私にとってのスピリチュアル

スピリチュアルなことを信じますか?
私は信じたいけど信じられていない、という感じ。
信じられていないと表現するのは、信じてないというのとも少し違うんだろうなと思う。
信じた方が生きることは楽になると思う。
それでも私を邪魔するのは「真面目じゃないと受け入れられない」という観念。
これが相当に強い。
だから、不思議ちゃんぽく、フワフワと、まるで自分は天使なんですみたいにスピリチュアルを語る人に接すると、一気に猜疑心が沸き起こってしまう。
むしろ腹立たしくさえ感じてしまう。ごめんなさい。
逆に、とても地に足がついてる感じがあって、スピリチュアルなことを「疑うことが出来ないような体験を重ねてきた」ような人に接すると、途端に安心感を抱く。
様々なスピリチュアル系な人達の表現の仕方を見ていると、自分に相性の良い人、受け入れるのが難しい人とはっきり分かれてしまう。
なので、なかなかワンネスというものを理解することは出来ていない。
私が抱く嫌悪感は、私が私自身に対して持つ嫌悪感であったり、他者が私に感じる嫌悪感を意味してるのかもしれない。

信じたいなら信じちゃえばいい、それが出来ない。
「楽な方を選んだら自分が成長しない」という強い固定観念があることに気づく。
今まで困難な状況の中を生き抜いてきている自分を手放したくないんだろうなと思うし、困難な状況こそ自分を成長させると思い込んでいることにも気づく。

素直、バカ正直、繊細、敏感…そんな幼少期の自分が成長していく中で、信じられないようなショックを受けてしまった体験が強固なトラウマになってるんだ、ということは確かなことだと思う。
子供の頃はそうした自分を守るバリアみたいなものを自分で持てなかったから、不快や恐怖心を抱く体験をまざまざとダイレクトに受け取ってしまう。
信じられないようなショックな体験をどう書き換えていけるのか。
信じること、信頼すること、それが私の課題みたいだ。
闇雲に何でも誰でも信じれば良い訳ではなく、自分にとって不快なことや違和感を感じることには反応しないことが大切だとも思う。
批判するのではなく、反応しない。

自分にとって快適なことを追求していくことが、私にとってのスピリチュアル。

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