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中卒ひきこもりニートから高卒認定試験の合格と実務者研修の資格取得を目指す!

これは中卒ひきこもりニートだった私が職業訓練校での資格取得と高卒認定試験の合格を同じタイミングで目指した時のことを書いた記事です。

この時踏ん張れたお陰で今は、介護福祉士&通信制大学生として生活できています。

どちらか片方もしくは両方に挑戦しようとしている方の参考になればと思います。

ひきこもりからの脱出を決意した私は、まずはハローワークに行くことにしました。

そこの職員さんに職業訓練校を勧められ、「人と話すのが苦手だからあえて厳しい道を行こう」という若気の至りのような意味不明の理論から介護の学校に通うことを希望しました。

職業訓練校とは失業中の人が再就職目指して通う、公共職業訓練を行う施設のことです。

私はひきこもって一年以上経っていたので対象外でしたが、条件に当てはまれば失業手当をもらいつつ通うことができます。

介護関係の職業訓練校は二種類あります。

初任者研修が取れる三ヶ月コースと実務者研修が取れる六ヶ月コースです。

二つの研修の違いを簡単に説明すると、昔で言う「ホームヘルパー2級」と「ホームヘルパー1級」で、初任者より実務者の方が介護士に必要な知識をより多く学ぶことができます。

私は高校を中退しており、学校という名前が付くものに苦手意識を持っていました。

変な学校だと卒業できる自信がありませんでしたので、取りあえず学校見学に行くことにしました。

二種類の学校を何校か回った時に、実務者研修の学校で、ある先生と出会います。

その先生は現役で介護士もしている方で、介護業界全体をもっと良くするために教鞭を執っている高い志しを持った人です。

見学中、介護のことを全然分かっていなかった私は先生に「わざわざ学校に行って学ぶことの意味って何ですか?人のお世話ってそんなに知識が必要なんですか?」という今考えると無茶苦茶失礼な質問をしてしまいます。

そんなアホな質問に対し「それはね…」と言いながら、先生は突然私の腕を上から掴んで持ち上げます。

先生「今どう思いましたか?」

私「ちょっとムッとしました。」

先生は「じゃあ次は…」

そう言いながら、今度は私の腕をゆっくり下から押し上げます。

先生「今はどう思いましたか?」

私「丁寧にされてるなと思いました。」

先生「これが技術です。技術を上手に使うためには知識が必要なんです。」

その言葉がストンと心に入った私は、先生のいる学校に行くことに決めました。

そして数年振りの学校にビビりながら、恐る恐る通い出しました。

教室に居たのは、男性3割・女性7割でほとんどが40歳以上でした。

当時私は20代だったので、話が合いそうな人が居ないのでは?と心配になったことを覚えています。

前職も年齢もバラバラな大人たちが集まっていたのですが、「学校」という施設自体がそうさせるのか、あっという間に派閥やグループが出来ていきました。

学校が苦手な私はグループを作る流れに上手く対応できずに、5人のおばちゃんグループに男1人だけ入ることになってしまいました。

幸い優しい人ばかりのグループでしたが、グループ内の会話についていけない…

コミュ力が無いので女子トークについて行けずに、相槌を打つので精一杯でした。

ランチタイムに教室でお弁当片手に話している時なんかはかなり辛いものがあります。

せめて昼御飯だけは別の人たちと食べたい。

そう思いましたが、いきなり「今日からあの人たちとご飯食べますね。」なんて言ってしまえば、グループの人たちを敵に回しかねません。

そこで私が取ったのが「今日弁当忘れたから外に食べに行きます作戦」でした。

誰と食べに行くかを言わずに、まずは教室の外に出てランチタイムを別の人と一緒に過ごす。

外食にはまった感も出しつつその回数を徐々に増やしていき、最終的には別のグループで昼御飯を食べる。

無事作戦は成功しランチタイムだけは別の人たち、男性二人グループと過ごすことが出来るようになりました。

この人たちとは、同性で年齢が近いこともあり結構話せました。

おばちゃんグループは席が近い人たちの集まりなので、授業中や休憩中は基本的におばちゃんグループと話し、たまに男性二人グループと話します。

心配し過ぎだったのか、最終的には二つのグループ同士が仲良くなり一種の派閥ができたので、そんな気遣いは全く要らなくなりましたが、久しぶりの学校というものを味わった一件でした。

こうして人間関係の不安はほぼ無くりましたが、授業が進むに連れて別の不安と向き合うことになるのでした。

それが、ただただ授業が難しい問題です。

正確に言うと、授業内容と教えてくれる先生によって難易度の幅がかなりあったのです。

訓練校では高齢者介護だけでなく、障がい者の方や医療方面、保険関係など、福祉に関することを幅広く勉強しなくてはいけません。

今から考えると実務者研修は介護福祉士になるために必要な資格で、その介護福祉士は福祉全般に関わるものなので当然なのですが、訓練校時代の私はハードルが高いと思っていました。

一番分かりやすかったのは見学の対応をして頂いた先生の授業でした。

テキストだけでなく、経験談を混じえて授業を進めてくれる。

「学校を卒業させる」というよりも「良い介護士を育てる」ことに主眼を置いてくれていて、やはりとても尊敬できる先生だと感じました。

他にも障がいについての授業は、実際に障がい手帳を持っている先生が教鞭をとられ、今まで私が持っていなかった視点を教えて頂き、すごく勉強になりました。

それ以外にもベッド用のリネンを交換したり、屋外に車椅子を押して行ったり、食事介助される側の体験をしたり…訓練校は実技面も充実していたのです。


それらの授業とは逆に、分かりにくかった二大教科は「医療的ケア」と「ケアプランの作成」でした。

医療的ケアは、おそらく医大で学ぶ100分の1以下の医療に関する知識を学ぶだけなのですが、専門用語が多過ぎて授業について行くのが厳しかったです。

ケアプランの作成は、教えてくれた先生が「分からなくて良いから、とりあえずケアプランを一人分作り上げてみましょう。」と言うので、分からないなりに何とか作成しましたが、結局完成しても分からないことだらけでした。

それでも授業をこなしていけたのは、勉強のやり方を変えた事が大きかったのだと思います。

最初は蛍光ペンや三色ボールペンを使ってキレイにノートを取っていたのですが、途中からテキストに直接ラインを引く方法に変更しました。

より具体的に変更した部分を説明すると、自分が重要だと思う部分と先生がテストに出ると示唆した部分だけにラインを引く方法に変えたのでした。

私の周りの席の人たちは学ぶ気持ちが強い人が多いので、どんどん先生に質問をしていきます。

質問があると先生は重要ポイントを繰り返し伝えてくれます。

そのお陰でラインを引きやすくなったりもしました。

これだけで、ノートを取っていた時間の分だけ先生の話に集中できるし、復習も教科書をめくれば良いだけなので簡単にできます。

その結果か、授業ごとのテストも全て合格しました。

こうして何とか授業について行けるようになったタイミングで、私の心の中でメラメラと炎が燃えてきたのです。

それはリベンジの炎で、高校中退の人生を何とか変えたいと思う挑戦心でした。

そして高等学校卒業程度認定試験に向けた勉強を始めます。

高卒認定(高等学校卒業程度認定試験)とは、名前の通り高校卒業程度の学力があることを国に認定してもらうための試験のことです。

合格しても高卒の学歴は手に入りませんが、資格があることで大学や専門学校の受験資格が得られたり、就職の条件でよくある「高校卒業程度の学力」の対象になることが多いです。

職業訓練校の授業に慣れてきた私は、高校中退という過去にリベンジするために、試験を受けることを決めました。

合格して何かがしたかった訳ではなく、自分には高卒くらいの学力があるんだと証明したい。というのが当時の心境です。

勉強は通信講座を利用しました。

一日二時間、訓練校から帰って来てすぐに勉強。

日々「コンプレックスを克服するんだ」と自分自身に言い聞かせながらモチベーションを保ちました。

通信講座のテキストの内容は分かりやすく、小テストの添削も定期的にしてくれたので、サクサク勉強できたのも良い点でした。

ただ一つだけ苦手な教科、英語だけはどうにもなりません。

この教科は中学校の頃から苦手で、通信講座の小テストもギリギリ合格できる程度でした。

英語がつまらなくて仕方ない。

このままでは全ての教科に対するモチベーションが下がり、学習自体を止めてしまう。

そう考えた私は思い切って英語の勉強を途中で止めます。

通信講座を始めてから5ヶ月後、ちょうど訓練校卒業と同じ月に試験があります。

「他の勉強を終わらせて、時間が余れば英語の勉強をしよう。」

それが頭の悪い自分のやり方だと割り切ることにしました。

英語を止めてからはどんどん学習が捗り、勉強が楽しめるようになっていきました。

当然訓練校での勉強もしっかりします。

訓練校と高卒認定試験の通信講座この両立がやっと出来てきた頃、学校卒業のための重要イベントのひとつ「二週間の現場実習」が始まりました。

私の実習先は特別養護老人ホーム(特養)でした。

特養は介護度の高い人が入所する所謂「終の棲み家」的な施設で、利用料も比較的安いという特徴があります。

実習初日、その施設の施設長に「この施設ダメやなと思うところも有るかもしれないですが、今良くしていってる最中です。」と言われます。

最初からそんなネガティブな話しが出るなんて、どんな悪い施設なんだろう?と不安になりながらも実習に挑みました。

14日をかけ、デイ→2階→3階→4階→5階と順番に実習に入っていく予定です。

実習10日目に行った4階では食事介助をさせてもらいました。

食べることがすこぐ嫌いな利用者様でしたが、一口一口声かけをしゆっくり食べて頂いていました。

おそらく時間がかかり過ぎたのでしょう。

途中でフロアの職員さんが「後は代わるね。」と言いながら、その利用者様が涙を流しても関係なく口に食べ物を押し込んでいきました。

思わず「いいんですか?」と私が聞くと「イヤな振りしてるだけだから。」と言いながら完食させてしまったのです。

今なら分かります。

利用者様の健康面を考えたら食べた方が良いし、他の利用者様の介助をしなくてはいけないのに時間もない。

きっと仕方がない部分もあったことでしょう。

それでも食べて頂けるように声かけをしないことは怠慢だし許されないことです。

ムリヤリは虐待です。

この体験は私が「良い介護をしたい」と思う原点になりました。

何とか実習をこなしていき、いよいよ14日目。

施設長から「どうでした?良かったら卒業後に働きませんか?」と聞かれました。

私が断ると「やっぱり、そうですか。」と哀しそうな顔で言っていたのを覚えています。

きっと施設長ご自身でも施設の悪い部分に気付いておられたのでしょう。

あの施設がどうなっているかは分かりませんが、私はあの施設に実習に行ったお陰で介護に対する熱い思いが湧き上がりましたし、老健に行くことに決めました。

ヒドイところでしたが、そういう意味では感謝しています。

現場実習を無事に終えたら、職業訓練校に残るハードルは卒業試験だけ。

でもその前にもっと緊張するイベントがあります。

それが就活です。

親戚の結婚式以来のスーツを着て、ドキドキで施設見学に行きました。

そこで案内してくれたのは40代の女の人でフロア主任をされている方でした。

主任さんは忙しい中でも私の質問に丁寧に答えてくださり、他の職員さんも良い人で私は思いました「この施設で働きたい」と。

それから数日後、ガチガチになりながら同じ施設に就職面接に行き、精一杯、実習の時に感じた介護に対する思いを話しました。

結果は…ありがたいことに採用です。

ただ、就職先が決まったのはとても嬉しいのですが、その前に卒業できるかどうかの大問題があります。

そしていよいよ卒業試験の時がきました。

試験内容は実技と学科の2つです。

実技は生徒相手ではありますが実際に介助を行い、その様子が採点される方式でした。

まず初めに、高齢者の介助をすると仮定して介助の対象者のデータ(設定)が与えられます。

次に何の介助を行うかの指示があるので、それに従い声掛けや介助方法をイメージします。

そして行動に移せば終了です。

片麻痺がある人相手にどちら側から介助をしたら良いか?声掛けは抜けがなく丁寧に行えているか?

この二つが難しかったです。

一方の学科はシンプルに今まで授業を受けた分の総決算で、福祉関係の中から幅広い問題が出ました。

全50問あり、時間との戦いでした。

その数時間後、いよいよ合格が決まります。

後で知った話ですが、そもそも実務者研修はテストを実施しなくてもよく、テスト内容も学校によって違うらしいですね…

しかもどこも合格率はほぼ100%!!拍子抜けです。

訓練校は無事に卒業。就職も決まりました。

職業訓練校を卒業するとすぐに高卒認定試験があります。最後の踏ん張りどころです。

試験日はすごく暑い夏の日でした。

勉強はずっと続けましたが、英語だけは結局ほとんどしませんでした。

もっと学習時間を作るべきだったのでは?そんな不安を抱えながら試験会場に入ります。

少し居心地が悪い理由は会場に居るのが10代や20代前半の若者ばかりで、私が浮いているからでしょう。

試験科目は選択科目と必修科目があって、何を選ぶかで8〜10個と科目数が変わります。

一つの試験科目が終わると休憩を挟んで次の試験科目へ…ほとんどの科目で手応えがありましたが、やっぱり英語だけは手応えがありませんでした。

二日かけて試験を終えると知恵熱が出るほどクタクタになりましたが、何とかやり切りました。

そして合格発表の日。

高卒認定試験は科目の免除という制度があり、各科目の合格は次回以降の試験に引き継ぐことができます。

「最悪英語はまた受験しよう。」そう思いながら合否結果を見ます。

結果は…奇跡的に全科目合格でした!英語もギリギリセーフです。

こうして、中卒ニートから職業訓練校卒業と高卒認定試験合格を目指した挑戦は終わりました。

はたから見ると大した事をしていないかもしれません。

だけど当時の自分にとっては人生を賭けた大挑戦で、何とか勝ち取った大成功だったのです。

あの時期頑張れたのは「良い人生を歩めていない」というコンプレックスがあったお陰でした。

それまでの苦しさがバネになって自分なりに何とか人生のスタートラインに立つことが出来た気がします。

「今の自分の人生を何とかしたい。」そう心から思えた時がやり直すタイミングです。

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