やはり落ち着かない。
 そんな時になんとなく本棚から「居るのはつらいよ」を引っぱり出した。

 「居るのはつらいよ」は文が上手い。比喩で軽やかに読者を笑わせにきたかと思いきや、難しい概念をさらりと引用する。小説のようで、エッセイのようでもあるのに、しっかりと根底には学術書のベースがある。私にとっての理想の一つだ。
 答えのない感情を考える時に人文社会科学の知恵を借りるのは有効だと思う。ちなみに、本を読んでも明確な答えと出会えることはそんなにない。どちらかというと、考えることと寄り添ってもらえるものだ。それが良い。
 「居るのはつらいよ」ではいくつか引用されてる本があるが、「暇と退屈の倫理学」はその一つだ。

 ドラマ「アソーカ」が終わった今の私は、もしかしたら暇と退屈を埋めようと躍起になっているのではないか?そんなことを考えてしまうためか、今は「ひまりん」(暇と退屈の倫理学の略語だ)を読んでみたくなっている。

 ドラマ「アソーカ」について考えるのは、もう少し時間がかかる。暇で、退屈で、何かしていないと落ち着かない今を、ロスを生きる今をどのように過ごしていこうか?そして、今のこの気持ちについて考えるとしたら、どんな状態なのだろうか?
 それこそ人文社会科学の知恵をお借りする出番だろう。それが彼らの十八番だからだ。では、とことん私のもやもやに付き合ってもらおうじゃないか。

第7話感想でお会いしましょう!

 ドラマ「アソーカ」ロスを埋めるべく、未視聴のドラマからスター・ウォーズ関連本、はたまた人文書まで私なりの処方箋を記した。
 ドラマ「アソーカ」ロスを抱える人々は、我々の住む天の川銀河の星々のようにたくさんいるであろう。みんな今頃どのように過ごしているのだろうか?街の曇った星空では、私はその姿を確認することはできない。

 灼熱の暑さはすっかりと遠のき、秋の訪れを告げるように金木犀の香りに出会うことが多くなった。夏から秋へ、ドラマと共に駆け抜けた日々を思い出す。
 配信を楽しみにする水曜日は終わってしまった。だが、ドラマ「アソーカ」を考えることは終わるものではない。感想を書くことこそ、ロスの一番の処方箋だ。休息で少しばかし元気になったのか、そんな気持ちが芽生えてきた。この勢いのまま、もう一度ディズニープラスを開き、第7話を再生してみる。この前見たばかりのはずなのに、ずっと昔に見たドラマのような気分になる。不思議なものだ。

 ドラマ「アソーカ」とは結局、何の物語だったのか?

 私はこれがこのドラマを語る上で大きな鍵を握っていると思う。今思うと、これまでの感想も、もしかしたら全てこの問いを解き明かそうとしていたのかもしれない。広がり続ける謎、衝撃の展開、物語を彩るキャラクターたちのセリフと行動は我々に何を残していったのか。それを私はどう考え、書いていくのか。
 それでは、第7話感想でお会いしましょう。ロスな日々をこれからも過ごしていくために。

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