私の3.11
昨日は下北沢 CLUB Queで、三年連続出演させて頂いている「電気はなくても歌は唄える!」というイベントでした。
ご来場頂いたお客さん、大切な日に大切な時間を共有してくれて、本当にありがとうございました。
『3.11』から8年。広島から遠征で東京に来ていて、メンバーと一緒に、三茶の地下鉄から地上に出た瞬間に揺れを感じました。交番近くの広場に逃げる途中で、マクドナルドの二階の窓ガラスが割れて落ちて来て、数人の悲鳴が聞こえました。
心の中は恐怖とパニックで、すぐに父親に連絡し「大変なことが起きてるからテレビつけて」と伝え、一人ではないことと安全そうな場所にいること話すと「じゃあ、この電話を必要としている人がいるだろうから切るね」と父が言って電話を切りました。そのあと、電話はつながらくなりました。
翌日のライブは、来れる人だけで開催しました。
一人暮らしの友人は、家に一人でいるのは怖いからとライブに来て、揺れる度に一緒に肩を寄せて、音楽で不安を吹き飛ばすようにして過ごしました。
3月14 日、初めて下北沢CLUB Queに出演しました。友人のミュージシャンの企画イベントで、出れるメンバーでイベントを開催するということでしたが、その頃になると計画停電や節電が始まっていて、本当にささやかですが、私は鍵盤の弾き語りをやめて、サポートメンバーのギターだけで歌ことにしました。今思えばピアノで使う電力なんて僅かだなって思えるけど、当時はパニックですし、「僅かでも電気使わない」みたいな雰囲気で、自分にできる何かを必死に探した結果でした。
ずっと憧れだったQueの初めてのステージが、まさかこんなパニックになるなんて...と正直凹んでいたけれど、あれこれ考えても仕方ないから、私はただただ一生懸命歌おうと思いました。Queの二位さんはライブ前に、非常口はここだとか、緊急時に備えた話をしていた記憶があります。
終演後、原発事故の影響で東京ももう本当はやばい!とか、良からぬ噂話が飛び交ってて。もう音楽やってる場合じゃないとか、日本から逃げた人もいるだとか、そんな話に次第に鬱屈として来て、私は夢を持って広島から歌いに来たし、もし本当に東京が危ないとしても、私は自分の夢や決意を貫きたいんだ!という気持ちが帰り際に爆発して「ああ、もういい!私は前に進むー!」って叫びながらライブハウスから出たところを、受付にいた二位さんに聞かれて(恥)、「勢いの良い姉ちゃん」という印象を今でも語られています。
そもそも、私にとって歌うことは悲しい気持ちから救われること、だったので、こんな時こそ、絶対音楽だって思っていました。むしろ、なんで今やらないの?歌わないの?自粛なの?と不思議だった。
せっかく広島から来たのに...というやり切れない思いは、「どんな時もステージに立つことを選び続ける人生への決意」に変わっていました。今もその気持ちを持っています。もし、あの日に東京になかったら、私は広島でテレビ越しにこの大震災を”傍観”していたと思うのです。
「覚悟を決めるために」私はその日、東京に来たんだと、そう思っています。
高速バスで広島に帰る途中、静岡で震度5強くらいの地震があって、土砂崩れで道がふさがって通行止になり、海老名で長く足止めされた。しばらくして運転手さんから「迂回して下道を進みますので、到着が遅れます。」と説明があった。
ツイッターには「富士山が噴火するのでは!?」とかいうつぶやきがたくさんあって、まさにその付近の山道を進むバスに乗せられた私は「ここまで来て、くたばってたまるか。何が何でも絶対生き残ってやる!」と目玉をひん剥き、脱いでいた靴をはき、一睡もせず、広島駅到着をひたすら待った。
広島についてバスを降りると少し立ち眩みがしたのを覚えています。駅前はいつもと変わらず穏やかで、なんだか夢でも見ていたのかというくらい平和な日常があった。
その後、会う人に「すごい地震だったよ」「計画停電が大変だったよ」と話すのだけど、その恐怖や混乱をちゃん共有することはできなかった。きっと、福島や宮城で被災された方と私自身も、いくら言葉や映像を使ったとしても本当に「分かり合う」というのは残念ながら無理なのだろう。
そういう意味で、本当の復興にはとても時間がかかると思っている。辛い思いをされた方の心の芯が温まるまで、たくさんの支援が途絶えることなく続くこと願っています。
昨日のステージを通して、私は震災直後、肩を寄せ合うようにしてライブハウスにいたあの時間を思い出し、8年経って、また同じステージにいることをとても尊く感じた。
生かされてるな、と思いました。
自然災害が起きるたび、「自分に何ができるのか」と問いかけるけど、正解が見えて来ない。非力さを感じたり、心が痛む。私自身が誰かの心の支えになれるほど気丈ではないけれど、もし心を込めて書いた一曲や、歌詞の一言が、この歌声が「力」になるのならという祈りのような気持ちだけは、いつまでも持って、そして丁寧に音楽を続けて生きたいと思います。
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