パターンマッチング教育のリスクとは?
単位量当たりの計算にて
問題
1.5mで30gの針金がある。
この針金、1m分の重さは何gだろうか?
小学5年生の算数で習う「単位量あたりの計算」である。
この問題わかりますか?
まあ、こんなところで「あなたは小学5年生より賢いの?」をすることが本意ではないのですが、良かったら考えてみてください。
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答えは20gです。
で本題はここから。
この問題を解いていた小学生が「大きい数字を小さい数字で割ればいいってこと?」と聞いてきました。
あなたならこれに対してなんと答えますか?
立場や状況によって答えるべきことは変わるでしょうけれども。さて。
・「そうだよ」
・「そうじゃないよ」
・「そうとは限らないよ」
大別するとこんな感じに分かれるのではないでしょうか。
誠実な答え方とは
ぼくならば「そうとは限らないよ」と答えると思います。
先ほどの問題の模範解答は
式 30÷1.5=20 答え 20g
となっています。
確かに数字の大きい方を小さい方で割ると答えが出ますね。
割り算は小さくなるイメージがあるし算数が苦手な子もとっつきやすい。
ですが、「そうだよ。大きい方を小さい方で割ればいいんだよ」と答えるのは早計です。
例えば次のように問題を改変されたらその方法では成り立ちません。
問題
150cmで30gの針金がある。
この針金、1m分の重さは何gだろうか?
ちょっと単位変換しただけで「大きい方を小さい方で割る」の方法がなりたたなくなります。
ですから「そうだよ」も「そうじゃないよ」も誠実な答えとは言えないと思います。
ですが、残念なことにこういう場で「そうとは限らないよ」という風に答えるよりも「そうだよ」もしくは「そうじゃないよ」と答える先生の方が分かりやすいと思ってしまう子は思いのほか多いのです。
問題に対してのわかりやすいアプローチを示してくれる方法を「わかりやすい方法」と考えてしまう。
パターンマッチング的学習
「この問題はこう解く!」
とパターンを覚えてそれに対する勉強方法をパターンマッチング的な学習と呼ぶとしましょう。(原義とは異なっているかもしれません)
このパターンマッチング的な方法は、例えば高校数学、大学入試の勉強などでは必要になってくることもあります。
特に共通テストは時間との勝負。
じっくりと試行錯誤していられない中ではなるべく早く問題の正体をつかみ、解答を始めなければならないからです。
しかし、小学生の算数の段階でそれをするべきではないと思います。
この問題についてどう教えるのが正解か。
もちろん教科書や問題集などには「線分図を描いて考えてみましょう」だとか「単位に注目して、単位量当たりにしたい方の単位で割りましょう」などと書かれているはずです。
ですがそれも丸覚えしてしまっては、結局はやり方を覚えたパターンマッチング。
生徒の納得がいくまでいろいろと試行錯誤させてみて理解してもらうのが結局は一番の近道になります。
問題が芯に迫れば
問題
「歩行者用信号が青なら横断歩道を渡ってもいいんだよね?」と子どもに聞かれました。
あなたは何と答えますか?
これも同様です。
「そうだよ」と答えるのが簡単で分かりやすいですが、本当に子どものことを思うのであれば無責任には答えられません。
何より一番いいのは子ども自身に考える余地を与えて納得のいく答えを出してもらうことだと思います。
学ぶということは本質を理解することだと思います。
ただただ学校のテストをクリアするためだけにパターンでやり過ごすのはそれこそ時間の無駄ではないでしょうか。
時間がかかろうとも本質を追い求めるのが学習の目的です。
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