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普通の人ってどうしてるんだろう。

突然ですが叫ばせてください。
疲れたー!運動学のレポート書くのに6時間、下準備含めて8時間かかったー!それも難しいテーマじゃなく教科書見れば大体書いてる内容を!なんで私は8時間もかけてるの?ちなみに次に提出予定のレポートも超大作になると思います。まあ専門学校なんで学術的な要素は薄くて、「この授業で学んだことを書け」みたいな内容なんですけどね。でも相手は人に教えるレベルで学を修めたり何かしらの研究をしているプロだから、せっかくなら自分の精一杯をプロに見てもらいたい。あわよくばなにか感想でも、リターンがほしいなーなんてね。今はただ期日に遅れたくせに無駄に長文を押しつけてくる迷惑学生になっていますが。やっぱり課題が出た時点で手をつけねばダメですね。

というわけで疲れました。本当に遅筆にも程がある……ところで最近プライベートな内容の記事ばかりで、かつてたくさん読んでくださったニセ科学や脱法キラキラビジネスを自分なりに考えて構成した記事が書けていません。持病と学校とバイト(1時間に1本しかバスが来ない街はずれの特養で働いています。土日祝8時間!)で頭がパーンなのでね。それよりあの当時に私の文章を読んでくださった皆様のご期待に応えられず申し訳ないです。

前置きというか、疲れのあまりぼやきが長くなりました。今日は物心がついた頃から思って考えて失敗して嫌われて取り憑かれたあげく逃げてしまった、一つの言葉について書きます。そう、タイトルにある「普通の人ってどうしてるんだろう」。久々にその気持ちが湧いてきたので。

私のなかから時々ぼんやり取り出す記憶はたぶん4歳ころ。当時住んでいた貧乏長屋風のアパートには父がどこかから手に入れた砂で作ってくれた砂場があり、子ども用の小さな白いブランコに縁側のそばには一面ピンクの芝桜。いつも陽が射していて、たまに煮しめ色の着物を着た父方のおばあちゃんがいて。アパートのすこし前には誰かが作った小さな山があり、空き地があり、近所の子ども達が来て。何を言うまでもなくなんとなく芝桜の咲くアパート近くで遊んでいて。どこかから拾った板切れをバケツに乗せてシーソーを作ったり。そして芝桜の上にはネズミの死骸がふんわり置かれている。陽に照らされて濃さを増したピンクの地に、真っ白な死骸が静かに僅かに沈んでいる。私はそのネズミを取り上げておまじないをしようとした。「頭が良くなる」おまじない。

あの赤いトタン屋根の、小さなアパートにいた子どもの頃は両親に愛されていたんだと思う。ただ両親とも育ちが複雑だったり祖父母世代の戦争の影響がまだ残っていたりで余裕も方法論もなかったと思うのに、親の愛を十分に知らない両親は手探りで少なくとも4歳の私に愛のようなものを注いでくれた、今ではそう思います。でも、現実は厳しく私は理想が高すぎたのでしょう。

そう、私のなかの古い記憶。それは愛に満ちていたはずのアパートから離れた小山に登り、道中で選んだり捨てたりしながらようやく手にした「いちばんきれいな石」。それを口に含み、戻った小山の上で横になり願いごとをずっとずっと念じる。

「頭が良くなりますように」

ほんとうに幼稚な感性で出来上がった「おまじない」を、なにか心が落ち着く瞑想のように、幼い私は時々やっていました。あの頃はきょうだいもまだ生まれていなく、父も雀荘を経営できていたりして、家はそれなりに安定していた気がします。後の小学校時代から言われ続けていた「知的障害」「キ○ガイ病院に入れ」「あんた以外にそんなヘマはしてない」「周りをみてみなさい」「〇〇ちゃんはできてるのに」などの言葉を母の口から聞くことはなかったと思います。とはいえ、3歳児検診か何かで、発語がなく発達も遅れていた当時の私を見て、担当の保健婦は母に「これは母原病」と伝えたといいます。

母原病については今や常識レベルのトンデモですが、母には思い当たるフシがあったらしいです。「赤ちゃんは勝手に育つものだと思ってた」と。つまり母は子どもの育て方を知らず、またモデルケースとなりえる理想的な家庭や教育を知らなかったんだと思います。また、学ぶは「まねぶ」というように見本を見ながら課題を探していくことも。

私ははっきり「虐待」と言えるような対応はされたことはないとは思いますが(たまに母がヒスってわざとドンドン音を立てて階段を登り、どうでもいいネタで怒ってきたり……くらいですかね)、やっぱり所謂「普通の人」とは違っていたがゆえの精神や認知の歪みはあるのかも知れないと思います。

なんかもっと書くことがあったのですが、疲れました。「普通の人になりたい」、これって願いごとのうちに入るのでしょうか?

「普通」という基準のファジーさ、そして目標とする基準が、他人や環境や時代や気分によって簡単に変わってしまうものなら、たぶん私は永遠に「普通の人」にはなれないでしょう。基準を見て判断する権利が自分にはないから。無能すぎてパワハラで病み、世間では底辺職だの言われている介護職を通算10年くらいやっている私が。ある日突然「世の中の基準が変わったからあなたは今からトップです。MENSAも河野玄斗もぶっちぎりですよ」とか言われても困ります。正直ちょっとテンション上がりますが。
(なんかいい喩えが出ませんでした。色々すみません)

私が、あのとき手に取った白いネズミ。動物を生贄(実際は死んでるのですが)にするという、幼く知能の足りない子どもですら思いつく呪い。あんなもの本当になんの価値もなかった。それでも原風景に近い記憶として、自分のなにかを保つために修正された写真のようにある柔らかい思い出とともにつきまとう「普通の人ってどうしてるんだろう」という疑問というか戸惑い。

とりあえず私は一生「普通の人」にはなれないな、と思います。それならひとりで生きていこう。生きていこう、というか生きている人を忘れたくない。今時点で認知症を治す薬や治療法はありませんが、それより「認知症だったけどあの人はちゃんと居たよ」という証拠を残したいです。

※ネズミの死骸を持ち歩いていたら、近所のおじさんにめちゃくちゃ叱られました。やっぱり感染症とか衛生面からですよね)




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