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感冒とは何か

吾人(ごじん)が社会生活をする上において、風邪(かぜ)を引かぬようにすることの可能であるや否(いな)やをまず考うべきである。恐らくこれは絶対不可能であろう。何(なん)となれば、風邪を引くということは寒い思いをするためとされている。故(ゆえ)に就寝(しゅうしん)の際寝衣(ねまき)を着替(きが)えること、起床(きしょう)の際衣服に着替えること、入浴の場合または降雨や寒風の際の外出等々はいずれも風邪引きの機会ならざるはないであろうから、このような機会を一日といえどもまったく避けることは何人(なんぴと)といえども至難(しなん)であろう。

これについて私は、世人(せじん)のあまり気づかない点を説いてみるのである。それは実際上、必ずしも寒い思いをしても風邪を引かない場合もあり、また風邪を引く場合もあることである。それはいかなるわけかというと、寒い思いをしても風邪を引かないのは全然熱のないときであるが、寒い思いをして風邪を引くのは、実は微熱(びねつ)があるときである。その理由はこうである。微熱があって風邪を引くという場合は、実は風邪(かぜ)を引きかけているとき、すなわちその前駆(ぜんく)としての微熱(びねつ)であるから、その場合寒い思いをしてもしなくても風邪を引くことになっているのである。また特に微熱のある場合は、寒い思いをしなくとも悪寒(おかん)があるから、どこにいても、厚着をしても非常に寒いのである。

しかしながら、ここに特に知っておかねばならないことがある。それは気候が更(かわ)り、寒気に触れる場合、その寒気に順応すべく自然浄化作用(しぜんじょうかさよう)が発生する。そのための感冒(かんぼう)もあるが、これは予防は不可能である。

以上のごとき理由を考うるとき、風邪に罹(かか)らないようにすることは、絶対不可能であることが知らるるのである。したがって、風邪を引かぬように注意するなどということはできない相談で、何(なん)らの意味をなさないばかりか、むしろ神経的になるという悪影響さえ蒙(こうむ)るわけである。私は思う。およそ世の中に注意によって風邪を引かぬようにでき得る人が一人でもありやということである。

そもそも、感冒とはいかなるものであるか、医学においてはいまもって原因は不明とされている。しかし私は、私の見地から概略(がいりゃく)説明してみよう。まず人間の健康および不健康とはいかなる原因によるかというと、それは血液の純不純によるのである。すなわち健康とは浄血(じょうけつ)の持ち主であり不健康とは濁血(だっけつ)の持ち主である。しかるに幸(さいわ)いなるかな、濁血者といえども人体は不断(ふだん)に浄化作用が行われつつあるから、その結果として血液中の汚濁分子(おだくぶんし)は一定の局所に集溜凝結(しゅうりゅうぎょうけつ)する。すなわちさきに説いたごとき第一浄化作用であり、次いで第二浄化作用が起こり、凝結毒素の排除(はいじょ)作用が始まる。これを称(しょう)して感冒というのである。そうして発熱によって凝結(ぎょうけつ)毒素が溶解(ようかい)、液体化し、喀痰(かくたん)となるが、喀痰はいったん肺臓内(はいぞうない)に滞留(たいりゅう)する。それを咳嗽(がいそう)という喞筒作用(ポンプさよう)によって吸出排泄(はいせつ)する。この理によって、感冒(かんぼう)とは最も簡単なる浄化(じょうか)作用にして、これあるによって濁血者(だっけつしゃ)も浄血者(じょうけつしゃ)となり、健康は増進さるるのである。故(ゆえ)に結核(けっかく)防止の第一条件としてはできるだけ感冒に罹(かか)るようにすることであるにかかわらず、右の理に不明である医学は、かえって感冒を悪化作用と誤解し、極力浄化抑止(よくし)をするのである。この理によって、結核蔓延(まんえん)の主なる原因としては、感冒に罹らぬようにしたり、せっかく感冒に罹っても、薬剤その他の方法をもって浄化作用停止を行う。そのためであることを知らねばならないのである。

故に、感冒とは、神が人間に与えた大なる恩恵であるとともに、自然的生理作用ともいえるのである。

(「結核の正体」昭和十八年十一月二十三日)

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