BLUE GIANTの演奏シーン


映画「BLUE GIANT」見た。原作読んでないけどこれはきっと構成が上手い。以下少しネタバレします。

仙台編カットし、後年の関係者インタビューを挟む構成でメリハリ良く映画1本に原作第1部をまとめたのは見事(原作読んでないので、推測に過ぎないが)。
インタビューにはいろいろ効用あるけど、リアル感。カメラ越しの映像と、そこから外した(実際にはないカメラを通した)映像を連続する演出はアニメだと特に映える感じがする。

脱線すると、筋書きとして、この映画の終了時に宮本大は1人になってしまうことがインタビューからわかる。それがニクい。雪祈、死ぬか挫折するんだと思って見てて、だんだん演出は死に向かってるなーと思ってたんだけど、まあね…


で。演奏シーン。本題。

まず絵の情報量の点からいうと、アニメは実写に勝てない。どんなに楽器作監入れてユーフォニアム描いたって、1枚絵の情報で実写に勝てることはない。
その分アニメはあることないことを画面に出すのが得意なので、画面上でキラキラな世界に観客を連れて行ったり、別の景色がオーバーラップしたり、変なモノローグにつつまれたり、がよくある手だと思う。すごく効いてるときもあるし、逃げじゃね?って思うこともある。後者が多いかも。

それでいうとBLUE GIANTはしっかりリアルに、地に足のついたカットを重ねていた。音が鳴る前のジャズバーの静けさ、せまさ、そこに音が響き渡っていく様子を、縦横無尽に描いた。
観客4人から始まったライブシーンは、徐々に盛り上がっていくが基本線は変わらない。空間の冷たさと音の広がり、人の躍動、そういうのを拾っていく。テナーサックスから噴出されるエフェクトのキラキラ度合いは上がっていくが、まだ地に足はついてる。
でも起承転結の転のとこでまあ話が然るべく駆動したあと、ラストライブは一転して空想的な絵作りに溢れている。過去回想や反実仮想が去来し、抽象的な画面も混じる。正直ここまで来ると見てる自分もボロボロ泣いてる(僕のアイデンティティはピアニストなのだ)し、映像にだいぶしっかり没入してるから全然違和感はない。なんならこの記事何の検証もせず初見の印象で書いてるから、改めて見たら全然事実と異なるかもしれないが、確かそれくらいラストライブはぶっとんでいたはず。

そういうとこにすごく惹かれたというか、アニメならではの切り札を温存しつつ、演出の地力でもっていく前半から、物語テンションの高揚につれてすーーっとアニメっぽくなっていくその鮮やかさはすごかった。いうてどっちも好きなんだけど、こういう見せられ方(のはず!)すると吹っ飛ばされちゃうよね。
さすが立川監督、さすが武井プロデューサー。

色々良かったけど語りたくなるのはそこでした。

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