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一個超えた、気がした話


自分の代わりは大勢いるということ。

むしろ代わりにすらもなれないということ。


自分には突出した個性がないということ。

そして、圧倒的なものを持っていないということ。


みんなができているのに自分ができないこと。

自分よりもかっこいいものを持っている人が周りにたくさんいること。



それを実感してお風呂で泣きわめいた夜(明け)の話。笑





2年前くらいに偶然出会った人たちの存在が
奇跡のような変化をを日々自分に与えてくれている。


映像みんなで作ったり、
自分と向き合ったり、
インド行ったり、
無人島行ったり、


そこで出会う人は、
底から救い上げてくれるような写真を大事に撮る人や
本当にかっこいい映像を撮る人、
今の自分には理解できないような価値観を持つ芸術家や、
大切に音楽を作る人、
みんなを引っ張ってくれる人や、
優しい言葉をくれる人、
存在自体が救いな人、


みんな自分には無いものを持っているかっこいい人間だ。



とっても多くの大切なものを受け取っているのは事実で、



でも、時々、思うことがある。

きっと、知らなかったら、もっと楽で、
もっと簡単に生きられていただろうなって。


こんなにもかっこいい人たちに出会っていなかったら、

もっと、って。


ありがたい環境にいることは事実で、
出会いに恵まれすぎていることも理解している。


でも、だからこそ、悔しいと感じることが多い。



年齢は置いておいたとしても、

持ち合わせている感性や技術その他諸々に目を向けると

自分はいつもピラミッドの最下位にいるし、

どこを見てもかっこいい人たちしか見えないし。


周りには才能と努力の塊たちがいて、

自分にはほんと、何もない。




そんなことをすごく考えたお風呂タイムだった。


自分、やばいなって、

このまま行ったら、このまま終わるなって、

納得いく前に終わっちゃうなって、

焦らなければいけないと焦り、


もっと飛び込めばいいのかな、とか

もっと人と話せば何かが変わるのかな、とか

弱さを改善していけば納得できるのかな、とか


そんなこと考えてたら、

赤ちゃんみたいに顔ぐっしゃぐしゃだった。笑





でも、考えてみたら、


そこまで本気になれるようになったこと、

そこまで写真と映像が芯から好きになっていたこと、

そこまで頑張りたいと思えていたこと、


全部事実。

きっと、合ってる。

多分、間違っていない気がした。





ただ、好きなもの=映像と写真、ではなくて、

一歩前に進めていたような気がした。


そんな気がした話。




肯定も否定も好きではないです。

ただ、書き残していきます。


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