予定していた人生を手離した先にあるものは

 日曜日、長女が通う学習塾の説明会に参加した。今まで参加したことのある保護者会や説明会を想定してテンションもそこそこに行ってみたのだが、、なんだかものすごく面白いじゃあないか。
 受験に役立つ効率の良い勉強を、という考え方を決して推奨せず、学ぶ楽しさ、面白さに根ざした教育を行うその塾、実は私自身も通っていたのだが、当時の私はそういう理念がわからず、そんなこむつかしいことはいいから受からせてくれよ!などと不謹慎であった。今だから分かるのか、この魅力。自分がもう一度25年ほど若返って授業受けたいと本気で思った。

 説明会終了後、テンションが上がった私の興奮気味の脳ミソは、話が面白い人ってどういう要素があるのだろうかと考え始めた。必須の要素としては、話し手がとにかく楽しんでいる。楽しい!を、伝えたい!、で溢れていることかと確信。学生時代、きっと、ちょっと変わった人たちだったのであろう塾の講師たちは、紛れもなく輝いていた。

 自分にはあまり話術はない。何より、伝えたい!があまりないことを、ちょっぴり残念に感じている。今回の説明会で、とても良いヒントをもらった。かねがね、臨床を通してわき出る法則性の欠片について、形にしたいと思ってきたが、いかんせん、他人の辛い話がベースなので腰が重たい。診療も決して嫌いではないが、診療していてワクワクすることはあまりない。重症な人が来るとテンションが明らかにあがっている同僚をみると、正直ドン引きする。だって、目の前にやってきているものって、「苦しみ」なんだから。全くわからない。
 しかし、そこに、何か前向きな感覚を持たせないと、ケースを書くとか法則性を語るとか、そういった創造のエネルギーは湧いてこない気がした。

 診察に来る方の多くは、苦しい、悲しい、辛い、我慢ならない、許せない、といった感情を抱いている。精神科の性質上、そうなるだろう。たまにハッピーすぎて周囲に連れてこられてしまう方もいるにはいるが。いずれにしても、その人の人生はまるで行き止まりのようになっている。私の役割は、その方の苦しみが減っていく道のりを、なんとか支えながら歩むというのが、これまで自分がイメージしてきた診療である。

 先日、身体の不調で、これから開けていくであろうことが予見された未来を、いったん手放す決断をした友人があり、その友人に集まってきたコメントのなかに、宝物のような言葉を発見した。
We must be willing to let go of the life we planned so as to have the life that is waiting for us. (ジョセフ・キャンベル)

 この言葉に出会って、自分が歩いてきた道も、患者さんを通して教えていただいたことも、まさに、まさにそうだと心が頷いた。

 ならば。私は今後、私の診療へのイメージを少し変えてみよう。苦しみは、苦しみである。でも、目の前のその人の未来には、この苦しみで手放さざるを得ない、または変わらざるを得ないことを通してやってくる、その人を待っている人生がある。それってまさにミッションに導かれること、希望ではないか。この人はいま、壁を目の前にしているけれど、きっと必要なメッセージを受け取ったら、もっと素敵な生き方ができる人に羽化していくんだろう。それを待っている人がいる、待っている世界があるのだろう。未来を望み見るはたらきを、私の仕事の一つの側面として追加しよう。

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