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バツのつけかた。 -2023.6.15


ずっと、なんにでもなれるじぶんだった。
なんにでもなれるし、なんでもできるじぶん。


「肯定のバツ」を知ったのは数年前のこと。

なにをするのか、ではなく、なにをしないのか。なんでもできるようになったからこその取捨選択、できないことはそのままでいい、それが自分の、本当の、証になるから。マルの数ばかりを数えて生きてきた自分に、今から、これから、バツをつけてあげること。それが自分にとって、救いになるような、気がした。

「バツのつけかた」あとがきより

自らが自らの意思で、自らにバツをつけることに意味があると思いました。そこに他人の存在は不必要で、だから、詩を書いた。否定ではなく肯定のバツを、責めるためではなく許すためのバツを、一人一人が、それぞれの形で見つけ出せたらいいなと思いました。

「バツのつけかた」あとがきより

この言葉たちが、心で光った。
「バツ」の意味に深みが増した。


私たちは、なんにでもなれるし、なんだってできる。
でも、そのままじゃ、なんか違うと思った。嫌だと思った。何にもなれないと思った。

だから、思った。じぶんのいちばんを、やろう。
他人がどうとか、あれもこれもかっこいいなとかやりたいとか、それを思ってしまうのはもう当たり前のことで、ギターもやりたいし料理もおもしろいし本もつくりたいし、絵を描くのだって好きだ。

だから、思った。じぶんのいちばんを、やろう。
やらないと決めることには、肯定のバツをつけよう。

それが、じぶんらしいじぶんになる気がした。
じぶんだけのじぶんに、なれる気がした。

心にまっすぐ。大好きにまっすぐ。
人に、想いに、まっすぐ。


これが、いまの私の、バツのつけかた。




「バツのつけかた」の著者である方に改めてお礼の連絡をしようと思ったら、もう連絡先がわからなくなっていました。いつかどこかで、会えたらいいな。なにかの拍子に、この記事に辿り着いてもらえたら、嬉しいな。そんな想いと、感謝を込めて。

繋がりを活かしあい地球まるごと気持ちよく生きられる、そんなあったかい世界を、本気で共創していく大学生です。あなたの想いも、形にします。