compound

虫の声が届かない場所だった。勇ましく直立する木々よりも、地面に照る木漏れ日のモノクロームのコントラストが美しく際立つその根元に腰掛けて、少年は本を読んでいた。本の色も厚さも見えなくなるくらいに抱え込んで、透き通る茶の髪を埋めて、彼は文字をなぞっていた。白と赤のストライプのシャツに、濃紺のデニムのオーバーオールを着て、その全てに木漏れ日はまだらの模様を塗りたくっている。真っ白な柔らかい頬が見えたり隠れたりする。硬い革の靴は明るいクリーム色を少し焦がしたような加減をしていて、これだけ日向の方にはみ出ている。踵を地面につけ爪先の方を浮かし、風に揺れるようにゆらゆら揺らしている。彼は当然今呼吸をしているはずだ。浅く安定した息遣いでその空間の空気や本の匂いを吸いこむ。僅かずつ、気づきもしない程度に。そういう身体の奥で、彼は何を感じているのだろうか。なぞる文字を次々に捉えていくその瞳の奥で、本当はどんな世界を空想しているのだろうか。涼しげな木陰にいながら、実のところ唸り声と熱波に包まれているのかもしれない。周りには黒い雨。捨てられた肉の死骸。息もできない宇宙空間や、細く細く潜り込んだミクロの構成空間を泳いでいるかもしれない。心臓は見えないだけで脈を速めているのだろうか。不意に外に向けて、本の中の音楽が溢れてきた様に感ぜられた。これは少年自身にも全く同じく感ぜられ、彼は暫く経ってふと顔を上げ、辺りを見回した。頭を揺らしながら栞を挟み本を閉じつつ、それさえ待ち切れないかのように鼻歌を歌い始めている。本はそのまま足下に置き立ち上がり、目の前の少し届かない枝にジャンプして飛びついてから落ちている枝を拾った。枝を持ちながら後ろに手を組み背中で拍をとり、彼はくるりと回り、彼は斜めに踊り歩き、しゃがんでは跳ねつつ彼は繁る森の奥に進んで行った。真昼の白い日差しの中、この森の奥だけは不思議に真っ暗の夜闇が籠っているように見えた。少年の姿が見えなくなった後、アコーディオンの様な音色だけずっと流れ続けていた。

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