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趣味のために仕事を辞めて、塾の先生に戻った人の話


#この仕事を選んだわけ

こんにちは。初めまして。ひかると申します。
題名だけを見たら常識外れと思われても仕方ありませんよね。
趣味はゲーム全般、仕事は教育とかなり経歴が変わっているため、なぜ私がこうした人生を歩んでいるのか、考え方も含めて共有出来たら、と思い文章にします。

人の考え方は多岐に渡ります。様々な人の考え方に触れるひとつのきっかけになれば、と思います。

1、スペック

ひかるです。宝塚で育ち、大阪在住の生粋の関西人です。
平成元年生まれの32歳。
2022年1月現在、結婚3年目、子供はいません。
教育業界で個別指導塾の教室担当をしております。ちょうど今年で7年目を迎えます。
趣味はゲーム。特にカードゲームが大好きです。
2008年の大学入学から、アメリカ生まれの賞金制カードゲームにのめりこみ、就活や仕事で離れたり、復帰したりしながら、なんだかんだ今年でMTGを始めて15年目を迎えています。
MTGではプロツアーという世界大会にも過去何回か航空券をいただいて、出場出来ています。そこでは結果は残せませんでしたが、たくさんの人と知り合えて、自分の中でも素晴らしい経験として今も思い出に残っています。
サウナ巡りや温泉も趣味として、テキサスホールデムや麻雀もよく遊んでいました。

2、子供から大学まで。

私は生粋のゲーム好きでした。
テレビゲーム、カードゲーム、ボードゲーム。とにかく頭を使う遊びが大好き。今も昔もこの点は変わりません。
大人になった今もこうした遊びに熱狂しています。
何かをした後、ああでもない、こうでもない、どうしたら勝てていたか、と反省会をするのが大好きでした。
中学生の時はポケモンカードに熱中するあまり、勉強がおろそかになって平均よりも下の成績を取っていましたが、中3の頃から同時に勉強に熱中するようになりました。
要領よく効率的に勉強する要素をゲームから学び取れていたのが大きかったのか、中3で勉強を始めて、高3の受験終わりまでほぼ毎日勉強を続けて、そのまま国公立大学に進学。

学生時代の夢は化学の研究者でした。
何かを調べあげて研究するのがゲームに通ずるところがあり、向いていると思っていたら、学校の先生も化学の就職はいいぞ、と背中をおしてくれていました。

ちなみに当時の中高生はゲームやカードゲームを「ダサい。」「子供のすること」という認識が根強く、クラスのイケてるグループに入りたいと無理に自分を演じることも多々ありました。

3、大学で一生モノの出会い

大学入学の2008年、自分の人生を大きく変える一生モノの趣味と、そして仕事に出会います。

ひとつがカードゲーム。
マジック・ザ・ギャザリングです。
小学生から高校まで、友達がやっていてデッキを借りるなど、簡単にルールは知っていましたが、大学入学時に知り合った友人と意気投合、カードゲームの世界にのめりこみます。

もうひとつは個別指導塾の講師。
勉強だけはしてきたので向いているだろうと思って、近所の個別指導塾でアルバイトを始めました。
1年目であまり担当生徒の成績を上げられず、2年目の時から、相手の話を聞いて、相手に興味を持って、どんなことを考えて、どんな人生を歩んでいるんだろうと考えるようになってきました。そうすることで、相手が心を開いて、頼ってくれて、授業を聞いてくれるようになってきました。
どれだけ話が上手で、頭が良くて、解説が上手でも聞いてもらわないと全く意味がありません。私自身、昔から自分の話は出来ても、相手の話を聞かない典型的な自分勝手人間だったので、教育に入ってから自分の心の変化を嬉しく思っています。

その反面、大学生活は徐々に道を外れていきます。
2回生の時には既に研究者になりたい夢は薄れてきました。
その大きな原因は授業が楽しくなかったから。一部の講義は確かに楽しいものはありましたが、あれだけ楽しいと感じていた化学の必修科目のほとんどが全く面白く感じませんでした。

4、就職活動

前置きがすごく長くなってしまいましたが、いよいよ就職活動に入ります。
大学4年時、既に学業に興味を失っており、塾講師と遊びには全力で取り組んでいました。

就職の時、やはり自身の勤務先を第一に調べ、教室担当の社員さんや同じ業界で働く親戚と相談しました。
悩みや考えていることをすごく丁寧に聞いてくれた結果、塾業界の就職をこの段階で諦めることにしました。

懸念点になったのは私の趣味のこと。
少し遠くの大会(グランプリという2日制の大会)に行くにはどうしても土日の休みが必要になり、年に何回もある大会のたびに有給を取るのは難しいです。当時、遠征先で知り合った友達と食事をしたり、遊んだり、楽しくてなりませんでした。
それが私にはどうしても諦めきれず、妥協できませんでした。

趣味に生きたいと思った私は土日休みの公務員を志します。
余談ですが、この間ふと懐かしのmixiにログインしたら公務員試験勉強中、と自己紹介欄に書いてあって、それくらいの時、2012、3年頃にmixiを辞めたのだと改めて思いました。
役所の面接の最終面接までは行ったのですが、どれも通らず、25歳を機に(当時25歳以下の募集が多かった。)公務員を諦め、ハローワークと転職サイトにとりあえず登録して条件のいいところで働こうと考えました。

結果的に私は2014年の下旬までそのまま塾でフリーターをします。
そして2014年10月、教育系統の出版社に内定が出て生徒の引継ぎをして働きました。

〇教育業界で学んだことが活かせる点
〇評判の良くなかった塾ではない点
〇土日休みでその他休暇や福利厚生も安定していた点

これらの点に魅力を感じ、最初の会社に入社を決めました。土日が休みだったので仕事も趣味も両立出来て充実した生活を送ることが出来ました。

実際、2014年はもう赤本の出版が終わった後で、研修も丁寧にしてくれてとてもいい雰囲気で2か月間働くことが出来ました。


5、趣味を取って仕事を辞める

年が明けて2015年。
安定した仕事に就いたはずの自分にとって大きな事件が起こります。

1つが仕事が激務になったこと。
1月の受験の後、過去問が出だしたあたりでとんでも無いほどの仕事が出来てしまい、多くの残業無しではノルマがこなせなくなりました。
これに伴って職場の雰囲気が悪くなってしまいます。
他の社員の悪口を聞かされたり、あいつは使えないだのそうした言葉が飛び交うのは気分のいいものではありませんでした。
3月には毎週のように風邪をひいて、白髪だらけになってしまいました。甘いかもしれませんが、それまでストレス耐性の無かった自分には耐えられませんでした。

もう1つが趣味のこと。
この年、運良く2度目3度目のプロツアー(世界大会)の権利を獲得。非常に大きな大会で当時は航空券も出してくれて、目標としているプレイヤーも多い憧れの大会の権利を立て続けに取る事が出来ました。
ただ、金曜日~月曜日で休みを取る必要があって、これが最大の関門でした。編集者は仕事を残せば次の人が出来ない仕組みで簡単には休めません。


すごく迷った結果、どうしてもプロツアーに出たくて休暇をお願いしましたが、2回目の時に呼び出されて

「休暇は認められない。立場分かってる?」
「じゃあ辞めます。」

で、その足で本当に退職。
その足で3日間友達のいる和歌山で遊び、プロツアーにも出て、いわゆるニート生活を豪遊しました。めちゃくちゃ楽しかったです。

ただし、今考え直しても、辞め方としては最悪の辞め方でした。
ストレスで出勤出来ない状態があるならきちんと先に相談すべきでした。
最初の会社は給料も福利厚生も、休みもしっかりあったのですが、人間関係と勤務内容が合いませんでした。変化の少ない事務職は向いていないということが分かり、再就職へ向かいます。

6、再就職

仕事を辞めてニートになりましたが、とにかく暇、そして不安。
ニートのまま26の誕生日を迎え、前職のトラウマで、もう働きたくないと言い出す子供に対して、親が転職サイトから面談を応募。

恥ずかしい話ですが、今覚えば本当にありがたい話です。20代も後半で、1回仕事に失敗してぐだぐだ言っている情けない息子の社会復帰をこんな形で手助けしてくれたんですからね。いつまで経っても親子だな、と書いてて思いました。本当にありがとう。

派遣や日雇いのバイトも登録していましたが、遊びや株式投資の勉強に時間を充てて結局やりませんでした。

縁あって今の会社に内定。内定というか、内定約束のような形でアルバイト採用になりました。
社員の募集をしていない時期であるにも関わらず、入社前研修も兼ねたアルバイトを経て、2016年、正式に入社しました。
当時社員募集もしていないのに、内定約束までしていただいた今の会社には感謝ばかりです。


7、今の会社を選んだわけ

先に結論を言うと、好きだったことを仕事にしたかったことと、雰囲気が良かったから。この2点です。

週7で入っても良いと思えるくらいに学生時代は個別指導塾に打ち込んでおり、この経験は大きく活きています。
入社の前の研修の時に話した人がみんな趣味を持って仕事も趣味もイキイキとしており、飲み会を強制されることもなく、本当に雰囲気が良く、楽しい、輪に入りたいと感じることが出来ました。

教育にしては珍しく残業がほとんど全く、残業が無い分、収入は多くはないが、経験を活かせた点が本当に良かったと思っています。

前職と現職はいい面も悪い面も反対です。
・ストレスは現職では非常に少ないです。残業もほぼありません。
・変化の多い仕事で、アルバイト時代の経験が活きています。
・土日は本社が対応してくれるため、自分も多少出勤があるものの基本的に休みで趣味に充てられます。この点はすごくうれしいです。
・社員同士の交流も盛んで、強制されることもない。
・唯一共通していたのはイベントや飲み会の強制が無いこと。

・収入面は大きく下がりました。前職の3分の2ほど。残業をして大量の仕事をこなすタイプの社風ではないため、稼ぎたくても難しい。
・社風上、ことなかれ主義が多く、上昇志向のタイプの人間は比較的早くに退職してしまい、キャリアとしてはどうかは怪しい。
この2点は懸念点。私は車や家を買いたい欲が無く、お酒も飲まないため、収入面では大きな問題はありません。
また、自分が仕事で生きていくタイプの人間ではなく、投資やゲームなどの社外の趣味で能力を高めたいタイプなので現状問題はありません。
この点は妥協が出来たからこそ、続けられているように思います。

8,まとめ

まとまりのない文章になったので、まとめます。

〇高校までは勉強ばかり。コミュニケーション能力も低い。
〇19の時に趣味と仕事に出会う。
〇趣味と仕事の両立を最優先にそれが出来る仕事をみつけてそれに一直線。

どのような考え方や仕事であれ、その人が楽しく、笑顔でいけるような職場が天職だと思います。

私は仕事はとても好きですが、同じくらい自分の趣味の時間も大切にしています。私の場合は趣味を我慢したら仕事に影響が出るからです。仕事が趣味ならよかったのですが、私はそうはなりませんでした。
朝起きて、準備して今日はどんな1日になるのか、休憩で何を食べようか、そんなことを考えながら仕事の日を迎えています。
笑顔でいると、他者にもいい影響が出ますよね。
特に教育はいつも不機嫌で話しかけにくい人間は相手に心を開いてもらえず、何をするにも非常に不利です。
いつも幸せそうで笑顔あふれる人間か、愚痴ばかりで不機嫌な人間か、どちらになりたいかと言えば私は前者です。
就職の遅かった私は、当時就職したばかりの同世代の友人たちが仕事の愚痴ばかりをSNSで載せていて、「仕事」に対していいイメージを持つことが出来ませんでした。けれど今は「仕事」に対していいイメージを持つことが出来ています。
実際に最初の就職時は最初こそ良かったものの、激務になれば愚痴ばかりの毎日でした。人間関係や変化のない仕事に対してのストレス耐性が無かったからだと思っています。単に合わなかっただけで前職に対しては恨みはありません。
今は趣味も仕事も両立して、職場で一生のパートナーも見つけられて、いい生活を送っています。

わがまま就活でも自分にあった企業が見つかるかもしれません。


以上です。長文ありがとうございました。

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