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神との日常②「魂の課題はいくつあるのか?」

光「魂の課題は、いくつあるんですか??今世で乗り越える課題は、全てクリアしました!とは、ならないんですか??」
 

神「一応言っておくが、その課題は、私が用意したものではないぞ。生まれる前に自分で計画した課題ということを知っておく必要がある。
 
課題に直面すると、多くの人は、誰かのせいにする癖がある。しかしその性格も、その人生も、その課題も、全部自分で決めてきた。計画を決める段階では、神や他の高次なる存在にアドバイスをもらったりはしたであろう。しかし、最終的には全部自分で決めた。神は、その計画をみて「いってらっしゃい」と言うだけだ。
 
才能に関しても、よく「授かった才能」と言う表現を多くの人が使うが、今世の自分に必要だと思って、自分で選んで持ってきたものが才能である。何事も、受け身ではなく、挑む姿勢が必要になってくる。そうすれば、自分の人生を生きる覚悟が出てくる。何事も自分の責任になってくるからな。人は自分のことでさえ、責任を持ちたくないらしいな。親に言われた通りに、次に先生に言われた通り、そして会社の言われた通りに生きれば、何か問題が起きれば、誰かのせいに出来るらしい。無難な人生を歩みに、生まれてきたわけではない。自分で意思決定をし、責任を持って、自分を生きていきなさい。
 
 

さて質問に戻ろう。課題にゴールはあるかに関してだが、ゴールはない。魂は永遠だからね。課題はいくつあるか? と言うより、課題をいくつクリア出来たか?が重要。今世でもう学べる課題がないと魂が判断したら、肉体から離れ、魂に戻っていき、いわゆるあの世で、今世の成績を指導者が判断する。判断といっても、地球のように、あの人より勝っている、ここはあの人より劣っている等、他人と比べる訳ではない。魂の成長具合を判断されるが、その話は、ここでは詳しくは話す必要はないだろう。
 
課題が嫌なら、課題から離れたって構わない。怠けたって構わない。今のステージに留まってもいい。判断するのは、いつも自分自身だからね。
 
魂にとって、成長や学びはエネルギーとなる。課題をクリアすればするほど、エネルギーは強くなっていく。君はいくつ乗り越えたいのか?今世でクリアしたいのか、それとも来世に持ち越すのか。面倒な課題だからと言って、放っておけば、死ぬまでその課題に悩まされるだろう。しかし、面倒な課題に立ち向かい、乗り越えられれば、それ以降の人生のおいて、その課題には悩まされない。どちらを選ぶかは、君次第だ。
 
 
そう考えると、どうだ? 君は、幸運なことに、大病をした経験はない。まだ両親も健在だ。最愛の家族を失うという悲しみの経験もまだないな?」

 
 
光「本当に幸運なことに、まだないですね。それらの経験は」
 

神「必要な課題は、人によって違う。君にできることは、今の課題に、感謝をして取り組むことだ」
 
 

光「そうですね、悲しみの乗り越え方・・・。きっと、多くの人が抱えている課題かなと察します。神様からアドバイス頂けますか?」

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