時間を置くこと

何かを伝える時や、何かを決める時に、時間を置く。
最近つくづくその効果に気づいている。

例えば、誰かに送るつもりで書いたメッセージがあっても、それはすぐに送らない。(夜に書いたなら尚更)
保留しておいて後で、または翌日に、再び目を通す。
書き直したい点に気が付いたり、削除したい部分があったり、付け加えた方が良いことに気づいたり、とにかくこのまま送らないで良かったと思う。
ほぼ100%そんな感じだ。
時間が許すなら数日置いて置くこともある。
なかには送らないままで放置していたものが、実際に送る必要がなかったとわかったり、送らなくて良かったと思えたりすることも割とある。


自分が書いたものを読み返すと、大体において「自分のことを知ってほしい、理解して欲しい」という欲求が脚色されて表現されている。
ただ「伝える」そのものは割と難しいスキルだ。
伝えることは、自分の感情を付け加えて表現するカタチへと変化してることが多い。その付け加えられる感情の中には、承認欲求が含まれてることが本当に多い。
感情を伴った表現だからこそ響くものがあることも確かだけど、それが文学や芸術として現れるか、負の力を持つ承認欲求として現れるかの差は大きい。

承認欲求が悪いものだと断言するつもりではないのだけど、かつて承認欲求によって苦しい思いを数多く経験してきたことを思うと、それを持たないように努める方が快適であることに今は気づいている。
そして、表現することと伝えることは別なものだと実感する。どちらも自由な行為であるからこそ、慎重に取り扱いたいと気を新たに持っている。


書いたものを送らないで良かったとホッとする。
もし送っていたとしても、あれはあれで良かったんだと思い過ごせるのであれば構わないのかもしれない。でも、それでも独り善がりなことは多いと思う。
実際にそれと同じ内容のものを自分が受け取った時にどう感じるかを知ることは大切だ。時間を置いてから読み返したり見直すことのメリットは、それを疑似体験できるからなんだと思う。


「相手」という対象がいる時には、この「時間を置く」を心がけたい。
「何であんなこと書いちゃったんだろう」とか「何であんなこと言っちゃったんだろう」の類は、できる限り少なくしたい。

それとは逆に、「自分だけが見る場所」に書いたり表現することは、時間を置かずにすぐにやるのがとてもいい。ノートや紙に書くとかスマホのメモに残すとか自分が好きなやり方で。そこには気づきがあることが多い。


こうやって考えると、時間を置いて行動できないコミュニケーションの場(仕事はもちろんのこと)では大らかになる必要があるんだなと分かる。
自分ですら「余計なこと言った」「こんな言い方しなければ良かった」は多いのだから、きっと相手だって他者だってそうだろう。

普段のコミュニケーションにおいてはそんな感じで自分や相手への負荷がかかることが多いのだから、時間を置いても差し障りのないことについては出来る限り時間を置くことを意識していきたい。
気をつければ避けられる傷については、避けるに越したことはないのだから。

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