見出し画像

死んだ人と残された人

 お久しぶりです。ヒカリゴケです。

 まずは近況から。これを書いているのでもうお分かりの通り、私はまだ生きています。もう少し頑張ろうと決めた日から、手段を選ばずなんとか生きてきた。そのことについてはまた気が向いたら書こうと思う。

 先日、友人の大好きなミュージシャンが亡くなった。巷で流行してるそれとは関係なく、突然の病死だった。奇しくも、私の敬愛するミュージシャンと同じ年の人だった。亡くなったミュージシャンのライブには、友人に連れられて何度か足を運んだことがあったけれど、私は彼の死を聞いても悲しみが一切湧かなかった。遠い誰かの話にしか思えなかったし、喪失感もなく、ただ、友人が悲しみに泣き暮れる姿を見るのだけが辛かった。友人は、ひとしきり泣いた後「人っていつ死ぬかわからない。いつでも全力で応援したほうがいい」と言った。そのミュージシャンの最後のライブは3月、世間の状況もあり、友人が数年ぶりに参加を見送った日だった。

 友人の悲しみに寄り添えない自分があまりにもひどいので、もし、自分がその立場だったら。そう考えた。敬愛するミュージシャンのライブに行けないまま彼がこの世を去ってしまったら。堪えがたい苦痛だと思った。けれど、現実的に彼の出演するライブすべてに足を運ぶことなんてできない。時間の自由をとれば金銭的な問題が生じ、金銭を得ようとすればライブに行く時間がなくなる。どのライブに出るのか、本人に聞かないとわからないので聞くタイミングがなければ賭けでチケットを取るしかない。とても楽ではない追っかけだ。この数年、見送ったライブはいくつもあった。もしそれが彼の最後のステージだったら?ぞっとする。だけど現実的にどうしようもない問題でしかない。いくら考えても、「その時に出来る精一杯しかできない」以外の答えが見つからない。

 彼が亡くなったとき、誰がそれを教えてくれるんだろう、とも考えた。前述の亡くなったミュージシャンは有名な方だったので、ニュースにもなった。けれど、私の敬愛するミュージシャンはプロの界隈やコアなファンの中では有名なものの、新聞の一面ニュースにはならないんだろうな、と思うと、もしかしたら彼も今もうすでにこの世にはいない可能性だってあるんだと、胸がざわついた。彼がこの世にいないことを知らずに、馬鹿みたいに生きていたくなんかない。ニュースにならなくてもいい、公式に知らせが出なくてもいい。ただ個人的にでいいから、連絡が欲しい。願わくばお別れを言わせて欲しい。どれも叶わない願いだと思う。ひどく辛く、もどかしいと思った。

 友人は、そのミュージシャンの送別の会に参加した。世界で一番好きな人を、好きな人を好きな人たちと一緒に見送ったという。いいなあ。私も、いつか来る彼との別れの時に、さようならを言いに行きたい。そのためにといってしまっては下心がありすぎるのかもしれないが、その日に知らせがもらえるような、そんな距離で彼の役に立つ仕事をできるといいのに、と思った。来週、久しぶりに彼の出演するライブがある。元気な顔を見せてもらえることを願っている。それでは、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?