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愚者の書、賢者の書

心せよ、書物を読むとき、あなたは書物を読んでいるのだ

中国の本草書に「上薬、中薬、下薬」という分類が登場する。(『神農本草経』
上薬は無毒で長期服用が可能な薬。特定の病気を治すためではなく健康や滋養のため、病気を予防する目的で飲むものである。
中薬は毒にもなりうる薬のこと。
下薬は、特定の病気の治療のために用いられるが副作用もある毒と紙一重の薬。

何事もほどほどが一番というのは前提として、即効性があるものほど副作用も強いものだ。
逆に言うと長く使えるものはえてして効果は目に見えにくく実感しがたい。

これは本にも言えると思うのだ。

愚者の書と賢者の書

なんとなく語感で名付けるのだが、書物には「愚者の書」と「賢者の書」があるのではないかと思う。
ここでどちらがいいとかいうわけではない。単純に分類の話だとお考え下さい。

愚者の書は読者の悩みに直接答えるような書物であり、わかりやすく丁寧に解説してくれる。
即効性が高く実用的である。

一方、賢者の書はわかりにくい。
抽象的なことばかり書いてあるし、実用的ではない。
しかしだからこそ本質をとらえ続けるしそれを読む人に緩やかな、それでいて確かな知恵を授けてくれる。

そして圧倒的に愚者の書の方が売り上げが高い。
マーケティングの基本は「お客さんの悩みに速攻で答えてくれるメリットをわかりやすく魅力的に伝えること」である。
そりゃわかりやすさ第一なら誰も賢者の書など手に取らない。

『頭が良くなる思考術』

この前読んだこの本『頭が良くなる思考術』(著・白取春彦)は賢者の書に近いと思った。
この本は淡々とした言葉で思考のコツを次々に上げていく。
それほど具体的なメソッドは書かれなく、あくまで思考術を紹介している。
この本の読んで「よし、明日からこの本の通りにやってみよう」ということは難しい。
ほぼほぼ心構えの問題であり、普段から思考を研ぎ澄ませてきた人だけが「確かにこの本の言うとおりだ」と気が付くことができる、という構造になっている。
毒になることはないがこれを薬としてすぐに効果を実感できる人はなかなかいないのではないだろうか。

ぼくはこの本を賢者の本だと思った。が、結構売れているらしい。
ぼくの立てた前提が間違っているのか。売れる賢者の書もあるのか。

真の賢者の書のありか

さて、真の賢者の書というものがあるとしたらそれはどこにあるのだろうか?
アレフガルドとかですか?
いえ、ファンタジーの話ではありません。

薬における上薬、書物における賢者の書とは、無毒で長期的にその人自身の力を少しずつ底上げしてくれるものである。
そのような書があるだろうか。

もしかしたらぼくたちはそれに類するものを既に見ているのかもしれない。
すなわち真の賢者の書たりうるのは「自分で書いた本」である。
本を、あるいは文章を書くということは自分の中にある言葉を取り出していくことだと思う。
もちろん他人の言葉を借りることもあるが、それをするためには一度自分の中に取り込むというプロセスがいる。

本を読む人よりも本を書く人の方が当たり前だがその本のことについてずっと詳しい。
自分で本や文章を書いていくということは自分の中の知識をどんどん磨いていくことだと思う。
だからnoteというこの場所にはそれぞれのクリエイターの賢者の書の原石が日々積み重ねられていく場所だと思うのだ。

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