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中卒、無職、介護未経験から介護部門のトップになれるのか?

介護士にも役職があります。法人、企業によってかなり違いますが、入所施設だと、私の施設の場合は、上から、施設管理者→介護部門のリーダー(介護リーダー)→フロア主任→フロア副主任→フロア職員

この5段階となっています。厳密に言うと管理者は介護士である必要がないので、介護士の役職とは言い切れませんが…

かつて私は中卒ひきこもりニートでしたが、ありがたいことに今は介護リーダーとして働かせていただいています。


今回は『中卒、無職、介護未経験から介護士のトップになれるのか?』と題しまして、中卒ひきこもりニートからどうゆう道程で介護リーダーになれたのか?その経験談を書いていきます。

この記事の目的としては、シンプルに紆余曲折あるストーリーを楽しんで頂けたらという気持ち。そして「人生詰んだと思ってからも、何とかなるんだ。」そういう希望を伝えたいという気持ち。この二つを目的としていますが、内容の性質上、成り上がりの自慢話や武勇伝。そんな風に見えてしまうこともあるかもしれません。

そういうのが苦手な方は、申し訳ありませんがここで読むのを止めて頂いた方が良さそうです。


では本編開始です。

ひきこもりからの脱出を決意し介護施設へ就職した経緯は別の記事に詳しく書いているので割愛します。


簡単に言うと、実務者研修を修了し、高卒認定試験に合格しました。そして老健(介護老人保険施設)に就職しました。

介護業界の間口は広いので、どこかの施設や事業所に就職するだけなら、やる気があれば学歴も経歴も余り関係ありません。

当たり前ですが、最初は分からないことだらけでした。恥ずかしながら常識もなかったので、洗濯機の使い方から教えて頂きました。

そんな私に時に厳しく時に優しく介護の基礎を叩き込んでくれたのが、当時のフロア主任Aさんです。

A主任は長年介護職をしてきた女性で、仕事ができる・器が大きい・気配り上手と上司に求めることランキングの上位に入るような要素を備えたスーパー主任でした。

スーパー主任のお陰で、フロア全体にポジティブな雰囲気が漂い、職員達は明るく、そして仲良く働いていました。

私もA主任のお陰で介護士として一人立ちできました。

ところがある日、A主任は別の部署、デイサービスに移動してしまいます。

原因…というか元凶は当時の介護リーダーBさんで、A主任とB介護リーダーは犬猿の仲だったのですが、その権力を駆使して、B介護リーダーが追い出してしまったのです。

トップが変われば組織も変わります。フロアという小さな組織も例外ではありません。

Aさんが作り上げた『前向きで、肯定的なフロア』それを引き継いだのはフロアの副主任だったCさんという四十代の男性です。Cさんが主任になってからフロアは大きく変わりました。

ざっくりした説明のですが、今までが『加点方式のフロア』だとしたら、『減点方式のフロア』になったようなイメージです。

最初はみんな戸惑いましたが、それでも徐々に慣れていきました。

新体制にも慣れ、私が介護士を始めてから一年が経った時、突如としてC主任から言われます。「悪いけど他のフロアで3人辞めることになったから、そのフロアに行ってくれへん?」と。

辞めた原因…というか元凶は、これまたB介護リーダーで、B介護リーダーのイビリが原因でした。

辞める3人の内訳はフロア主任、副主任、ベテラン、フロアのトップ3が反旗を翻した形です。

ちなみに私が選ばれた理由は1.まだ勤務一年でフロアの中核を担っていない2.後から入ってきた新人よりかは仕事ができる。この二つだったそうです。

異動先のフロアはトップ3が辞めたので、ナンバー4だった若い男性Dさんが、『窓口』という、主任でもなく、一般職員でもない『皆に上の人(介護リーダー)が言っていることを伝え、介護リーダーに皆の意見を伝える』という特殊なポジションについていました。実質的にはB介護リーダーが仕切っている状態です。

暫定主任的なポジションのDさんは20代前半だけど介護歴が長く、優しい人なのですが、優し過ぎて他の職員が言うことを聞きません。そして期限を守らないという悪癖がありました。

どちらかというと几帳面な私とは幸いウマがあったので、これもまた役職名は無いのですが、私が暫定副主任的な役割をさせて頂いていました。

といっても所詮は急造の首脳陣しかも(仮)だったので、フロアがバラバラになり、小さなトラブルへの対応すらB介護リーダーの手を借りなければままなりません。

そこで、3ヶ月ほど経った頃にB介護リーダーはある一手を打ってきました。それは『他のフロアから子飼いの職員を異動させる』というものです。

そうして異動してきたのはEさんという女性で、この人も若いけど介護歴は長い人です。B介護リーダーを尊敬して止まない人で、Dさんとは真逆の気が強いタイプでした。

ただ、気が強過ぎて周りの意見を全く聞かずに物事を決め、反発を生むことがままありました。

ルーズなDさん、独裁者的なEさん介護歴の浅い私、誰もがフロア主任になるには少し足りないスペックです。

ではどうして異動させたのか?B介護リーダーの思惑は『蠱毒』つまりは三つ巴の争いをさせて、一人を育てよう。そういう作戦でした。

その日から仲が悪くしならないように皆頑張っているけど、実質的には競わされている。そんなおかしな状態が続きました。

Eさんが異動してきてから、3ヶ月ほど経ったある日、ようやく主任が決まります。ちなみに私が老健に就職してから一年半が経過していました。

ありがたいことに、選ばれたのは私でした。というか、最初はありがたいとか思う余裕もなく、ただただ、不安で一杯でしたが…

選ばれた理由は恥ずかしながら、『特に何もしなかったこと』でした。

期限を守らなさ過ぎて職員の信頼を失ったDさん、暴走し過ぎて職員の気持ちが離れたEさん、その二人に比べて特に何もしなかった私は、上司であるB介護リーダーから見たら『操作しやすい部下』と思われ、部下になるフロア職員からみたら、『安定志向の上司』と思われたのでしょう。

ただ、何もしていないと言っても、二つだけ気をつけたことがあります。期限を必ず守ること、そして他の人の意見を聞くこと。もしかしたら、たまたま私が気を付けていたことが、二人の弱点だったという幸運に恵まれたことが、最大の理由かもしれません。

こうして運良くフロア主任に選ばれたのですが、大変なのはこれからです。曲者のB介護リーダーの直属の部下になったのですから…

B介護リーダーは保身・贔屓・権力欲と上司にしたくない人ランキングで上位にランクインしそうな要素を持った上司でした。

各フロアの人員配置や、利用者様に違いがあるのに、家族様から苦情があれば、「他のフロアは出来ているのにおかしい。」そう言って、全責任をフロア主任に押し付ける。陰で職員たちの悪口を言う。フロアに欠勤が出て、どうしても代わりを手配出来なかった時も、「頑張って下さい。」と言うだけで手伝ってくれない。

あげればキリがないのですが、本来介護部門を守るはずの介護リーダーが、他の職種と一緒になって介護職だけを責めるせいで、当時いた介護士たちの多くは疲弊していました。

ではこの窮状で、介護リーダーの上司である施設の管理者は何をやっていたのでしょうか?

管理者はB介護リーダーグラサンの言いなりでした。当時は介護リーダーの方が影響力があったのです。

人員の補充もほぼなく、残業残業の日々、上司たちは職員のことを考えていない。おまけに昇給もしない。そんな日常に多くの職員が疲弊しきった頃、施設に大きな変化が訪れます。管理者が交代したのです。

「これで施設が良くなるかも。」そんな希望も束の間、待っていたのは更なる地獄でした。

新しい管理者Fさんは、営業職から転職してきた人でした。

F管理者は、まず「現場なんか見ても意味ないから。」と自分のデスクから動かず、職員とコミュニケーションをとらない。職員がいくら窮状を訴えても、「そんなこと僕に言われても。」と自分で判断せず、訴えてきた職員に法人の上層部に電話させ、施設の内情を詳しく知らないような偉い人に話させる。色んな意味でぶっ飛んでいました。泣きっ面に蜂とはまさにこのことでしょうか。

そんなF管理者についていけないと、大量に職員が辞めていきました。当然ながら職員の補充はなし。唯一良かった点は、辛過ぎてB介護リーダーも辞めたことです。

日に日に悪くなっていく施設、職員がいくら残業しても、施設が運営できない。そのくらいまで人員不足になった時、またも施設に大きな変化が訪れます。

詳しいことはよく分かりませんが、法人の経営母体が変わったのです。正確に言うと私がいた施設を含む何施設かが、別の法人に売られたのです。

この変化により上層部の顔ぶれは大きく変わり、私がいた施設の管理者も交代しました。

そして新しく来た管理者がHさんです。H管理者は改革の人で、今までの施設のやり方を大きく変えました。

タイムスケジュールの見直し、フロア副主任の増員、施設内メールの導入、業務の削減、人員補充…挙げればキリがありません。

うちのフロアも例外ではなく、H管理者に様々な変更を命じられました。

当時フロア主任だった私は、自分のいるフロアに自信を持っていたので、顔を真っ赤にして反発します。そんな私にH管理者は冷静に、変更することで起きる利用者様、職員のメリットを説いてくれました。

説得され、言われたように変更してみると、地獄のような雰囲気だったフロアがどんどん良くなっていきました。そう、地獄は終わったのです。

H管理者が来てから一年が経った頃には、グループ内で一番良い施設になっていました。

フロア主任として様々な経験を積んでいくうちに、私の心の中で一つの思いが芽生えます。

『自分は一つの施設、狭い世界しか知らないから、もっと広い世界を見てみたい。』その思いをH管理者に打ち明けました。

「役職が無くても良いから、別の施設に異動させて欲しい。」私の話を聞いてくれたH管理者は、別の施設への異動を決めてくれました。働き出して3年以上経った頃でした。

新しい施設、施設の形態は今の所と同じ老健。そして一般職員としての異動。そこは全くの異界でした。

『自分の常識が通用しない』というのは、かなりのストレスです。

前の施設では良いとされていたケアが、この施設では悪いとされている。そんなことが頻繁にありました。

一例を挙げると、口腔ケア(歯磨き)。前の施設では『皆から見える場所で口の中を見せることは、恥ずかしいことであり不適切なケアだ』と言われていましたが、新しい施設では皆の居る食堂で、利用者様が順番待ちをしながら口腔ケアをされます。

理由は居室の洗面台にハミガキセットを置くスペースが無いこと、いちいち居室まで帰るのは面倒くさいと大半の利用者様が思われていること、職場の業務効率を考えて…など色々あります。

『介護に正解はない』と言われることがありますが、まさにその通りだと思いました。

施設の管理者Hさんは穏やかなタイプの人でした。そんなH管理者のやり方が影響しているのか、働く人たちの雰囲気も全然違います。前の施設よりもベテランで個性的な職員が多い印象です。

あまりの違いに、自分から異動を希望したくせに、かなり憂鬱な気分になり、「新しい施設に慣れるのは一年くらいかかるかもな。」そんな風に思っていました。

異動してから3ヶ月が経ち、ようやく業務の流れが分かってきた頃、H管理者が私に告げます。「今いるフロアの主任をして欲しい。」と。本当にすごく驚きました。

知らなかったのですが、どうやら異動する際に管理者同士で『しばらく様子を見て、私ができそうだったらフロアの主任にする』という密約があったみたいです。

「異動したての新入りを認めてくれる筈がない。」そう思いながらも、新しい施設に異動する時に「自分の成長に繋がるのなら挑戦しよう。」という決意をしていたので、その辞令を受けることにしました。

受けたのは自分とは言え、『全員先輩の場所で新入りが仕切る』という、かなりの難局に立ってしまいます。

ちなみに直属の上司である介護リーダーはIさん。この人も別の施設から異動してきたばかりの人で、『新入りで介護リーダー』でした。I介護リーダーはグループホームの経験しかないこともあり、老健の知識はほぼありません。そして事なかれ主義の人だったので、相談しても「私には判断できないです。」そう返してくるような、率直に言うと頼れない上司でした。

フロアの職員たちから受け入れられるために、上司の助力は得られません。そこで、まず各職員の話を聞くところから始めました。

どういうフロアにしたいか?主任に何を求めるのか?今の悩みや不安は何か?などです。

話を聞いたら行動に移さなければいけません。反発されて出来なかったこと、周囲に気を遣ってやれなかったこと、沢山ありましたが、行動に移せた分だけ信頼を勝ち取れたと思います。

また、フロアには大きな課題がありました。それは介護業界に限らず、どの業界にも必ずある、人間関係の問題で、『派閥争い』です。

「あの人たちはサボっている。」とか「あの人たちの介護方法は間違っている。」とか各派閥の主張はありますが、大概の場合はどっちもどっち。常に一方の派閥が正しいことなんてありません。

しかしフロアを任される立場としては、どちらも大切な人材。人員を減らすわけにはいきません。

派閥争いにおいて難しいのが、『一方に肩入れするともう一方が退職する』『どっちつかずでいると双方敵に回す』そんな微妙な均衡を保つバランサーであることです。

ある時には一方に注意する。またある時には双方に注意する。そしてまたある時には双方に良い顔をする。何とか誤魔化しつつ仕事をこなしました。

しかし残念ですが、私の力不足もあり、派閥争いが解決することはありませんでした。解決できないとなると、結局はどちらかの派閥を選ぶ必要があります。理由は、介護では『ケアの統一』が重要なこと、そして仲が悪くなり過ぎると利用者様のケアに悪影響が出てしまうからです。最終的には自分の介護観と近い派閥、私が「より利用者様のための介護をしているな。」そう思った方に肩入れしました。

勿論、もう一方の派閥の人たちとも出来る限り仲を深め、施設に残れる人には残ってもらいましたが、何人かは辞めてしまいました。

前の施設と全然違う常識、直属の上司との関係性、解決できなかった職員の悩み、辞めてしまった職員、これらのことが重なり、自信を失った私は退職を考えます。

そうやって悩みながら3ヶ月ほど働きましたが、「自分を拾ってくれたこの会社で働きたい。」そういう結論を出し、働く覚悟を決めました。

覚悟を決めてからは、不思議とフロア運営が上手く行き出したました。しかし辞令は突然やってきます。それは、介護リーダーにならないか?というお誘いでした。

順を追って説明すると、まず、他の施設で介護リーダーに空きが出たので、空いた施設にI介護リーダーが、赴任することになる。すると空くのがうちの施設の介護リーダー、そのポジションに私をH管理者が推薦してくれたのでした。

介護リーダーと言う未知の領域の仕事。正直自分が成功するイメージどころか、介護リーダーとして働いているイメージさえもできなかったのですが、「この会社で働いていく。」という覚悟を決めていたことと、「失敗しても良い。」というH管理者からのお言葉により、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、介護リーダーをする覚悟を決めました。

こうして中卒、介護歴なし、もっと言えば元ニートで元ひきこもりの私が、施設の介護部門のトップである介護リーダーになることが出来ました。

偉そうに聞こえるかもしれませんが、介護リーダーに成れたのは、自分に適性や覚悟があった。そういう部分もきっとあるのでしょう。

しかし、上司の退職や人事異動の巡り合わせで、運良く出世できた部分が多かった。そう自分では思っています。

大恩ある上司の一人である前の施設の管理者、Gさん(本部の偉いさんになっています)が、私が介護リーダーになった後に会った時に言っていた印象的な言葉があります。「結局人が育つかどうかは、良い上司に巡り会えたかどうかで決まる。人間は他人の背中を見ることでしか育たない。」

思い返せば、スーパー主任Aさん晴れと会ったその日から、要所要所で尊敬できる上司と巡り会えました。その人たちに育ててもらった恩を、後進を育てることで返そうと思います。

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