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科学からみた道徳

怪我をしたスズメを拾い、2時間両手で温めていました。3時間空腹だと衰弱するらしく、周囲の民家からお米を貰って、飛べるようになるまで食べさせてました。ふくふくで可愛かった。

そんなのは当たり前と、言う人は言うかもしれません。ただ、僕には用事があったので、道端に倒れているスズメの横を一度自転車で通り過ぎました。そして20mくらい進んで、逡巡して、戻りました。

ハートフルでしょ?と自慢したい訳ではなく、前回に引き続き、

優しさは心じゃなく脳にあるよ!あと記事が長いよ!

と今から書くので、最初くらいはロマンのある内容を書いておこうと思っただけです。
感情とされるものを理論でひも解く行為は胡散臭い、またはタブーだと感じる方が多いと思います。ただ、少なからず以下の疑問を抱いたことのある方にこの記事を読んでもらいたいです。
”理想的な、社会で肯定される感性や個性はどうやって手に入るのか?生まれながらの才能なのか?”
”哲学や伝記なんかの新書を読めば、本当に自分は磨かれるのか?”
その疑問に、メンタリティはこうあるべき!等ではなく、筋道を立てて体系化した内容を届けたいと僕は思っています。

なぜ科学として見るのか

友人が悲しんだら自分も悲しい、努力できる人とできない人、忍耐力などのストレス耐性、それらメンタリティーの差が個性とも言えます。それをわざわざ科学を使って機能的に見るのは、前回の記事でも書いた、人間の脳は幼児期に適切な経験を得なければ発達しないからということに繋がります。大人になって変わったという人がいるならば、それは元々あったけど使っていなかった部分を掘り起こした、が正しいでしょう。

今回ピックアップする道徳であげるなら、教育課程中に共感器官への刺激を得なければ、細胞は別の細胞を外敵としてしか認識せず、さらに免疫細胞はそれを殺すように設計されています。こんな重要な部分が感覚的なものとして認識されている理由は、

①現代教育は優秀で不備を感じる人が少ない。
②幼少期に自ら受けた経験から”教育はこういうものだ”として疑問を持たない。

ようは教育をしっかりと受ければ、道徳ひいては共感力の著しい欠如はまずないからでしょう。
しかし、欠如はなくとも伸ばすためには何がいるんでしょうか?もしくは現代教育のどこが、人のどの部分を伸ばしているんでしょうか?
そこを今回はいわゆる道徳で比べてみます。

教育、宗教、哲学における道徳との比較

先に僕自身の結論を言うと、教育が人の形を作り、ホコリが被ってきたら掃除するための道具が、宗教や哲学です。
以下に例として僕自身の教育体験から、宗教、哲学については有名どころから引用したものを書いています。あくまで以下のものは僕の例なので情操教育と科学の理論ははたしてどれだけ合致しているのかを読んでくださっている方の経験と知識で比較して頂きたいです。またその比較をフィードバックしていただけたら、参考になるので嬉しいです。

教育…言葉としての教えも吸収しましたが、それよりも姿からの学びが多かったように思います。「人に優しくありなさい」と言われたことより、人に優しくして喜びを感じる姿を見せてくれたから、自分もそうなりたいと今も続く思いを得た気がします。

宗教…無宗教なので客観的な意見になりますが、模範解答、それも何千年も続くほどの完成度を誇る回答です。キリスト教の「隣人を自分のように愛しなさい」、イスラム教の「その者が我が身に臨むことを兄弟にも為したい~」、カントの良心の塊のような無条件の道徳律「至上命令」など。

哲学…孟子の性善説から。「人々が善を思うのは、だれもが生まれながらに道徳的本性を持っているから」また、対にあげられる性悪説には「人は環境や欲によって悪になる」ともあります。

それでは科学で解き明かされている道徳について。

人は他者の喜びを、自分の喜びとして感じる細胞を持って生まれます。道徳として教えられているものは、その細胞に刺激を与え、活性化に貢献していると思われます。一般的に心や魂と比喩されるものであり、鏡のように感情を映しあう神経細胞脳の名はミラーニューロン。

ミラーニューロンは本来、その人自身の体の動きを記憶する役目を持っています。簡単に言うと微笑むなどの動作をブックマーク(お気に入り登録)し、すぐに引き出せるようにする細胞です。本人が何かをする際に、活性化するミラーニューロンですが、自分以外の誰かの行動を見た時も同じように活性化します。人が笑うと、つられて笑う。あの瞬間は、表情だけでなく、喜びも共有したという経験はありませんか?とくに子供はそれが顕著で、大人がニヤリとするだけで喜びませんか?
幼少期において笑顔を受け取る、ただそれだけの事でミラーニューロンは一番活性化して、そして発達しています。
嬉しそうな人物写真を見てるだけでも、この細胞は活性化し、微笑みに必要な顔の筋肉は目には見えない小さな動きで反応しています。

こんな感じで、たった十数行でスズメの話も吹き飛ぶ内容を続けます。

ではミラーニューロンが映し出す共感からどのように人は優しさを発揮するのか?そこで出てくるのがストレスです。共感は喜びだけではなく、悲しみでも引き起こされます(ミラーニューロンは移し合う細胞、感情を司る場所は別にある)。ここからは分かりやすく、人の気持ちを理解できることによって、他者のストレスも引き受けてしまう以上、それを解消することによって自身の安心に繋がります。綺麗事のような話ですが、それを体現する器官がある以上、これは事実です。経済学者のアダム・スミスが「傷ついた手を見た私たちの手は冷え、程度の差こそあれ、自身の痛みとして感じる」と見えざる共感の手について唱えていますが、「いま、この人がどんな気持ちでいるんだろう」と考えなくても、僕たちは無意識に、他人の経験を自分にマッピングしていきます。そして自身のストレスを解消するための行動が、他人への思いやりに繋がり、道徳の要となります。共生のために他者への優しさを促す機能、その出発点となるのがミラーニューロンです。

以上、要約ではありましたがこの細胞の働きと今までの道徳の結びつきが、教育がメンタリティーの雛型を作り、宗教や哲学はそれを呼び起こすツールという根拠です。幼少期に一番早く、多く接する感情の映し手、親の愛は偉大の一言に尽きますね。

最後に。道徳の要と言った、この種の共感機能は人と人との関係、組織、そして経済活動にいたるまで、共存に必要な信頼の基本を担っているものだと僕は思っています。ロマンの話に戻りますが、他者を慈しみ、信じるための機能を持って生まれてくるなんて、人間とはなんちゃあ愛のある生き物なんじゃ、と感嘆します。

この記事に何かを感じる方がいらっしゃれば、ギルドハウス胎内に来ていただきたいです。そして、お前めんどくせえ事考えてんな!と言ってくれたら幸いです。吹き出すくらいに目を見開いて脳ミソの図鑑見てたら、だいぶ頭バグってきました、いやあべろべろべろあああたまうう(´ー`)

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