【第2章|{奇襲劇:The Accident}】〔第2章:第3節|手に余りある枯れ尾花〕
「朗報。――帰って来た」
メイロの声に待機していた一行が、それぞれ立ち上がる。
駐車場に入ってきた四人は……遠目からでも、見るからにズタボロだった。
「ドンソウ、シダレ、救急キットを」
グレンはそれだけ言うとすぐ、『基本戦闘服』のメイロと先に、四人の元へ。
全員ずぶ濡れだが、『基本戦闘服』は役に立っていたようだ。身体欠損や視認できるほどの大きな負傷はない。顔にはところどころ傷が見えるが、どちらかと言えば、疲労感の方が強く顕れている。
ソウガの顔を見てグレンは訊いた。
「――大丈夫か?」
「……自分で見れてないんだが、そんなに酷いのか? 存外、痛くはねえんだけど……」
「深くて広い。血は流れ切っているがまだ赤い。手当てしてもらえ」
ドンソウが「お、おかえりなさい……」と救急キットを持って目の間に。同じくシダレもやってきたが「……無様ね」と、出迎えにしては非道い言い様だった。
「よく戻ってくれた、冬のヴァイサー。全員生きてて何よりだ」
濡れた髪を振り、クルキは自嘲するよう言い捨てた。
「……結果は散々だ、剣のヴァイサー。状況は尋常じゃなく良くない」
グレンはクルキの肩を叩くと、クフリへ。
「何があった?」
「襲われてたから手助けを。撤退を優先して南下。滝に飛び込んで河辺から上がって、ここまで山道を歩いて来たわ。たぶん、尾けられてはいない」
「そうか。……詳細は――」
隣でキキが、ぶるっと震えた。
「……先に、シャワー浴びちゃダメ?」
「――あれの正体は、『魔女』だ」
ガラスに映ったクルキは、その右頬の三日月型の傷痕を撫でながら、かの「フードマント」の正体について、静かに告げる。
『ブロッサム・アーチ』のスイート・ルム。
キキ――延いては全員の希望が叶えられ、一行は――グレン、アンテツ、クフリ、メイロ、ドンソウ、キキ、ガンケイ、シダレ、バンキ、ソウガ、そしてクルキの十一人は、バスローブ姿で集い、向かい合っていた。
傷の手当てと情報交換が同時並行で行われた。
フードマントに接触した四人は、その身に何があったか報告しながら、各々負った傷に処置を施されていった。ソウガの左頬もしっかりと洗われて、今はガーゼが貼られている。
クルキは唯一、「人工物は好かない」という理由で、白い肌の上に引っ掻き傷を露わにしたまま、カーテンの開かれた窓から外の暗闇を見下ろしていた。
背もたれの高い椅子に、逆向きに座っていたキキが、背に両手を置き、その上に顎を乗せた姿勢で訊き返す。
「魔女って……あの魔女? 帽子とか箒とか……杖とか、大きい鍋とか……?」
「嗚呼。大体そうだ」
「魔女は嫌イだ」
ベッドにもたれかかって、床に座っていたバンキがそう呟いた。
「魔女と戦ったことが?」
「ネエよ。デもおレの故郷ジャ、災厄の象徴だッた。よくあンだろ? シャーマンとか、バーバ・ヤーガとか。おレンとこは、ジェンチャネル婆チャン、だッたケどな」
「どんな奴だ?」
「どンなッテ……朝と夜ニ、顔ニなンか塗ッテ……砂漠ニ、家建テテ……」
「砂漠? お前どこの出身だ?」
「……阿州」
「魔女の発祥と主な生息地は欧州だ。割と近いから本物の可能性もあるな」
「マジかよ……」
珍しく、何かのショックを受けた様子のバンキ。
「取り敢えず、今夜逢ってみて、あんまり好きじゃないってことはわかったよ」
ソウガの胸の内を代弁したキキ。シダレがクルキに言う。
「――でも、どちらかと言えば、アンタらの方が嫌いでしょ」
「そうだな。人外差別は良くないが……個人的にも、大っ嫌いだ」
クルキは外を見ながら、苦々しく吐き捨てた。
〈四宝ソレット〉は魔女が嫌い、ということは、この場にいる全員が周知の事実であった。
――『先の大戦』の大戦犯。
――〈四宝ソレット〉の人員不足の原因は、魔女である。
――『先の大戦』。
正式名称は『サバト戦争』であるも、戦死者数があまりに多かったために、その呼称は滅多に口にされない。この数年で最も被害が大きく、凄惨な歴史の一つであった。
――『サバト戦争』。
針子村と〈ソレット〉に関係がある、人間社会の史実である二度の世界大戦――ではなく、一年ほど前――昨年の今頃に発生した、〈四宝ソレット〉対『魔女』による人外戦争。
『サバト戦争』の詳細は、一介のエィンツァーたちには知らされていない。ヴァイサーたち――グレンやアンテツ、他のヴァイサーはそれなりに知ってはいるだろうが、〈ソレット〉は他の〈ソレット〉の任務に関して、互いに報告の義務はない。もっと言うなれば、専門とする任務に関して、口出しはご法度に等しい。その中でも、〈四宝ソレット〉は『人外』を専門とする特性上、かなり堅牢な秘密主義である――ソウガのような新参者が知る由はない。
ソウガ以外もだ。クルキはそれを鑑みて、何があったのかを詳しく話し始めていた。
「『サバト戦争』の始まりは、オレたち〈四宝ソレット〉でも把握してない。だが当時のオレらは今より通信網が広かった。元々この国に住んでいた協力的な魔女たちが、ある町に外国から来た魔女が集まっているという噂を寄越した。……そうだ。片付けのときにお前たちも来たあの町だ。『サバト』のための儀式の居場所を突き止めたオレらは、魔女に『サバト』を中止するよう対話を持ちかけたが、二度目の対話で、交渉役のエィンツァー四人は帰らなかった。オレたちは魔女の制圧隊を編成し、『サバト』の本会場となった地下道に乗り込んだ。あとは知っての通り――戦争だ」
その後は知っている――ソウガがファンショに初めて出会い、クルキを初めて見たときのことだ。
「正直に言うけど……今日の戦闘からはあまり、強い印象は受けてないわね」
クフリはそう言った。冷静に思い返すと確かに、枝々の物理的な力は強くも、フードマント自体の強さは、あまり印象がない。一度はキキの『蛇腹剣』に捕まったくらいだ。
「だろうな。あいつは殺す気がなかったようだし、そもそも魔女はオレたち〈四宝ソレット〉と同じで、戦闘が専門じゃない。或るだけで直接死を招くような、危険度有害度が超度級な人外種とかじゃない。じゃなければ絶滅に瀕するようなことは、なかったろうしな」
「絶滅しかけてるのか?」
魔女について詳しく知らないのは、自分だけではないはずだと思いつつ、ソウガは尋ねた。
「そう聞いている。――元々、世俗に蔓延る噂話では、お前ら人間が種族名を知っているくらいには、それなりに認知されている部類だ。……本来の魔女はもっと現実的だが。認知の精度はともかくとして、古くから存在しているのは事実だし、他国は古くから――『魔女狩り』や『魔女裁判』が行われるくらいには、知る人ぞ知る人外種だ。人間とその見た目がかなり似てるというのは、言うまでもない。故に人間社会に紛れやすく、個体によっては、人間と上手く共存できるはずの『人外』種だ」
クルキは窓外の暗闇から、部屋の中へ視線を移す。クフリが訊く。
「〈四宝ソレット〉的には、どう対処するべき?」
「――人間の科学や文明の発展に合わせて、魔女は身を隠す傾向が強くなった、という歴史がある。この辺の歴史はオレら『四季人』と似たようなものだ。人間に近い近似的な『人外』種であるほど、時代が進むにつれて個体数は減少し、絶滅する――原因はそれぞれでともかく、人間以外の人種はどれも、そんな感じの境遇になる。魔女がいること自体は罪じゃない。現代の人間社会においても外国人の来訪や移住はもう、それほど珍しいことでもないだろう。あのフードマント――魔女がいつから、そして何故この辺りにいるかは知らないが、いたからと言ってやたらめったらに処刑するわけにもいかない。確かに『四季人』は魔女が嫌いだが、方針は変わってない。『異して《反》すと|事勿れ』――矜持に基づいて探し出し、事情や目的なんかを訊き出さなければ。――ずっと昔からあの辺にいたのかもしれないし、つい先週来たのかもしれない」
クルキは無意識に頬の傷を撫でながら、しかしヴァイサーらしく厳格な口調で告げていた。
ガンケイが挙手。
「でも襲いかかってきたんでしょ? 悪い魔女じゃないの?」
「かもしれないが、今夜はそれを確認できなかった。魔女は自然を好み、自然に適した生き物だ。森の中にいたから問題、というわけじゃないし、こっちも金十字に剣をぶら下げてたんだ――誤解や勘違いもあるだろう。その上で、こっちもこっちで死なないようにするのに手一杯だったからな」
アンテツが続く。
「それに、ファンショの行方に関連するなら、悪い魔女でも今は殺せない。色々と訊き出す必要があるし、良い魔女なら良い魔女で、手を貸してもらうこともできる」
「だな。――たとえファンショに無関係でもこの国に居住してるなら、オレは冬のヴァイサーとして、あの魔女を『特定管理対象』に登録しなければならない。有害なら殺せば済むが、そうじゃないなら、見極めてからじゃなければならん」
「た、大変、ですね……」
「そうだ――魔女は戦闘が専門じゃないが、専門じゃないだけで、常人よりは遥かに厄介だ。オレたちは身に染みて知ってるし、その度合いはあらゆる『人外』の中でも、別格だと言っていい。何も知らないただの人間が遭遇すれば、さっきのときみたく……触れずして殺されるだろう」
シダレは再びの欠伸。時計の針は、真東に回りそうだった。
「フぁ……。……じゃ、わたしたちの出番は終わり? 明日はホテルでのんびりして、明後日は市内観光に出ていい?」
しかし、その希望は叶えられなかった。
「いや……手は借りたい。お前らはただの人間じゃない。〈ソレット〉だ。魔女の登録は手間がかかるし、もし戦闘になれば、人員は多いほど好ましい」
「……面倒ね。わたしは――この素晴らしき才能と可能性と将来性のあるわたしに関しては、そりゃぁただの人間じゃないかもしれないけど、……残りは多少剣が使えるだけの、ただの人間――」
「人間社会に剣を持つ者はどのくらいいる? ――『正義の天秤』を名乗る者は?」
「おレら以外ニも、イるニはイるンジャネエのか? 知らンケど」
減らず口は止まらず。止めることができる者――全員が、今回代表して任務を受諾した、剣のヴァイサーを見る。グレンは天秤のヴァイサーを見ると、互いの意志が同じであることを悟った。
「――わかった。魔女が『正義』に反してるなら、遅かれ早かれ我々は出るだろう。何もないかもしれないが、見届けることは問題にはならないだろうしな」
「魔女を相手に戦った二人――と、援軍の一人は、その腕と運は認めても良い。それを踏まえれば、お前らは心許なくとも、戦力にはなれそうだ」
褒められたうちの一人――クフリが口を開く。
「そもそもの話を訊いていいかしら? ――魔女って、断定できるの?」
「どういう意味だ?」
「魔女を模倣した別の何か、とかの可能性は? 私たちは、黒いフードマントの姿しか見てない。人間と同じ見た目ってことは、あの中に実体が……身体が在ったってこと? それは事実として、断定できるの?」
「『蛇腹剣』で巻いたときは、人の腰みたいだった気がするけど……確かに、見てはないね」
キキも同調したが、冬のヴァイサーは首を横に振る。
「そこまではキリがない。魔女だと仮定する方針で、ことを進めるべきだろう」
「要求。――魔女に関する詳細な情報」
メイロはそう言ったが、シダレが挙手した。
「……眠いんだけど、もしかしてわたしだけ?」
時計の短針は「3」を指していた。
魔法――略称であり、正式名称は『魔律法則』という。
人間や他の動物が認識し、存在している物理法則――その亜側面的な法則であり、法則単体においては、人間には認識できず干渉することもできない現実。
その法則を認識し、干渉することのできる唯一の人外人種――それが「魔女」。
――他の『人外種』や『四季人』でさえ、その実態を認識できる者は稀だ。
魔女は魔法に干渉し、その整律を変える――その干渉が物理法則に影響を出すことを、結果的な総称で「魔術」と呼ぶ。
「魔法」は物体概念に宿り、魔女は魔術によってその在り方を変化させる。
「だから魔女は、自然や田舎を好む。手の付けられていない自然環境は『魔律法則』が乱されていない。都会や文明機械の中にも『魔律法則』はあるにはあるが……その濃度や整律は、魔女の求めに叶うものではない。オレら『四季人』や人間にも、『魔力』の器官はあるものの、その効力は……実体はないに等しいらしく、その辺の草木の方が魔女にとってはよっぽど有用なんだと。オレらは昨夜散々な目にあったが――瞬殺されることなく、フードマントが絶妙に本気を出して来なかったのも、全てその辺の法則に基づいて、のことだったからだと思っていい。物理法則と同様に、不都合に思える制限があるんだと――昔、協力関係にある魔女が言っていた」
翌昼。
時計の短針が「3」に向かっている頃。
ソウガと共にいる冬のヴァイサーは、魔女に関してなるべく多くの情報をと、歩きながらも小声で話してくれていた。
「国内外問わず呼称は『魔女』だが、それは女が主体での社会であるためであって、少数ながらも『男の魔女』も存在する。その場合は、魔法使いや魔術師――色々と呼び方はあるが……とにかく、捜索対象は女とは限らない。たとえ見た目が女だったとしても、魔術によって認識自体や見え方であったりの変換が可能だ。リアライズ――『現実改変術』のことを、魔術では『現実改変術』と言ったりもする」
針子村に入り、南のセンター通りを進む四人。ヴァイサーが二人と、エィンツァーが二人。
グレンとクルキは、二人とも黒いレザージャケットを羽織り、グレンはジーンズ、クルキは白のロングスカートを履いている。
「なんなら魔女によっても、得意だったり好んだりする魔術は違う。外見やら感覚やらで魔女だと判断できるような、絶対的材料はない。格好や流儀、宗派や趣向も、人間と同じく多様性があるからな」
付き従うエィンツァー二人は、シダレとソウガ。不機嫌そうな幼顔の娘は、黒のカーディガンにスキニーパンツに、スニーカー。赤い顔の傷跡を生々しく見せている気怠そうな男は、紺色のパーカーと灰色のズボンに、スニーカー。カジュアルに見える四人は一応、「観光客」という設定はあるが、昨日一昨日ほど、目的を偽る気はなかった。
二人のヴァイサーとソウガは手ぶらだが、シダレは肩掛けバッグを背負っていた。
堂々と、村人たちとに見られながら北上し、ひとまず噴水を目指す。
――どこかで、カラスが鳴いた。
「だから気をつけた方が良いって、言ったのよ」
『西の森林』――今回は、クフリとキキの担当。
樹の根に足を引っ掛けて前のめりに転んだキキを、クフリは手を貸して起こす。
日中であるにも関わらず、二人の格好は『基本戦闘服』だった。
背負っているのは勿論、十字剣。キキは『十字蛇腹剣』も背負い、クフリは『十字突出剣』を左手に。当然、十字短剣も。
森の中では、はっきりと目立つ格好だ。
昨夜とは打って変わって、陽気で明るい雰囲気の自然。
木漏れ日の眩しい中で、女二人――それは昨夜戦ったソウガとクルキが、敢えて接触班にいるのと同様。
森を進む二人は、魔女を誘い出すための措置だった。
「ここから先の展開は、全く予想が付かない」
――一時間ほど前。
床に着いてから十時間ほど経過し、南奥展望台にて円陣を組んだ全員に、剣のヴァイサーは真摯に弁じていた。
「理想的なのは、魔女が姿を現し、昨夜のことは誤解だと判明し、ファンショも無事に帰ってきて、魔女は登録。針子村は何事もなく、これからも繁栄して終わり――だが、十中八九そうはならないだろう。現状、確定している情報も、その存在も、全てが我々〈十字ソレット〉においては未知だ。相手が魔女かどうかすら、針子村に居住しているかどうかすら……何分も不明瞭なまま、敢えて露骨な接触を試みる」
冬のヴァイサーが言葉を継ぐ。
「魔女は、存在だけなら問題はないが、魔術による状況展開は、こちらにかなり不利になる。オレのような高位の『心恵』保持者ならともかく、お前ら人間には不都合しか起こらない、と言っていい。だから気は許さず、不用意な戦闘は全力で避けろ。昨日は逃げ切れただけまだマシだったと……捕まれば死、を覚悟しろ」
グレンはシダレとソウガを見た。
「村人に顔がバレていないのは、我々と君らだけだ。申し訳ないが付き合ってくれ」
「了解」――とソウガ。
「いざとなったら?」とシダレは窺うが――「必要ならそのときに」とグレンは短く制す。
「魔女との戦闘は最終手段だ。捜索班は各所の不審を探れ。ファンショ、魔女、針子村――本任務は、徐々に不都合が重なりつつある。時間の問題だ――これ以上何かが起こる前に、ことの収拾を図りたい」
再びクルキ。
「言った通り『魔力』と『魔法』は自然の中で――植物やら土やら空気やらと、近ければ近いだけ、活用範囲と干渉力が広がる――捜索班は、相手に地の利があると理解して、充分に注意しろ。何かあってもオレらが助ける余裕はない。あいつらは、良くも悪くもありとあらゆる事象をもたらす……物理法則に対しての見識が、オレらとは天と地ほども違う。特に、物体的な概念は全て、向こうが優勢に働くと思え」
続いて、天秤のヴァイサー。
「明確には、これは『戦闘任務』じゃない。――けれど、有事の際は躊躇するな。まずは逃げに徹し、それでダメなら剣を抜け」
ソウガは画面越しに何度も目にしたが、実際に噴水を見るのは初めてだった。
水だけなら幾らでもあるといった印象の針子村。水路と怪訝な視線に挟まれながら北上した四人は、噴水の前で屯していた。
「『実際見るとガッカリで賞』をあげるわ」
「田舎の名所なんて、こんなもんだろ」
名所と口にして、正しくないな、とソウガも思ってしまった。金を出してまで見たいかと言われれば、「ノー」と答えるだろうとも。豪雪を走る列車の方が、まだ楽しそうだ。
「で、どうするんだ?」
冬のヴァイサーは剣のヴァイサーに問う。
グレンはいつも通り眼鏡をかけていたが、待機班のアンテツとは針子村に入ってから連絡が取れなくなっていた。通信できれば、二十四時間前の情報を照会し、補足する形で捜索を進行しようとしていたのだ。
が、案の定繋がらず――グレンは訊き返す。
「魔女はどうやって探す?」
「率直に言うが……わからん。オレたちは魔女を認知しているだけで、理解しているわけじゃない。言った通り人間そっくりだからな……区別が付けられるような特性は知らない」
ロータリーを見回す――建物を出入りする村人、軒先にいる村人、四人を凝視している村人――全員が、特段怪しいようには見えない。
「ねえ」
不機嫌そうに黙ったまま腕を組んでいたシダレは、三人の視線に、その背後を顎で指す。
振り向いたのは、ロータリーの外周。
東の通りと南の通りとの間。南東に位置する、日本家屋が斜めに立ち並ぶ真ん中。
赤茶色の三角屋根の白い建物。田の字型の小さな窓と茶色の開き戸の横に、縦書きの看板。褪せた色の筆記体のようなフォントで、「喫茶処」の文字が刻まれている。
看板の近くでは――一人のウェイトレスが、窓下に並べられた鉢植えに水やりをしていた。
「――誰だ?」
記録映像を見ていないクルキがシダレに訊く。ウェイトレスは四人の視線に気付くと、にこやかな笑みを浮かべ、軽い会釈をした。そのまま店内へ。
「――あれ、利用できるんじゃない?」
「――待ってよ」
『基本戦闘服』は元より、個々人の身体や装備に合わせて、細部がそれぞれ異なっている。
しかしその違いは精々、各所の長さや幅のみであり、デザイン的な違いは殆どなく、大体は白金銀の配色と、見るからの特殊であったが、ガンケイの『基本戦闘服』は、隣を歩くバンキや他のエィンツァーたちと、その見た目が大きく異なっていた。
両手脚と胴体、それから背中や首に至るまで――ガンケイの全身には強化外骨格のような、少し厚めの装甲が付いている。見た目通り、耐久性や防御性は高そうであり、同時に機動力は低く、重そうでもある。というか、実際に重く、故に、一緒に歩いていたバンキが、先に前進してしまうのは、自然なことだった。その上で、背負っている十字剣と右腿の十字短剣は同じである。
この『基本戦闘服』の装甲自体が、ガンケイの『個有武具』だった。
「――全部置イテくリャ良かッたンジャネエか?」
「アンテツが言ってた『有事の際』はどうするのさ。剣と短剣が二本ずつだけで、魔法使いの相手ができるとでも?」
「意外と何とかなるンジャネエか? あと、魔法使イジャなくテ、魔女だ」
「……もしかしたら知らないのかもしれないけど、昨日の夜は四人で絶体絶命だったって。用心に越したことはないでしょ」
二人の視線の先には、まばらに立ち並ぶ樺と、その足下に茂る薮。
針子村の外周に沿って、左に弧を描く――『東の茂み』。今は目視できないが、その先に広がる砂利の一帯を超えた先に聳えているのが目的地――『北の岩崖』だ。
今いるのは、『南の林道』の東端。これから『東の茂み』に入り、やがて崖登りを行う。
「こっからは、かなり目立つよ」
「わかッテる。おレミたイな良イ男は、どこニイたッテ目立ッチまう。……魔女の好ミジャネエことを祈るゼ」
――どこかで、カラスが鳴いた。
「いらっしゃいませ。どうぞ、お好きな席に」
ドアベルを鳴らして入った店は、古めかしい雰囲気が漂っていた。
木目模様と白い壁。カウンター席と、丸椅子に円卓。奥には座敷も見える。壁際には長方形のテーブルとソファベンチ。全体がかなり褪せているが、白と茶色のみで構成された内装は、そのシンプルさはセンスが良い――少なくとも、ソウガから見れば。
ドアが閉まると、ベールが一枚被されたような、籠ったセピア色の雰囲気が広がる。だが、長く籠ったような空気ではなく、新鮮でなくとも不快な気は感じない。
他に客はいなかった。田舎集落である以上、それはしょうがないことだろう。
四人を迎え入れたウェイトレス――その胸の名札には「クリエラ」と。手近な円卓に座った四人に、ウェイトレスは銀の盆を持ち、メニューを差し出す。代表してグレンが受け取った。
「ご注文は? 水の村ですので、オススメは紅茶ですよ」
「では紅茶を四つ」
「はい。少々お待ちを」
ウェイトレスは店の奥――カウンターの端から、暖簾をくぐり厨房へ。厨房には一人、顔は見えないが、料理人であろう人物がいた。店内には、極薄いジャズが流れている。
「で、あれは誰だ?」
クルキは小声で再び問う。グレンも小声で答えた。
「昨日、アンテツたちが接触したとき、話を訊けなかった女だ。代わりに幾つか、村の内情を知ってそうな人間を紹介してもらった。だから多少は、もう少し詳しいだろう。観光客のフリをして、その辺の情報を訊き出す」
「そんな上手くいくか?」
「……さあな。数打ちゃ当たる寸法だ。話が弾めば、それだけ聴ける情報が増える」
肩掛けバッグを胸の前に回したシダレは、小声で口を挟む。
「昨日まではそこそこ計画的だったのに……だいぶアドリブが多い」
「しょうがない。二日経っても、不確かな情報しか持ってないんだ。後手に回ってる」
「『魔女を探してるんだけど』って訊いてみたら? 意外と『あそこに住んでる』って言ってくれるかもよ?」
「……最終的には、検討しよう」
「来たぞ」
ソウガが鋭く注意したとき、暖簾をくぐってウェイトレスが戻ってきた。
銀の盆には、湯気の立つカップが並ぶ。
「お待たせ致しました。お熱いので、どうぞお気を付けください」
ウェイトレスは右から順に――シダレ、グレン、クルキ、と、最後にソウガの前に、赤茶色の熱い液体が入ったカップを、ソーサーにカチャリと置いた。
ウェイトレスの視線は、ソウガに向けられたまま。ソウガと目が合っているわけではない。視線は、もっと下――。
「その傷、痛そうですね」
「えっ? ……あ、いや。それほどじゃ――」
「それほどじゃ? それは良かったです。――ちゃんと手加減出来ていたようで」
――⁉︎
……ガタッ、と。四人は弾かれたように立ち上がった。ウェイトレスは逆に、手近な椅子を引っ張って座った。
立った四人は構えたまま、見上げるウェイトレスを注視する。
「どうぞ慌てず、座って下さい。――何か、ご用があって来られたのでしょう?」
ウェイトレスは微笑み返すと、盆にあった五つ目の紅茶を、目の前のソーサーに置いた。
「……?」
再び機材の故障。……なわけないよな、と。アンテツは耳の裏の通信端末を再起動する。
――南奥展望台。今日は一人だ。
捜索が始まって一時間――誰とも連絡が取れない。
村の内外問わず、状況は不明。
「――誰か? ……もしもし?」
通信の接続先を「全員共通」へ切り替えてみる。
――しかし、返事はない。
一人での待機。
――耐えて待つしか、できることがなかった。
「――どうか座って下さい。お茶は淹れたてですし、私も幾つか、お尋ねしたいことがございます。まさか真っ先に来られるとは……少し、予想外でしたが」
ウェイトレスは銀の盆を、自分の背後のカウンターにどかした。
四対一の間で、四つと一つの紅茶の入ったカップから湯気が上がる。
シダレとソウガは、ヴァイサー二人の動向を待つ。クルキがウェイトレスを睨みながらゆっくりと椅子に座ると、グレンが続き、エィンツァー二人も続いた。
紅茶は良い香りを滾らせるも、四人は手を伸ばさず――ウェイトレスはひと口啜り、カップを静かにソーサーに置いた。
「……どれほど強く睨もうと、私に穴が開くことはありませんよ」
「くりえらあんな、という名前だったな?」
グレンの問いに、ウェイトレスは微笑み返す。
「ええ、そうです――甘栗の栗、鰓呼吸の鰓、餡子の餡に、菜の花の菜で、栗鰓餡菜、です。やはり昨日の方々は、あなた方のお仲間でしたか」
「君は魔女か?」
「ええ、そうです」
「証明しろ」
栗鰓餡菜は一瞬、不快そうな表情を浮かべたが、すぐ笑顔に戻ると、四人が見えるように両手を出し、立てた人差し指と中指を、クイッと、何の気なしに軽く曲げた。
ヴウィン。――薄くて細い閃光が、指先から壁に直進。その閃光は壁に接触すると、その表面を波打って広がった。そして、その光がドアや窓を通ると――カチャ、カタタタン――次々と錠が閉じられていった。
原理はわからなかったが、ソウガにとっては初めて魔術を視認した瞬間だった。昨夜の物理的な――フードマントを除けば。
…………ン?
「……魔術は視認できない、って話じゃなかったか?」
栗鰓餡菜から目を離さず、隣に座るクルキに訊いたが、答えたのは魔女だった。
「魔術に依るんですよ。――私たちについて知ってはいるようですが……あなたは、ただの人間に見えますね?」
栗鰓餡菜の視線は、ソウガからクルキに流れ。
「あなただけが、人間とは違います。――実に興味深い」
「――魔女も見る目がないのね。なんか、大したことなさそうじゃん」
笑顔のまま――鼻で嗤ったシダレを見る魔女。
「お若いのに、口が達者ですね」
「ええ、そうです。――とてもとてもとても達者でございますよ? よければその身に――」
「昨日の」
グレンがシダレを制し、栗鰓餡菜に尋ねた。
「フードマントはお前か?」
「……ええ。明言が必要ですか? ……でしたら――昨夜、ここから西の森で……あなたと、あなたに」
クルキとソウガを指して。
「森を使ってご挨拶をしたのは私です。……お二方は、いませんでしたね。別に女性が二人」
「ついでに――最近、オレの身内が一人行方不明になったんだが、お前の挨拶か?」
「……あなたの身内? あなたと同類のでしょうか? それともお三方の?」
「オレの、だ。――若い男で、橙色の髪、小柄、枯れ色の和装」
「――秋の匂いのする彼ですか?」
冷静に努めるクルキに、魔女の深い笑みが訊く。
「……そうだ」
「でしたら、確かに。……五日ほど前でしょうか? 回収させて頂きましたね」
「生きてるのか?」
「ええ――元気いっぱい、とは言えませんが」
「今、どこにいる?」
「私と共に……と言っても、このお店にではありませんが」
「返してもらいたい」
「もう私のです」
「…………」
「すみません、冗談です。そんな怖い顔なさらないでください。――本人が望めば、是非ともそうしてあげたいところですが……現在、本人との意思疎通ができませんので、本人の意識が明確になった際、尋ねてみます」
「負傷してるのか?」
「多少。――ですが、命に別状はありません」
「それは、お前の所為か?」
「さて……筋違いな質問です。――ですがそれも、本人が目覚めたら、確認致しましょう」
「会わせろ」
「ですから、それも」
変わらず笑みを浮かべ続ける、まるで余裕を示すような態度の、栗鰓餡菜。
「――目的は何だ?」
微小の苛立ちを見せるクルキに、栗鰓餡菜は微笑を浮かべたまま。
「……少し、昔話をしましょう」
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