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善意の罪悪

この題を見たなら皮肉に思えるかも知れないが、適当な題名がないから右のようにつけたのである。ではその意味は何かというと、現在のお医者さんであるが、考えると実に割が合わない職業と思うのである。なるほど医師自身はすばらしい進歩した医学と思っているが、実際は病気なるものの原因は全然分かっていないことである。したがって病人から原因や見込みを訊(き)かれた場合、病人が満足するような答えはできないので、常(つね)に困っているのは吾々(われわれ)にもよく判(わか)るのである。なによりもラジオや新聞などに出ている病気の質疑応答(しつぎおうとう)などを見てもそれがよく表れている。ほとんどは曖昧極(あいまいきわ)まる一時逃(のが)れでしかないことは、医師自身も知っているであろう。しかも治療(ちりょう)にしても医師の言う通りに治ることは滅多(めった)にない。そのほとんどは見込み違いで、悪化したり余病が起こったり、請(う)け合った患者の生命が(失)くなることもよくある。そのつどいい訳に頭を悩ますその苦しみは、察するにあまりあるくらいである。

また中には手術や注射のやり損(そこ)ないで、思いもつかぬ不幸な結果になったりするので、怨(うら)まれたり裁判沙汰(ざた)になりそうになることもあるので、これらも大きな悩みであろう。その上夜が夜中でも呼ばれれば行かないわけにはゆかず、病気によっては容易に苦痛が治まらず、ずいぶん困る場合もあるようだ。なにしろ医療は一時抑(おさ)えであるから、病気によっては一時抑えが利(き)かない場合、手を焼くこともしばしばであろう。その上近頃は税金攻勢で経済的にもなかなか骨が折れるという話である。

以上ザっト書いてみたが、要するに医学はまだ至って幼稚(ようち)であるにかかわらず、実価以上に買いカブられている。それが原因で種々な悲喜劇を起こすのである。滑稽(こっけい)なのはよく新聞やラジオで病気の質疑応答(しつぎおうとう)があるが、少し面倒(めんどう)な質問に対しては”貴方の病気は専門家に診(み)てもらいなさい”というが、これくらいおかしな話はあるまい。質問者は散々(さんざん)専門家にかかっても治らないから、余儀(よぎ)なく質問するのである。こんな見え透(す)いたことだから、応答者も気がつかないはずはないと思うが、それを真面目(まじめ)な答えをするのは人を馬鹿にしているように思われるとともに、問者(もんじゃ)も満足するとしたらいかに医学迷信に囚(とら)われているかが分かるのである。いま一つはよく正しい医師にかかれとか、正しい治療(ちりょう)を受けよなどともいうがその言葉を本当とすれば正しくない医師と、正しくない医療があるわけである。では右両者の正不正はどこで見分けるかであるが、この見分け方の方法を知らしてもらいたいと言いたくなる。例(たと)えば正しい医師とはどういう人物であるか、学歴か経験か肩書か、あるいは良心か、それの判別は恐らく不可能であろう。また療法(りょうほう)にしても素人(しろうと)である患者に正不正が分かるはずはない。とすればこの答えはまったく一種の遁辞(とんじ)でしかない。しかし私はこれを尤(とが)めようとは思わない。むしろ気の毒と思っている。というのはいつもいう通り、現代医学は病気を治すことも、病理を知ることも無理であって、全然分かっていないにかかわらず、進歩したなどと思うのは錯覚(さっかく)以外の何物でもないのである。それは白紙になってこの文を読んだら分からないはずはないと思う。

以上によって現代医学こそ世紀における驚くべき謎で、忌憚(きたん)なくいえば善意の罪悪といっても否(いな)めないであろう。というわけで現在医師諸君は仁術(じんじゅつ)と思って施(ほどこ)す方法が、実は逆であるから、一日も速やかにこれに目醒(めざ)めさせ世界から病(やまい)を駆逐(くちく)すべく日夜奮闘(にちやふんとう)している吾々(われわれ)である。

(「栄光」百八十七号 昭和二十七年十二月十七日)

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