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誕生日

大人になると自分の誕生日はどんどんどうでもよくなって、いつもと変わらぬただの一日になる。幾つ歳を重ねてきたのかも忘れてしまって、「私、明日で何歳になるんだっけ?」と夫に確認してみても、「僕がいま三十六だから…」と、そもそも基準にする自分の歳を間違えて彼も考え始めるから、余計ややこしくなるということが起こる。来年もきっと同じようなやりとりをするのだろう。

そんな私たちでも、娘のこととなると「今日でうまれて一週間」「今日で十日」「今日で一ヶ月」「今日で半年」というように、一年という単位よりもずいぶんと細やかに生まれてからの日々を指折り数えてきた。いつもと変わらぬ日を、大切な一日として抱きしめたくなるのだ。子どもって偉大だ。ちゅちゅだ。

最近読んでいる矢萩多聞さんの本にこんな一節があった。

歳月は右から左へすぎさるものではない。時間は燃え尽きることのない蚊取り線香のように、うずまき状に進んでいる。樹木が年輪を重ねるように、三十九才のぼくのなかには、九才のぼくがひそんでいて、いつでも出会いなおすことができる。ことあるごとに、子どもはそのことを教えてくれる

美しいってなんだろう?より

娘の姿を通して、なんてことのない日常やモノゴトの中に美しさや面白さ、喜びを感じるようになって、それは彼女の世界を覗かせてもらっているのだと思っていたけれど、潜んでいた私の感性が反応している、という面もあるのかもしれない。そうだと、より嬉しい。

私の誕生日、そして娘の生まれてから307日目、十ヶ月と一日の今日におめでとう。

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