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【日本国記】 第二章 10 祇園祭・日本とは世界で最も特殊な国である ―古くて新しい―   土方水月 

7 京都の祭りは葵祭と祇園祭   祇園祭

 

 葵祭は賀茂祭。迦毛大御神を祀る賀茂別雷神社(上賀茂神社と呼ぶ)とその御祖を祀る賀茂御祖神社(下鴨神社と呼ぶ)の祭りである。欽明天皇の御代に凶作が続いたことから祭礼を行ったのが始まりとされる。江戸期に社紋にも使われているフタバアオイの葉を着けたことからそう呼ばれるようになったという。

 欽明天皇の御代に起こった凶作を終わらせるための葵祭は、その願文を天皇の守り神でもある迦毛大神(賀茂大御神)に届けることに始まる天皇による天皇のための祭であった。それに対して、祇園祭は庶民の庶民による庶民のための祭りであった。869年に始まったといわれる。この時流行った疫病を鎮めるために行われた御霊会が最初といわれる。疫病が流行ったときだけ行われていた祭が円融天皇の御代から毎年行われるようになったという。そのときは6月14日に行われていたという。

 吉符入と呼ばれる7月1日に始まる京都祇園祭は八坂神社での長刀鉾町お千度に始まる。多くの行事を経て7月17日午前9時から「籤とらず」とよばれるように毎年長刀鉾から出発する。各山鉾巡行のあと夕刻からの神幸祭(神輿渡御)が行われる。八坂神社の御神体が神輿に乗り八坂神社から四条御旅所まで渡る。これが前祭りである。

 7月18日から後祭が始まる。後祭のための山・鉾建てに始まり、24日午前9時30分から後祭の山鉾巡行が始まる。そのあと夕から還幸祭(神輿渡御)が行われる。八坂神社の御神体が神輿に乗り四条御旅所から八坂神社に戻る。そして、28日の神輿洗と29日の神事済奉告祭と経て31日の疫神社夏越祭と行いすべての行事が終了する。

 つまり、祇園祭とは八坂神社の神である荒ぶる神であったスサノヲという強い神に悪霊を追い払ってもらうという祭りである。そのため普段は洛外にいる牛頭天王を洛中に呼びだし、“悪霊退散”の後はまた洛外にお引き取り願うという。まるで用心棒のような役割であった。そのスサノヲの神輿渡御を送るために、神泉苑に66本の矛を立てて行う御霊会がそもそもの祭りであったといわれる。

 そしてその矛を持ち悪霊を追い払い洛中を浄めてくれる荒ぶる神スサノヲは牛頭天王とも呼ばれる。牛頭天王とは、、、

 つづく


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