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【感情と向き合う】「見えないもの」に対する強烈な怒り編

最近、子供を寝かしつけた後の自由時間、noteを書くのではなく本を読んだりドラマを見たり。本を読んでいるのは、私が「理解できないものに対する拒絶」がすごいことが分かったから。なぜわかったのか。

例えば、「あと1年で、あなたは死ぬか、記憶を全て失って新しい人生を始めます。あなたの周りの人も同じ。お互いのことは全く覚えていない。大丈夫、あなたの魂は、そうなることを知っていて、この地球に生まれてきたのだから。」なんて言われたらどういう感情が湧いてくるか。これをとても信頼している人(あるいは「人達」)が言っていることを前提として。

私は、①ぴかりの成長をもう見られないということへのとてつもない悲しみ。②そもそも心の棚卸をしようと日々格闘しているのは、私が考える子供にとってのいいお母さん(友人のお母さんがとっても尊敬すべきお母さんなのだ。)になろうという夢の実現のためなのに、ぴかりがいないんじゃ私の夢はどうなるのよ、という強烈な怒り。
そもそも「魂」って何なのよ、見たこともないのに。勝手に死ぬとか記憶がリセットされるとか決めないでよ。と、もはや「かかってこいや」レベルで怒り沸騰。涙も止まらない。

人によっては「あと1年ならもうどうでもいいや」と思うかもしれないし「あと1年ならお金貯めなくていいし、好きなことやっちゃおう!」トウキウキしちゃう人もいるかもしれない。

さて、このワークではっきりしたこと(そう、あくまで「ワーク」です)。
私の場合、①子供への執着が非常に強い。子供がいないと私は幸せにならない。②理解できないものへの拒否、怒りがすごい。

①は正直、愛情と執着の違いがまだ分かってないものの、確かに、私の孤独をうめるためにぴかりをかわいがっている部分があることを自覚した。これでは、私の母がやっていたことと同じ。

②確かにそう!「魂」なんて壮大なものと言わなくても、例えば、私の「常識」からすると理解できないことをする人・言う人に対しては、は?!と思う。その代表選手がまさに夫。私の常識では全く受け入れられない言動乱発。おかげさまで、いちいちイライラさせられる。

自分が理解できないことなんてたくさんある。というか、理解してないことのほうが多い。そうと頭ではわかっているのに、拒絶がすごい。これが日常をつらくする原因といわれると、おっしゃる通りだと思う。

また「魂」の話に戻る。
魂にも神にも宇宙の法則とやらにも詳しくない。なので一部の方には怒られるかもしれないが、もっと楽しく人生を生きるための方便としてうまく取り入れる程度のつもりだった。なのにその「見えないものたち」にあと1年の命ですと勝手に決められると、単なる方便の域を超えている。方便に殺されてはたまらない!!というわけだ。でも、先のワークをやることで、ちっぽけな自分の理解を超えるものに対する強い拒絶感がはっきりした。

ちなみに「引き寄せ」も、私としては半信半疑。できれば証拠を示してほしいと思っていたところ、知人から「Amazon.co.jp: 現象が一変する「量子力学的」パラレルワールドの法則 : 村松大輔: 本」を紹介されて、なるほどー!と思い、量子力学に興味をもったり。
そして、魂とか宇宙とか神とか、絶賛、反感が沸き上がってしょうがないところについては、「Amazon.co.jp : 神 と の 対話」を紹介されて、むむむ、と思いながら読んでいる。

もともと、ど文系なので、何かを信じるにもデータがないと、というわけではないし、むしろ数字を持ってこられても読みこなせない笑
むしろ、「文化も言語も違うのに、昔からあそこでも、ここでも同じ考えがある」という程度で十分納得材料になってしまうタイプだ。
目に見えないものを信じたいのか?と聞かれると即答できないが、自分と違う考えをはねつけるのはもうやめたい。イライラに満ちた毎日を卒業したい。

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