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人間は戦争や虐待されたり理不尽な目にあったりしてもなぜ生き続けるのか?

希望があるため。

希望とは、自分の希望ではなく、子供など、未来に向けた希望。 悲しい事実だが、戦争の起源は、人々が希望を抱いている所から戦争が始まる。それぞれがそれぞれの希望を抱いており、それがぶつかる。自分の方が正しい、自分の方が合っている事を証明するためにぶつかり合いが始まる。


そしていつか、証明が承認に代わり、自分が強いことを証明するために、自分より下の身分を作る。自分より下の者がいなければ、自分が上の立場ということを、証明できないから。 人間はこれをずっと繰り返している。今もなお。 意見を聞けば、自分の国の更なる発展という希望を抱いてはいる。しかし希望を抱きすぎると、それを証明するための行動に代わっていく。


もし証明を辞めるということは、負ける事を意味し、自分が下になるのが怖いのだ。だから戦い続ける。戦い続ける事で、逃げ続けている。


嫌な思いを強いられている人にあっては、子供にはこんな想いをさせたくないという未来の希望を抱き、必死に歯を食いしばり耐える。


この連鎖を止める必要がある。止める必要があるとは思わないか? しかし人々は、どこか他人事。同じ地球上で起こっている人間同士のことなのに、自分には関係ないという顔をしていて生きている。 もしくは、自分には降りかかってこないことを祈っている。


この無関係にも問題がある。 国を動かす力は、1人の人間にはないかも知れないが、何か行動ができるはずである。 この疑問を抱くということは、関心があるはずだ。 自分が何かしたって何も変わらないと思わず、小さくても、誰にも見えない一歩でもいいから、自分に出来ることをしていくことが、未来を変える一歩となる。 無関心から関心を向けるだけでも、確かな一歩である。

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