(ちょっと長い)自己紹介

物心ついた頃から自分を女性だと思っていた。成長するにつれて身体も、周りの私に対する認識も自然に変わると信じていた。理由は私にも分からない。自分の身体が雄のものであるのもちゃんと自覚していた。でも、私が女性であるという意識はどうやっても変えることができなかった。

男性として生きていけたらどれだけ良かっただろう。実際に16〜24歳の8年間男性として生活してみた。男性に「成りすます」体験は非常に興味深いものだったが、この体験を経ることで逆に私は「男性ではない」と思い知らされた。男性の集団の中では共感よりも違和感を覚えることばかりで…(未だに男性と何を話せばいいのか全然分からなくて困る)。
私にとって男性は異性であり、決して同性ではない(だからといって女性が同性であるかというとそれは別の話なのだけれど)。
男性として(強制的に)履かされる「下駄」を脱ぐことに苦労したのを思い出す。ちゃんと脱ぐことができていただろうか?。

女性としての経験値。いくら頑張っても生まれつきの女性と比較すると雲泥の差がある。知識として、他者の視点で知る間接的な経験と実際に女性として生きる中で得る直接的な経験は違うのだ。様々な点で生まれつきの女性とかなり似た体験をしているからこそ、このことを痛感する。
そして、身体的なもの。これは説明不要だろう。骨格や筋肉量に左右される立ち居振る舞いなら知識で何とかなるけれど、月経や妊娠のリスクは…

女性的と言われ続けてきたからこそ生まれつきの女性との違いを思い知らされる。特に身体のこと。自分の身体に対する違和感。自分の身体を見るたびに女性ではないことをこれでもかと見せつけられた。それは私から何度も生きる希望を奪いかけた。

私にとって「女性である」とはどういうことだろうか。子供の頃からずっと自問してきた。男性より楽?服装?髪型?化粧?違う!そんな表面的なことではないんだ。もっと根本的なもの。周りにいた女性たち、年上の親戚、同級生。彼女たちを見て感じたこと、彼女たちから教わったこと。それは自分が女性であると信じていた子供の頃の私にとって他人事ではない問題の解答への道標だった。本当に多くのものを教わった。感謝しています。本当にありがとう。

私なりの答えは
「女性であることを受け入れること。と同時にそのことを問い続けること。」

はっきり言って無謀だと思う。
それでも私は女性として生きたい。自分に嘘を吐くのはもう嫌だ。
女性だと認めて欲しいけれど、それは自分から求めるものじゃなくて、自分が女性であると思われるような発言、行動を積み重ねていくことで得られるものだと思っている。

40代の私が今から女性として生きても、世間的に云われる「おいしい思い」をすることはまず無いだろう。でもいいんだ。それは求めていないから。ただ、1日1日を、社会の一員として、人々に誠実に向き合って生きていきたいだけ。
そして笑顔で人生を終えたい。
1人の女性として。