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颯爽 〜後編〜

 トー横で2人をピックアップして、5人は佐伯と姫木のマンションへと向かっていた。
 マンションは渋谷、事務所は目黒。なので、通り過ぎて事務所へ行くことも無いし、通りすがりにおいて行ってもらえば一石二鳥。
 しかしレクサスの中は異様な匂いで、後部座席の友哉は申し訳なさそうな顔をしながらも並んで座っている姫木と佐藤から身体を離し、ドアに懐くように端に寄っていた。
 ナビシートで笑いを堪えている佐伯に
「いつまで笑ってんだよ。着替えたろう。しつこいぞ」
 姫木は後ろから斜め向こうのナビシートを蹴りとばす。
「あんなとこにまさかゴミ集積所があるなんて思わないっすよね…」
 佐藤が切なそうに呟いた。
 ことの顛末はこうだったらしい。
 あの後割とすぐに友哉が置いていったスマホが金子からの着信を知らせてきた。
「まだそんなに経ってないよな」
 姫木もあまりに早い対応に少し動ける体勢を整えた。
「やっぱり、ベッド使ってないの見られてんすよ。2組続けてこんな感じだと、多少疑われるかもですよね」
 佐伯が信じた通り、佐藤はしっかりと姫木にカメラのことは知らせている。
「だからってあそこに寝そべったところで、俺らバレるしな」
「ここから出ないと、すぐにでも金子きますよ」
 今ならまだ玄関を出て非常階段を行ったとしても、見張りの1人くらいならぶっ倒して逃げられる。
「すぐ出よう」
 こう言う決断は早い方がいい。2人は靴を履いて外を伺うこともなく飛び出し、まっすぐ非常階段へと走った。
 非常階段への扉を開けると、案の定見張りが1人上へ向かう階段に座っていたがこいつは姫木の顔も佐藤の顔もわかっていない。
「ちわ〜っす」
 住人のふりをして、佐藤が挨拶なんかをしてみたが、興味がなさそうにスマホに目を落とし何かのゲームに再び興じ始めた。
 よし行ける。上がってくる金子と逆に下に行ったらすぐにタクシー捕まえるぞ。と小声で相談し、2人はこの場で走るのも怪しいのでゆっくりと階段を降り始める。
 一旦踊り場へ降りた瞬間にーどうしたんすか?ーさっきの見張りが後ろで非常階段のドアを開け部屋の方へ向かって話している声が聞こえた。
「来たな 行くぞ」
 声を合図に再び2人は走り出し、3階から2階まで降りたところで下の踊り場から見上げる見張りと鉢合わせする。多分こいつも俺らの顔はわかっていないはず…と思ってみたが、こいつは佐藤が部屋へ上がるときにロビーにいたやつだった。佐藤の面が割れた。
「居ました!非常階段です!」
 その男は上に向かって大声を出し、その声に呼応して
「クソが!」
 と言う下品な声が帰ってきた。
 姫木は舌打ちをしそのまま階段を走り降りると、高さを利用してその男の顎下を思い切り蹴り上げた。男は吹っ飛び踊り場の壁に上半身ごと叩きつけられたがそれでも姫木は容赦なく階段から飛び降り、踊り場で喉元と後頭部を押さえ苦しそうにしている男の体を襟首を掴んで引き摺りあげ、もう一発左顎脇に右フック。男は力なくその場に崩れ落ちた。
「行くぞ!」
 その間数秒の出来事に目を奪われ、『やっぱ強えわ』と言う感慨は持たせてもらえぬまま走り出した佐藤の足に、もう失神していると思われた男が本能なのかしがみついてきた。
「うわっ」
 と佐藤は咄嗟に踊り場の手すりにしがみついたが、意識がないのか訳のわからない動きの男は足を抱えたまま立ちあがろうとしている。
 姫木が気づいてもう一発蹴りをと思い近づこうとした矢先に、
「うわわわっ」
 佐藤の体が男に放り投げられ踊り場の向こうへ落ちていった。
「佐藤!」
 手すりから外を覗くと、何かふわふわしたものの上に落ちたようで親指を立ててー平気っす!と声をあげる。まあ、落ちたといっても中二階だし、余程でなければ大怪我にはならない高さだ。姫木はゾンビ化した男の急所を踵で踏みつけてから、佐藤が落ちた所をもう一度見てみた。ちょうどマンションのフェンスの外側に位置していて、そこに落ちればそのまま脱出路も確保できそうだ。
 上から金子の声もしてきて、時間もない
 姫木はそこをルートに決め、佐藤に続いて踊り場から飛び降りた。飛んだ瞬間に、佐藤の
「うわっなんだこれ!くさっくっさっ」
 という声が響いたがもう遅かった。
 そこはご近所の焼肉屋専用の生ゴミ置き場で、きちんと袋に詰めて捨ててあったのだが佐藤が落ちてきた衝動で散乱し、卵の殻や発酵した野菜くず、何よりも悪い意味で熟成した生肉の塊が佐藤にまとわりついており、姫木もその中に落ちていったのだった。

「その後も、奴らの声がマンション中に聞こえてて、俺らはそこに10分くらい身を隠してなきゃなんなかったんだよ」
 姫木が不貞腐れ気味に足をトントンさせながら、タバコよこせと佐伯に手を伸ばす。
 腹筋がつりそうなほど笑っている佐伯は、
「お、おつかれさん」
 笑い涙を拭きながら、姫木へタバコの箱を投げてやった。
 佐藤1人のことなら戸叶も爆笑する所だが、姫木もとなると笑ってはいけないと必死で堪えている。
 友哉に関しては匂いでやられているが、内容が内容だけに匂いカバーの手を口元にもずらし、込み上げる笑いを堪えていた。
「俺を担いだ男怖かったすね」
 と言う佐藤に姫木もーあいつなぁーと思いおこして身震いした。
「打ちどころってやつが悪かったんすかねえ」
 確かに最初の蹴りで、壁に後頭部を強か打ち付けてた気がする。
「あんなゾンビ確保してて、黒狼会恐るべし」
 ー馬鹿言ってんなー
 佐藤の言葉に佐伯は笑って受け流す。
「まあ、ともかく無事でよかった」
姫木と佐藤に身体を向けて
「ほんとお疲れ」
 と労った。
 マンションへ着くと、戸叶と佐藤は明日にでも車をクリーニングに出すと言って帰っていった。その際友哉も預かると言ってくれたが、これ以上出歩かさない方がいいと言う判断で佐伯と姫木のマンションで預かることにした。

 帰ってすぐに風呂を準備し、その間にウーバーで食事や飲み物を調達して腹ごしらえをした。考えてみたら、22時を回っている現在までずっと何も食べていなかった。
「やっとひと段落だな」
 缶ビールを煽って佐伯はラグの上に仰向けに寝転んだ。
 姫木は1人ならそうそう匂わないことに気付き、風呂を先にしたかったが腹も減っているのでアンダーウエア一枚で食事をし、そして数分前に丁度知らせが入った風呂に向かった。
 2人の部屋は2LDKで、各々で一つずつ部屋を使っている。
 リビングは簡素で、テレビとそれが乗っているテレビ台、それと今食事をしたローテーブルが硬いラグの上に置いてあり、壁際に長めのソファが2つ並んでいるだけだった。
 LDなのでそこそこ広いのだが、あまりの簡素さに落ち着かない。
「なにもねえだろ」
 佐伯がキョロキョロしている友哉に笑う。
「どうせ寝に帰るだけの部屋なんでな」
 実際は、自分たちの命はいつ何時どこで消えるかなんて確証が無いからなのだが、そこまで友哉に伝える必要は無かった。
「疲れてないか?」
 ペットボトルのコーラを飲んでぼんやりしている友哉に問う。
「今日は、バイトだけだったんでそんなには。ただ、あそこから抜けられて気持ちが楽になって、なんかほっとしてる、かな」
 やったことは褒められ事では無かったが、友哉は友哉で1人で戦ってたんだよなと佐伯も思いなおした。
 きっと親父さんの面子のことも考えたんだろう
「さっき聴いてただろうけど、榊さんに連絡したから。明日の13時に俺らの事務所に来るって言ってた。ちゃんと言えるか?ウリのことは言わなくてもいいから、あとのことは正直にな」
「うん…ありがとう」
 友哉がどんな気持ちでいるのかは佐伯には判らないが、榊さんの気持ちも深く汲んでほしいと思う。 
「眠くなったら、姫木の部屋…あっちな、で寝ていいから。そっちの方が綺麗だし」
 タハっと笑って左のドアを指差した。
 そんな話をしている間に、思いのほか早く姫木は戻った。
「湯、入れ替えたから友哉…君、入んな」
 友哉がずっと思ってきたことなのだが、この2人が友哉「君」と言うのが言いづらそうなのである。
「あの…その前に、俺呼ぶ時呼び捨ててくれていいんで」
「いや、しかし友哉君は俺らの大先輩の…」
「わかった、じゃあ友哉。風呂入ってこい」
 一応形として一言さあ、と傍でごちゃごちゃいう佐伯を押し退けて、タオルは脱衣所のとか話し始める姫木にもう一度友哉は
「風呂は、2人が来る前にシャワー浴びたんで。俺は今日は…」
 そう言えば、部屋に入った時バスローブ着てたな…と思い起こし、ちょっと複雑な空気が流れる。
「じゃあ、俺が入ってくるな。友哉…は好きにしてな」
 佐伯がじゃあね、と言ったような感じで浴室へ向かい、姫木は冷蔵庫から2つ缶ビールを持ち出して。一本を友哉に渡した。
「よかったな、脱出できて」
 音を立てて缶を開け、そう言って少し掲げて姫木はビールを口にする。
 友哉も、お祝いめいたその行為に反してはいけないとビールを開け、ゴクゴクと喉を鳴らした。

「あー気持ちよかった」
 毎日バックに流している佐伯の髪が、タオルに煽られてバサバサと踊っている。
「少し伸びたな」
 テーブルの前でビールを飲みながら、見るとはなしにテレビを見ながら姫木は言う。
「そう言う言葉はこっちみてから言えっての。で、友哉は?」
 友哉の姿が見えなくて、姫木の部屋を親指で指し寝たのか?と無音で聞く。
「缶ビール半分で酔っ払ってた」
 友哉がいた場所の缶を振って見せて、姫木が笑う。
「まじか。居酒屋でバイトしてるって言ってたよな」
 佐伯も冷蔵庫から冷えたビールを持ち出して姫木の隣に座った。
 居酒屋ではお客からは頂かないか。缶を開けて姫木の缶に当てて、佐伯は一気に半分ほど飲みあげた。
 姫木は黙って、芸人が騒いで料理を作っているテレビを見つめている。
「お前も伸びたな、髪」
 タオルドライやドライヤーをしなくても、姫木の髪はそれなりに落ち着く性質をしている。特に洒落た髪型ではないが、本人によく似合っている髪型ではあった。その髪を乾かす目的なのか、湯上がりはいつもフード付きの服を着込みフードを被って過ごすのが常だ。
 前髪をつまんでみると、鬱陶しそうに手を払われる。
 佐伯は面白がって、今度はフードを外して後ろ髪を伸ばしてみた。
「やっぱ伸びたよな。この件が片付いたらけーすけのとこ行こうか」
 旧友の美容師の名前を言いながら、髪を触っていたはずの手はうなじを撫で、頬を撫で。
「何してんだ」
「ん〜?汚れ残ってないかなって」
 指が髪をたくし上げ、耳たぶを撫でる頃に
「お前いい加減しつこい…」
 と怒りモードに入りかけた姫木の頬へ手を当て唇を重ねる。
 そのまま佐伯は首筋などの香りを嗅ぎ鼻をクンクンと鳴らす。
「匂いまでチェックしなくていい…隣に客いるんだから自重しろな」
 姫木がそう言って体を離そうとすると、佐伯がニヤッと笑って
「なんだよ姫木。何考えてんだ?」
 お前な…と諦めたような姫木の声に、賛同の色を感じて佐伯はそのまま姫木を押し倒した。
 ここ暫くご無沙汰してるからなぁ、と首筋にキスをして服の下から手を入れ肌に触れる。
「ここで…か?」
 四国あたりで作られたイタリア製のラグは織が固くて、以前もここでしたときに佐伯の膝がえらいことになったことがあった。
「俺の部屋行ったらそれこそお隣で…ってなっちまうしな。俺は別に友哉のベッドの下でやったっていいけど」
 耳をかみながら言う佐伯をー馬鹿言うなーと引き剥がし、本格的に唇を合わせ両腕を佐伯へと回していった。

 姫木の上で今まで激しかった佐伯の動きが止まる。
 佐伯を受け止めた姫木も、出せない声に焦れて佐伯の腕を強く握りそれから深く息を吐いた。
「なあ…」
 上から覗くように姫木に身を入れたままの佐伯が、乱れた息の中呼ぶ。
「…ん…?」
 返事か吐息かわからない声をあげた姫木は、動きが止まった間にうっすらと目を開けた。
「明日、榊さんどうなるかな」
 売春(うり)の事は言わないにしても、友哉が黒狼会の賭場で借金を作ったことは報告しなければならない。
「うりはともかく、どんな形にしろ、借金は正当なものだからな」
 佐伯の微妙な振動に眉をひそめながら、息を吐くような声で姫木はそう言う。佐伯は姫木の中で既に力を戻していた。
「だよな…やっぱ踏み倒せねえもんなこればっかは…」
 こんな時になんでこんな話を…と姫木は疑問だった。佐伯は姫木を腕に抱きながら、とある一つの覚悟をしなきゃかなと、漠然と思っていたのだ。それは歴戦の佐伯でもかなりの気力がいることで…。
「まあいっか、こんな話は明日いくらでも出来るし」
 そう言って姫木へ唇を重ね、力の戻っている自身を奥へと突き立てた。
 姫木の唇から思わず声が漏れたがそれは佐伯の唇によりかき消され、ずっと受け入れていた箇所は最初に佐伯が出したもので滑らかな抽送を許し、聴覚的に煽るような音を立てて姫木を感覚的にも攻め立てる。
 再び襲う激しい動きに、声を出せないまま姫木は佐伯にしがみつき全身で受け入れる準備をした。

「ごめんなさい」
 90度どころか、膝に頭がつくんじゃないかと言うほど深く頭を下げた友哉の前で、事務所のソファに座っている榊は、腕を組んだまま黙って目を瞑っていた。
 昼頃に友哉を伴って事務所入りした佐伯と姫木は、榊が来るのを待って友哉自身の口から榊に話しをさせた。
「やってしまった事は仕方がないが…今度から…いやあっては困るんだが、こう言う時は真っ先に俺に話すように」 
 隣室の戸叶たちは榊の怒る声がいつ聞こえてくるかとビクビクと様子を伺っているし、同じ部屋で榊と友哉を目の前にしている佐伯と姫木も、いざとなったら友哉を庇ってやらないと…などと考えるほどに空気は重かった。
 だが榊の声は存外静かだった。
 事情がわかり、こうして友哉が目の前に無事なのを確認したからもういいのだが、ここで甘い顔をしてしまったらこれからの潰しが効かないから、渋い顔のままじっとしている。
「友哉も懲りたようですし、榊さんこの辺で許してやってください」
 本当のことが知れたら許してやってくださいどころか休戦協定まで壊れそうなことが起こりかねないのだが、今の時点では榊も半分は許しているようなので佐伯が間に入った。
「友哉」
 呼ばれて立ったままの友哉はビクッと体を震わせた。
「あまり心配かけさせるな。言ってもらえない方が心配なんだぞ」
 榊の静かな言葉に、友哉の頭がますます下がる。
「今度からは何があっても、絶対に俺に相談するんだぞ、いいな」
 下げた頭の向こうで、友哉はーはいーと応えた。
 取り敢えず和解したのに安堵して、佐伯は現実を切り出した。
 友哉は姫木が声をかけ、身を起こさせて近くの1人がけソファへと座らせる。
「現時点で存在する800万の借金なんですが…どうします」
 踏み倒したりはできないことは榊も心得ている。
 榊にしてみれば、立て替えると言ってしまうのが一番楽なのだが、この場合友哉にも得策ではない。
「正式に黒狼会へ行けと言うのなら行きますけれど」
 佐伯の言葉に榊が唸るが、その会話の内容はその場で友哉だけが理解していなかった。
「できるか」
 榊の視線が友哉に及んで友哉は不安そうに隣の姫木を見る。
「なに…?」
「お前が自分で勝負するんだよ」
 ええっ?と声をあげて今度は榊へと向き直った。
「自分の蹴りは自分でつけないとな」
 物凄く心配なのだが、それは顔に出さず
榊は厳しい顔でそういう。
「サシって訳には行かないけど、俺らが補助に付くから。やるか?」
 この際、この世界の厳しさを味合わせて2度と足を踏み入れないようにさせるという意味も含まれていた。
 最終的にもしもの時は榊の手助けが入るのだろうし。
 しかしそこは新浜の息子だ。1分ほど考えてはいたが、きっぱりと
「やる」
 と言い切った。
「わかった。榊さんもいいですね」
 最終確認を後見人の榊に取って、佐伯は乗り出すつもりだ。
 榊は頷いて
「宜しく頼む」
 と一言言った。

〜2日後〜

「何の用だよ」
 双龍会の事務所へは初めてきた越谷龍一は落ち着かなそうに辺りを見まわし、戸叶に案内されて佐伯の前に座らされての先の一言。
「呼びつけちまって悪かった。外で話せない内容なんだよ。どうしてもお前に頼みたいことがあってさ」
 昨夜佐伯から連絡があった時から嫌な予感はしていたが
「お前らのお願いってなんなんだよ」
 と、不機嫌そうにソファにそっくり返る。
「何怒ってんだよ」 
 佐伯は戸叶を大学(学校)まで迎えにやったのだが、戸叶は佐伯の客ということで、張り切ってブルーのシャツに黒いスーツでしかも真っ黒のレクサスを伴って校門の前に立っていたらしい。しかも龍一が現れると恭しく頭を下げご丁寧にドアまで開けたりしたものだから、周囲の注目を浴びっぱなしだったと憤慨しているのだ。
 佐伯はやりすぎ、と戸叶をみると確かに言われた格好をしていた。流行んねえから着替えてこい と言われ、戸叶は渋々ロッカーへと向かった
「会うなら会うでいいんだけどさ、俺の立場も考えてくれよ。大学(学校)今首になるかどうかの瀬戸際なんだからな」
 それは自業自得だろ…と言う言葉は飲み込む。
「こう言うところに出入りしてるの見られると、まずい人もいるしな」
 もう、こいつは一体どんな生活をしてるんだと小一時間問いただしたくなる佐伯だったが、今回は龍一の手がどうしても必要なので、下手(したて)にでるしかない。
「わかった、次からは気をつける。けどな、今回ばかりは俺の頼み聞いてくれないか。この間の件もあるしさ」
 コーヒーを持ってきた児島に軽く礼を言って、早速一口啜る。
「あれは金払ったんだから取引だろ。なにか?今回の頼み事とやらも取引なのか?なら少しは考える」
 相変わらず不遜な態度で言う龍一に佐伯は
「今回はそう言うことじゃなくてな、借金を返す手助けを手伝って欲しいっつーか…」
 龍一はその言葉に両手を挙げた。
「無理無理無理!人様に協力できる遊び金なんて俺にはないぜ」
 ますます不遜になる態度に言い方が悪かったと佐伯は手招きした。
「手っ取り早く言っちまうと、博打の介添をやってもらいたい」
 手招かれて身を乗り出した龍一は、10秒くらい考えた後
「なんだそれ、聞いたことねえぞ」
 と、身を離して眉を寄せる。
 佐伯にしてみれば、榊に責任持って補助につくなんて言ったものの、自分達は博打に関しては門外漢、つまりど素人だった。
 この世界に入った直後から牧島の元で警護や切り込みを専門にやってきたから、そう言った遊びに傾倒している暇がなかったのである。
 賭場への出入りの経験はあるが、付き添いやそう言った感じのことばかりだった。
「で、その子に要領を教えて、勝つように訓練をする…?無理だろ」
 キッパリと言って龍一はコーヒーを啜る。
「お前そんなキッパリ…」
「教えごとじゃないのお前もわかってるだろ。そんなんで借金するくらいなんだから、その子だって解ってるんだろ?教えることもないだろ」
 言ってる事は理解できるが、この場合どうしても龍一の手助けは必要だ。
「そう言わずにさ、お前が1浪4留(年)してまで培った技術を借りたいんだよ頼むよ。イカサマだっていいからさ」
 そう言う言い方は良くないぞ、と佐伯を睨んでため息をつく。
「大体丁半なんてのは、本人の勘だろ?イカサマなんてあれはできないぞ?あれのイカサマは振る方がやるもんだし俺がそばにいたくらいじゃ…」
「いや、丁半じゃない」
 龍一は再び嫌な予感がして身を引いた。
「じゃあ…なんだよ…」
「手本引きだよ」
 その一言で、龍一は降りると即答した。
「なんだよそのガキは、手本引きで借金作ったのか?当たり前だよ!」
 手本引きは、胴と呼ばれる所謂「親」と張子と呼ばれる「子」との心理戦の博打だ。高尚な駆け引きの上に成り立ち、昨日今日賭場に出入りした者に太刀打ちができるものではないのだ。
「大体から俺は、手本引きの胴師相手にイカサマやるほど図太くないよ。手本引きの胴師って言ったら関東にはいないから、発祥の関西から呼んでるに違いないんだ。そんな本場の人の前でできないね、俺は」
「どう考えても勝ち目はないのか?」
「ないね。サシなんだろ?それこそないよ。丁半にすりゃいいじゃんよ」
 すればいいじゃん と言われてできれば苦労はしない。
「掛け率が違うだろ。800万の返済には、丁半じゃ無理だ」
 それは最もなのだが…。
「どうしても手本引きで行きたいのか?」
龍一の言葉に佐伯は頷いた。根負けしたように膝の上で頭を抱えた龍一は、
「わかったよ…」
 と承諾の声を出した。

 12月の午後3時は、既に夕暮れの準備を始めるかのように太陽が傾いてゆく。
 柳井組直轄の賭場は平日にも関わらず十数人の客で賑わい、広い部屋の真ん中の白い布を張った畳2畳を縦に並べた盆の周りは出方の威勢のいい声が響いていた。
「組長直々にいらっしゃるとは。先に言ってくださればもっとおもてなしの仕様もあったものを」
 袴姿の貸元の黒田が、品のいいスーツを身に纏った男の前に丸く膨らんだ形の湯呑みをおく。
「この湯呑みで飲む酒が好きなんだ」
 取り上げた湯呑みの中身を一気に空けて、黒狼会の本家柳井組二代目柳井健二は障子を開け放った隣の盆を眺めた。
「もっといい酒も用意できましたのに」
「十分美味しい酒だよ。遊びたくて俺が勝手に来たんだから、そう気にしないでくれ」
 再び注がれた湯呑みを持ち。今度は少しずつ口に運ぶ。
「相変わらず盛況だな、この盆は」
 出方の声の一瞬後に、様々な思惑の入り混じったため息が漏れる。
「おかげさまで、声をかけさせていただく皆さんがよく来てくださって、素人さんもチラホラと」
「入りました。張ってください」
 その声に出方の方へ目をやった柳井は、その隣の胴師を確認して目を見張った。
「驚いたな、胴を引いてるのは長谷部か…」
 黒田も一緒に目を向けて、微笑む。
「あいつも昔は手がつけられませんでしたけどね。神戸の北村さんに預けられて、どうにか手本引きの胴師を務められるようになったようですよ」
「元々その才があったんだろうな」
 柳井がそう言うと、黒田は我が子を褒められたように嬉しそうに益々微笑んだ。
「じゃあ、ちょっと遊ばせてもら…」
 柳井が立ちあがろうとしたとき、外からの扉が乱暴に開き若い男が駆け込んできた。
「なんだ騒々しい、組長がいらしてるんだぞ」
 黒田は叱咤したが、その男はーすんませんーと頭はさげはしたがすぐに黒田の耳元で何かを告げる。
「なに?」
 黒田が信じられないと言ったような目でその男を見、男は頷くのみ。
「どうした?」
「2代目、今日の所は出直していただいた方が…」
 駆け込んできた男がーこちらへーと裏に通じる扉を案内し、黒田は柳井のお付きの山形に柳井を警護するよう伝える。
「手入れですか」
 柳井の肩に手を置き、裏口に向かわせようとしながらそう尋ねる山形に
「ならいいんですけどね…」
 と不穏な言葉を言って、黒田は入り口へ向かった。
 その入り口の扉を開けた瞬間、男が目の前に立っていた。
 黒狼会の賭場はビルの地下にあり、ビルの入り口を入るとエレベーターが有りその左に下り階段がある。
 この雑居ビル自体が黒狼会の本拠地なので、事務所はエレベーターであがった3階にあった。
 2階は組の若い者が詰める場所となっており、3階から上の階は系列の組が貸金業等に使っている。
 階段を降りるとその地下室へ通じる扉が有り、その扉の前で見張りとして立っていた者が、先ほど黒田に知らせに来たのだ。
 入り口を開けると狭い空間。そこでボディチェックをされ中へ入れるのだが、佐伯たちはそのボディチェックの場所へ通されていた。
 裏口に出る間も無く現れた男を柳井も確認すると、山形の手を解いて男の方へ向き直る。
「ご招待はさせていただいていないと思いますが」
 黒田が落ち着いた声でそう言うと、
「無作法は承知でお邪魔させていただきました」
 と佐伯が、その場で頭を下げた。少々お邪魔いたします、と続けて中へと歩を進めると周りの若い者数人が、
「なんじゃわれ!]
「はいりこんでくんなや!」
 と口々に怒鳴りながら、佐伯の後に続く姫木や友哉を押し戻そうと動き出した。
 それを止めたのは柳井だった。
「まず入れてやれ。敵意がないのは見て取れるだろう」
 組長の言葉では従わない訳にもいかず、男達はキツイ形相で引き下がる。
「柳井さんもいらしてたんですね」
 佐伯が微笑み、後ろに続く全員を中に入れてもらってから、その場に正座をした。
 そこは黒田が常駐する盆が見渡せる部屋で、10畳敷の部屋である。先ほど柳井が見渡した盆からは、障子を閉めたら隔離され一応の個室となる場所だった
 そして佐伯は畳に手をつき、軽く頭を下げた。そこまでされたら黒田もそこへ座するしかなく、それでも無作法を許さないと言う意思表示に胡座で腰を落とした。柳井もそれと同様に座す。
「どういったご用件で」
 黒田には、佐伯と姫木がどう言う存在なのかは全て解っていた。敵対する高遠組で今では裏の仕事を一手に引き受ける若い集団を率いる佐伯と姫木。
 先の抗争でこの2人がいたら、結末がどうなっていたかわからないと思わせるほどの2人である…がその2人が揃って自分の本拠地へとやって来たのだ。いかに老獪な黒田でも穏やかではいられない。
 正座をする4人は、前に佐伯と友哉、後ろに姫木と龍一という風になっており、佐伯は少し頭を下げ気味に
「実は…」
 と話を切り出した。
 金子の事や、そのせいで借金を背負ったこと。それでも正当な借金なので返すべくやってきたこと。全てを話した。その間に、友哉の名前と龍一の名前も伝えおく。
「話はわかったが、かい摘むと、借金の返済のためにそこの子供と勝負をしてやってくれ、と、そう言うことだな」
 黒田の言葉に
「誠に不調法な上、調子(むし)のいい話ではありますが」
 と黒田の目を見て佐伯が言う。 
 佐伯の言葉に黒田は少々疑念を抱いた。話している内容自体はわかるが、些か荒唐無稽な気もする。『あの』佐伯が素人の子供を相手になぜそこまでするのかが全く理解できないのだ。
「本人(この者)も自分で返したいと言っていますし、それにこちらの関係者の方に理不尽な返却方法を強要されていたこともあり、俺達が乗り出してきました」
 柳井も側で聞いていて、やはり黒田と同じ考えで佐伯の様子を伺っていたが、その隣に座している友哉(おとこ)にどこか見覚えがあって、先ほどから考えていた。
「素人さんなんでサシという訳にもいきませんから、そちらの越谷を補助につけさせてもらって、なんとか話に乗っていただけないでしょうか」
 龍一は『俺も素人さんだけどな!』と思いつつ、少しだけ前に出て頭を下げる。
 その間に柳井は気づいたのか、ああ、と呟いて
「佐伯、隣の男は確か…」
 と、友哉に視線を送った。佐伯は柳井に全部を言わせる前に
「はい、柳井さんが思った人物で間違いないです。それで俺たちが出て来た訳が解っていただけたと思いますが」
 柳井の視線を自分へと戻す。
 黒田は不思議そうに柳井の顔を伺ったが、その黒田に山形が耳打ちをすると驚いたように眉を上げた。
 抗争中、柳井も高遠の大幹部新浜をマークしており、最後の手段には息子でもなんでも利用しようとしていたのだから、柳井の幹部級は友哉の顔を知っている者は多い。友哉とて当時は14歳。まだまだ子供の顔つきをしていたが、成人した顔では少々判別はつきにくいようだった。
 それがわかった時点で、柳井は黒田の隣で面白そうに含み笑いをした。
「ただの素人の子供に、あの佐伯が何をかまけているのかと思ったらそういうことか。けどな佐伯、勝負はいいがそっちが負けたときはどうするんだ?これまでしといて800万そのままというのも、それこそ調子(むし)が良すぎると思うんだが」
 その柳井の言葉に佐伯も負けずに笑い返す
「もちろんタダで済まそうなんて考えていませんよ。負けた時には借金800万にプラス800万、そしてこの無作法を仕組んだのは俺ですから…俺を好きにしてくれてかまわないっす」
 友哉が驚いた顔で佐伯を見、後ろに控えていた姫木さえも珍しく声を上げて膝を立てた。
「佐伯お前!」
 下がったところに身を置いていた龍一が、そんな話じゃなかったと佐伯の肩を引っ張り、友哉も少しだけ佐伯へ向きを変える。
「俺のせいで佐伯さんにそんな…!」
 言い募る友哉の目を佐伯は捕え声を低くして言う。
「これが俺たちの世界だ。命かけて生きてんだよ。それに今回俺が命張るのは友哉にじゃない。俺が命を賭けるのは、榊さんのためであり、新浜さんのためだ」
 友哉がガクッと頭を下げ、出そうになる涙を堪えていた。ここで泣いてはいけない。
「今後この世界に首を突っ込んではいけないってことをここで勉強しな。この状況を引っ張り出したのは紛れも無く友哉なんだからな」
 痛く厳しい勉強だ。
 龍一の方も、佐伯の命を預かるというそれこそ大博打に『話が違うぜ…』とため息をつきそうになるが、実際のところ絶対断ろうと思っていたこの一件を、本場の胴師との渡り合いにギャンブラーの血がほんの少し疼いたことが了承するきっかけになったのも自覚していたので、もうやるしかなかった。
 柳井の方も、佐伯を片付けられるならこれ以上のことはないのだ。
「そこまで言われるならお受けしましょう」
「有難うございます」 
 黒田の言葉にその場の4人は、各々の想いは隠して頭を下げた
「しかし今日はうちもいい胴師が入っていますからね。苦戦すると思いますよ」
 黒田はそう言って、近くの者に盆(あちら)に行ってって話を通して、準備をするように伝える。
 柳井は、頭を下げる4人の前で本当に面白そうに
「俺が立会人だ。正々堂々とやれ」
 と笑った。
「柳井さんがいらしてくれてて好都合でした。色々話が早い」
 出方に促されて立ち上がり、組の若い者が軽く身体を叩いてもう一度ボディチェックをし、確認した後盆へ向かう途中、柳井へ笑みを返す佐伯とは対照的に友哉と龍一には笑みはない。
 姫木は先に見せた動揺以外はずっと無表情で付き従っている。どうにかなった時にはその時なのだ。
 助出方は、先にお客達に事情を話し盆周りが片付いたところへ4人を通し、布張りの畳の長い方へ4人を座らせた。
 胴師の長谷部と、先ほどから威勢のいい声をあげていた出方の2人も4人と向き合う位置へ移動しており正面切って対峙する。
「何事ですか?」
 元々無表情そうな顔に、不機嫌の色を載せて長谷部が盆切りの端に立つ黒田に問う。
「そうやで、いきなりなんやねんな。お客さんにも失礼やで」
 長谷部の両隣で出方を務めているのは、長谷部が世話になった神戸は北村組の東野と岸田だ。今喋ったのは見た目にも血の気が多い岸田で、ずっと黙っている東野は落ち着いた性格な訳ではなく、邪魔をされて怒っているために無言なだけである。
「邪魔をして悪かった。しかし、滅多にない勝負をさせてやるぞ」
 黒田が3人を宥め、その際その隣に柳井の2代目を確認した長谷部は一瞬驚いた顔をしたがその後静かに頭を下げた。
「あれが柳井の2代目か?えらい優男だな」
「ちゃうで岸田。あれは別嬪言うんや」
 長谷部の後ろでこそこそと話したつもりだろうが、元々声量の多い2人だ、その声はしっかり柳井に届いていた。
 柳井の最も気にしているところだが、今は無視をした。
「3人の前に控える者達が、800万の借金の返済に勝負を申し込んできよった。手本引き3本勝負だそうだ。受けてくれるだろう?」
「なんやて?」
 岸田が疑わしい目つきで、目の前の友哉と龍一を見る。並んで座ってるとは言っても、佐伯と姫木は2人より膝下分ほど後ろに下がっており、3人の目の前にはいかにも素人然とした友哉と龍一しかいないのだ。
「両脇の2人ちゃいますの?盆に付いてるお二方は、どう見たって堅気のお人や」
 こんな状況だが、龍一は自分が堅気に見えたことに内心嬉しさを感じていた。
「この2人で、どうぞお願いします」
 なんだかえらく余裕があるように見える佐伯に岸田の目が細まる。
「あんた、ただ者(もん)やないな。名前聞かしてもらってもええか」
「無作法に無作法を重ねました。勝負をさせていただくのは、こちらが新浜、こちらが越谷です。そして控えさせていただいております我々は、向こう端が姫木、そして自分は佐伯と申します。以後お見知り置きを」
 名前を聞いて漸く前に座る者達が高遠の関係者だと理解し、佐伯と姫木に関しては
「話は聞いたことあるで。そうか、あんたらがな」
 と岸田が1人納得する。その一方で東野は
「お見知り置いたかて高遠と馴れ合えへんから関係あらへん。ちゃっちゃと始めるで」
 愛想も何もあったもんじゃないことを言って、東野は外してあった肩布を長谷部へかけなおした。
「愛想のないやつで済まんな。こいつは東野言います。俺は岸田や。胴師務めはるんは長谷部さん言います。どーぞよろしく」
 人の良さそうに話してはくるが、最後の一言はかなり煽って来ている。
 佐伯も姫木も気づきはしたが、この場では仕方のないことだ。
 そんな色々含まれた挨拶の後、長谷川は引き札を手にして
「それでは」
 と発し、肩布の中に札ごと手を入れた。
 いよいよ始まる勝負に、先ほどまでここで楽しんでいた客達はすべてギャラリーとなり、ことの行末を見据える体勢をとる。
「入ります」
 肩布の中で札を探り、十数秒後に一枚をとり手前に置かれた手拭いの中へ忍ばせた。
「さあ張ってくれ。素人さんへのサービスに3枚がけの勝負でええで」
 随分きまえのいい申し出に龍一はほんの少しだけ気が楽になる。6枚の札のうち3枚かけられるのなら、当たる確率も上がるから。
「掛け率は…」
 恐る恐る龍一は気になるところを聞いてみる。
「なんや、あながちド素人でも無さそうやな兄さん。掛け率は1枚といっしょでええで」
 ますます気が楽になる。
「あ、あざーす」
 となると、最初くらいは軽く行っといて…と考えている時友哉が小声で
「3枚かけられるなんて知らなかったっす」
 と言ってきた。
 前に6枚の札を並べて手前に捲るように数字を確認しながら
「なにお前、ずっと1枚掛けでやってたのか?」
 と、こちらも小声だが驚いたような声で友哉を見つめる。めくって中身を見ながら、友哉が一枚一枚選んでゆく中で
「はい、そう言うもんだと思ってたから…」
 龍一はこの勝負の根深さを、今更ながらに理解した。
 そんなことを話しながら友哉が選んだ数字はニ、四、六の丁目(偶数)。それを裏向きにおいて顔を上げる。
「色々相談しとったようやけど、それでええか?」
 相談していたわけではないが、友哉が頷いた。
「それでは勝負」
 長谷部の指が、まず前に置かれた木札を一つ右に走らせた。
「サンゲンの二」
 続けて手拭いを開くと
「中も二」
 岸田の張りのある声が静かな盆に響く。
「ニないか?ニないか?」
 煽るように言われ、友哉は一枚ずつ札をめくった。一番右から捲ると順番的に出てくるのは六、次が四。誰もがまさか全部丁目(偶数)なんて事は…と思いながらも友哉の手を見つめ、最後の一枚がニを出すと、場が沸いた。
「おお〜随分素直な張り札だったな」
「でも勝ちは勝ちだな、先ずは一勝だ」
 ギャラリーが沸く中、龍一は次の手を考える。誰かが言っていたが素直な張り札、そうなのだ良くも悪くも友哉は素直すぎる。しかし札は自分(おれ)が選べない。どうしようか。この性格はもう見抜かれたに違いないのだから。
 両端の2人は、取り敢えずの一勝にも顔色を変えず静観していた。
「岸田、3枚はサービスしすぎと違うか?」
 岸本も実はそう思っていたのだが、言ってしまった手前戻せない。
「ええて、それをさせへんのがプロやで。なあ長谷部さん」
 岸本の声にも表情ひとつかえず、長谷部は札をとり次の勝負を始めた。
 手拭いに札が入ると、友哉は今度は自発的に札を選ぶ。自分の勘をどれだけ信じているのか判らないが、佐伯の命がかかっているのだ。慎重に行ってくれと龍一は願うが、一応見せてくれた札を見て頭を抱えた。しかし、既にその札は並べられてしまっていて回収は不可能。
 今回友哉が選んだのは一、三、五の半の目だ。いくらさっき丁目(偶数)だったからってなにも馬鹿正直に半目(奇数)にしなくても…と龍一は泣きたくなった。向こうが裏を読んでくれれば或いは…という可能性もない事はない…が
「勝負!コモドリの六、中も六」
 ですよねえ…と龍一はガックリと肩を落とした。そんなに甘いものではない。
「六ないか?」
 問う岸田に龍一は両手をあげた。
「一勝一敗か」
 岸田が嬉しそうに笑う。
 場は、友哉の負けに、ため息とどよめきを漏らしていた。
 このギャラリーは、一体どちらを応援しているのか。
「次で最後や」
 今の札でもう完全に友哉の性格は長谷部(向こう)に読まれた。まあもう既に読まれてはいただろうが、より確実に友哉(この男)は把握されただろう。
 今度は丁目(偶数)で来ると思いきや半目(奇数)で来るぞ、というその逆を読むと龍一は判断した。しかし単純な友哉の性格を読んでくるなら、最初の勝負目で遊んでくるような気もするし、丁目を向こうが選ぶならまだ使っていない四を選ぶ性格なような気もする。
 龍一の頭はフル回転で相手の思惑を判断してゆく。長谷部が札をしまったのを確認して、友哉にもう一度全て偶数目で出してみるか?と持ちかけた。
 友哉は素直にそれに従い、目の前に伏せられた3枚は全て丁目(偶数)龍一の頭では丁目(偶数)は全て外せなくなっているのである。だとしたら自分がやれることは…
「勝負!」
 岸田の声と共に木札が寄せられ、
「サンゲンの三」
 手拭いが外され
「中も三!」
 ほら来た。龍一は覚悟を決めた顔をして札を開け始める。
 最初の1枚目は四。
 周囲がどよめく
 次に捲られた札は六。
 最後の一枚を残して場は静まり返った。皆が皆、この素直なド素人はまた馬鹿正直に丁目できやがったと絶対に思っている。実際そうなのだが、龍一は最後の札に手をかけた。
 岸田も既に勝ちを想定してニヤリと笑っている。
 そして最後の札が捲られた。
 三
「なんやて!」
 岸田の声に重なって、場が沸き返った。
「よくやった坊主!」
「これで借金なくなるんだろ!すげーぞ!」
 周りが騒ぐ中、佐伯は友哉の頭を抱えて
「よくやったぞ!友哉よくやった!」
 と髪をくっしゃくしゃに混ぜ返す。そんなことをされている友哉は、その場で一番訳のわからな顔をしていた。
「龍一!ご苦労さん!よくやった、ありがとう!」
 佐伯に握手をされて笑って見せるが、一番疲れているのは龍一だろう。なにせ、全員が自分の手元にこの場の全員が注目する中で、ニの札を三に化けさせたのだから。
「いい読みやったな」
 岸田が強引に龍一の手を握り込む。
「いやいや…」
 苦笑して龍一は、じゃあと岸田から離れた。 
 長谷部は、きっと勝ち負けに限らずこう言う感じなのだろうという感じで、肩布を外し綺麗に畳みその場に座り続けた。
 佐伯は立ち上がり、盆の隅にいた黒田の前に行き
「受けてくださってありがとうございました」
 と礼をする。
「いや、本当のところ参ったと言うしかないでしょう。仕方ない、借金は帳消しということにします」 
 黒田の顔つきは苦々しいものだったが、自分が受けた勝負では仕方がない。
「有難うございます」
 佐伯の隣まで来ていた友哉も一緒に頭を下げた。
「しかしすごいな、そっちの人は」
 柳井が龍一に向かって軽く拍手する。
「こいつは大学(がっこう)ダブってまであそびに命かけてるやつですからね、頼もしいやつです」
 そんな会話の端で、どうもーと頭を下げながら、龍一は柳井の言葉にはビクビクしていた。
 札のイカサマは、角度によってはとても見やすいのだ。ちょうど黒田と柳井が立っている辺りが見えやすい場所だったから、龍一は気が気ではない。ーしかしすごいなーの含みが龍一には一番怖かった。
「佐伯…俺外で待ってるわ。タバコも吸いたいし」
 疲れを理由に、龍一はその場から離れたかった。佐伯はそんな思惑も知らず、友哉も一緒に連れて行くように頼んだ。
「借金の件は本当に有難うございました」
 もう一度礼を言って、佐伯は本来の眼光を見せて来る。
「この件はこれでお終いということにしていただくということは、さっきの友哉というやつにはもう、手出しは無用でお願いいたします。あの通り堅気の世界で生きていますので、どうかその辺了承下さい」
 双龍会の佐伯の目でそう言われては、こちらも面子として約束するしかなかった。
「わかった」
 黒田は頷いて、しっかりと目を合わせた。
 それではと言って佐伯は去ろうとしたが
「あそうそう、言い忘れてました」
 と、不意に振り向く。
「黒狼会(こちら)の下っ端に『金子』ってのがいると思うんですが、これから先そいつに何かあった時は、俺たちの正当防衛と思ってください。ちょっと色々されてるんで、正当防衛にしかなりませんから。よろしくお願いします」
そう言って扉へ向かった。
 部屋を出る際、佐伯はお楽しみの邪魔をしてしまったお客人達にもきっちりと挨拶をして、実は勝った時のために入り口脇に用意しておいた日本酒をニ本、黒田にー皆さんでーと渡して今度こそ場を後にした。
「やられたな、黒田」
 柳井の言葉に黒田は恐縮したように笑う。
 柳井はいい部下を持っている牧島を思い、仕方なさそうに肩をすくめた。 
 ビルの出口を先に出ようとする佐伯を、姫木は呼び止める。
 振り向くと、姫木は黙って歩み寄りそして追い抜き様に
「今度から、命賭ける時は事前に言ってくれ。心臓に悪い」
 と言って先に出て行った。
 佐伯は悪かった、と聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟き跡に続いた。

 車の中でぐったりとしている龍一の隣で、友哉は落ち着かなそうに龍一を見ている。
 さっき賭場を出た時に2人になって、話をしようとも思ったが、まだ『現場』に近すぎてそこは配慮していた。
「なんだ友哉。一件落着したんだし、もっと晴れやかにさあ」
 お前が晴れやか過ぎんだ、と運転している姫木は思うが佐伯をちらっとみるだけにとどめた。
「あ、うん…でも、おれ…最後の勝負の時、3枚とも偶数しか出さなかったんだ…けど」
「ん?だからいいんだろ?最後に勝ったのは三なんだし…はあ??」
 ナビシートの佐伯は、ただでさえでかい体を物凄い速さで反転させて後ろに向き直る。
「偶数ってえと。2、4、6か?」
 こくりと友哉は頷いた。
「だからどうしようっ、て俺テンパってたんだけど、捲ったら何故か…」
 窓にもたれて目をつぶっていた龍一が、うざそうに起き上がってくる。
「お前が命なんてかけちまうからやってやったんだよ。あの一瞬だけでグッタリだぜ」
 あの場でのイカサマに、姫木も運転席で些か驚いていた。
「なのにてめえは、柳井とかいう優男とベラベラベラベラくっちゃべりやがって」
 相当お疲れの模様だ。
 龍一は、わざと友哉に丁目(偶数)を張らせた後イカサマをやる覚悟をしたのだ。
「最初ニの次に六来たから、半目(奇数)でくるならニの次の三で来ると読んだんだ。一(ピン)は実はあのゲームでは暗黙のルールでださないことになっててな、だからない。五は六を出してきた以上あの胴師は数を戻さないと踏んだんだよ。丁目(偶数)は実は全部怪しかったから、ああするしかなかった」
 そう言い切って再び窓に懐く。
「龍一…お前ってほんとこういうことには天才的だな」
 佐伯と友哉がほとんど尊敬の目で龍一を見つめた。
「やめろよ気色悪い。そんなに感心したんならなんか食わせてくれよ酒もつけて」
 龍一はさっきから窓の外を見ていて、どうやら今日はクリスマスイブだということに気付いたのである。
「シャンパン飲ませろワイン飲ませろ七面鳥食わせろ」
 と騒ぎ出し、そんな龍一を面白く見ていた友哉が
「じゃあ今日は俺に奢らせてください。今回の件では本当に皆さんにお世話になったんで…俺なんて言っていいか」
 以前よりはずっと明るい表情に戻った友哉がそう言って頭を下げた。
 そんな友哉の頭を、龍一が佐伯の代わりにポンポンと撫でて
「もうニ度とすんなよ?あんなはちゃめちゃな手本引き俺初めてだったんだからな」
 と笑って髪を混ぜ返した。
 佐伯も
「いい勉強したと思ってな、ほんとだよ2度とこんなことすんなよ」
 と、代わりに撫でろと龍一に頼んで、龍一はもう一度頭をポンポンする。
「じゃあせっかく奢ると言ってくれたんで、どっかしけこんでレッツパーリーしようぜ」
 と、1人盛り上がる龍一だったが、佐伯に
「悪い、事務所で榊さんが今日の件で待ってるんだ。なんか買ってくんならいいぞ」
 龍一は徐にガッカリして、
「お前んとこでパーリーなんてやりたかねえよ。じゃあ、しょうがねえな、ちょっといいもんテイクアウトして食わせてくれ。腹が減り過ぎて力が出ないよ」
 ○パンマンのような口調で言う龍一に
「じゃあホットモットの弁当で」
 笑いながら佐伯が言うと、
「ふざけんな!」 
 と 龍一は大激怒。
「わかったから」
 と、姫木と相談して馴染みのイタリアンの店に連絡し、クリスマスイブを事務所で野郎同士で固まっている皆んなの分も含めてテイクアウトを頼んだ。
 暫く社内は静かだったが、不意に龍一が友哉に寄ってゆく。
「悪いけど話聞いたよ。でさ、俺疑問なんだけど、無理矢理男にされて勃つの?」
 前の席から
「おいっ!」
 と怒気を孕んだ声が同時に聞こえてきた。
「何聞いてんだよお前」
 佐伯が呆れたようにふりむく。
「だってよー、その気んなんなかったら男相手じゃ…ましてほぼ無理矢理やられて 勃つか?」
「その気があれば、男相手だって勃つだろ」
 佐伯と姫木の関係を知っている龍一は、まあ…その気があればな…とちょっと流し気味に頷いた。
「けど、全く知らない奴が来て、さあ始めましょうじゃその気も何もなくね?」
 友哉は黙って聞いていたが、言いづらそうに話し始める。
「薬…を貰いました」
「薬?」
 佐伯の目が険しくなった。
「常習性はないって言うんで、俺も楽にできるならって貰って飲みました」
「それってカプセルか?」
 龍一もちょっと難しい顔をする。
「そう、このくらいの」
 指で大きさを示した友哉は、佐伯と龍一の表情の変化に萎縮した。
 どんなことにしろ、薬を服用したというのがいいことだと自分でも思っていないから、その2人の表情には俯くしかない。
「それ飲むと、なんかすごく…その気になるっていうか…効いてくると別にやらなくても気持ちいいんすけど、まあ…飲まないとやってけないって感じで…」
 佐伯と龍一は確信した。
「MDMAだな」
 龍一の言葉に佐伯も頷く。
 MDMAは友哉も聞いたことくらいはあった。
「実物見てないから確証はないけど、多分。あれは身体を壊す度合いも効き目と同等だって聞いたぜ。しかも今現在は非合法になったはずだぜ」
「お前使ったことあるのか」
 佐伯の言葉に、まあ、1、2度はと龍一は答える。
「まあ、あれ飲めばできるだろけど…。どのくらいの期間飲んだんだ?」
 とりあえず傍目からは、友哉の顔色も身体もどこも悪そうには見えないからまず心配はないと思うが、一応飲んだ日数や回数によっては検査をした方がいい。
「2週間くらいかな。毎日」
「毎日?」
 やったことがない訳じゃないから偉そうには言えないけれど、ー毎日は…よくねえわ…ーと龍一は友哉を嗜める。
 しかし、飲まなきゃやってられないという事情も理解はできる。
「とにかく、検査してきな」
 龍一はなるべく優しく言ってやった。
 常習性がないだけを信じて、身体が壊れるということを考えもしなかった友哉は些かショックを受けている。
 佐伯は既に前を向いていたが、薬まで使わせていた金子に腹立たしさが増して行っていた。

 一方榊は、佐伯たちが帰る時間を見計らった頃に双龍会の事務所へと来ていた。
 まだ帰っていない旨を伝えられると、ー待たせてもらうーと奥の部屋の応接セットへ腰を落ち着ける。
「ちょうど、榊さんがみえるちょっと前に戻ると連絡ありましたんで、もう直ぐだと思います」
 戸叶が立ったまま伝えると、榊は落ち着かないから座れ、と前のソファを指差した。
 戸叶と佐藤は軽く頭を下げてそれに従う。
「連絡があったのなら、成功したって事だな。とりあえずよかったよ」
「そうすね、俺らも一安心です」
 佐伯に何度も、危ないからついて行くと言ったが『頼み事に行くのに兵隊は連れてけねえだろ』と断られ、戸叶と佐藤もかなり気を揉んだ時間を過ごしていたのだ。
「柳井直系もいいところの黒狼会ですからね、俺らも…信じちゃあいるんですが些か心配だったす」
「まあそれも、連絡あったなら大丈夫だろう。話を聞くのが楽しみだ」
 事態が落ち着いて、榊も安堵しているようだ。
 児島が3人分のコーヒーを持ってきてくれて、3人は暫く他愛もない話をしていた…が不意に榊がテーブルの下に積んである雑誌に足をぶつける。
「お、すまないな」
 物が崩れた所を直そうと屈んだ榊に
「あ、大丈夫です俺がやりますから。大体そんなところに積んでおく俺らが…」
 と佐藤は片付けるために榊の場所へ移動し、そこにあったものを目にしてギクっとした。
 そこに有ったのは、この件を調べ始めた際に児島が集めた金子や黒狼会事務所の写真だった。
 確認したのはデータであったが、顔の認識徹底のために何枚かプリントしておいたのだ。
 それが入ったクリアファイルである。
「これは…」
 榊はそれを手に取り、写真を見つめる。
「この男は?どうしたんだ?」
 一瞬2人で顔を見合わせるが、榊は金子のことを知らないはずだ。ここはなんとかしらを切り通さねば。
「え?いや、ちょっと因縁つけられてまして、榊さんが関わるほどの事じゃないっすから。まあ、その辺は…」
 曖昧にへへっと笑って佐藤は誤魔化しにかかったが、
「この男、友哉のマンションの前で見かけた事がある。それに後ろに写ってるのは友哉のマンションだろ。なんか関係があるのか?」
 2人はマンションまで突かれて言い訳ができなくなってきた。
「いやあ、それは偶然です。あ、そう言われれば新浜さんのマンションっすねぇ…ははは」
 この下手くそめ…と内心思いながら、戸叶も一緒に笑うしかない。
 2人の挙動が余りにおかしく、榊は不穏な空気を纏う。
 友哉のマンションの前でぶつかった男がそのマンションの住人で、なんらかの偶然で双龍会とコトが起こっているとしても、それはそれで変ではないのだが、目の前の2人の態度が、何かを物語っている。
 へらへらと佐藤は笑っているし、普段冷静な戸叶までが張り付いたような笑顔で手を震わせながらコーヒーを飲んでいる。
「何か…隠してないか?」
 榊の目が細められ、探るように2人を交互に見た。
 佐藤と戸叶は蛇に睨まれた蛙状態。
 蛙ならば追い詰められて蛇に反逆をすることも時にはあるかもしれないが、この蛇は半端な蛇ではない。
 冷や汗たらたらで榊の視線にしばらく耐えていたが、やっぱり無理である。
「すっすんませんっ!俺らの口からは…」
 同時に立ち上がって膝に両手をつき、頭を下げて降参をした。
「佐伯たちが戻れば判ることなんだな」
 榊の問いに頭を下げ返すことで応えて、それから3人は黙りあった。
 隣の部屋からは、児島を始めとする若い者たちが先日行った風俗やらメイド喫茶のおねえちゃんやらの馬鹿話を繰り広げていて、2人は榊の顔色を伺いながら恐縮している。
 それでも地獄のような5分程(2人には永遠の時のような)が経った頃に、若い衆の塩沢が
「帰ってらっしゃいました」
 と部屋へ告げにきた。窓から車を確認したのだろう。
 榊が顔をあげ、戸叶と佐藤も徐にホッとした顔で立ち上がる。
「迎えに出てきます」
 と榊に告げ、2人は部屋を出た。
 数分して佐伯を先頭に、4人が事務所へ戻ってきた。
「おかえりなさい」
 事務所全員が並んで出迎える中、佐伯は
「野郎どもで寂しいクリスマスイブに土産買ってきたぞ!みんなで食おうぜ」
 と両手に持った紙バッグを掲げ、勝鬨のように声をあげた。
 馴染みのイタリアンのシェフは、キャンセルでて困ってたと言って豪華なオードブルや鶏料理、その他に何皿かのアラカルト料理を格安で提供してくれ、4人各自が両手に持った荷物を事務机の上に置く。勿論シャンパン等酒類も購入済みだ。
 若い衆は勿論、龍一や友哉も皿を出せやら箸をだせやらとワイワイ始めた中、戸叶たちは佐伯と姫木を事務所隅に引っ張り込み
「榊さん見えてます」
 と告げる。
「こんな隅で言うことか?何かと思うだろ。こっちに呼んで一緒に…」
「いやちがくて…」
 佐藤が歯切れ悪く続けた。
「なんなんだよ」
 姫木も訳がわからない顔で2人を見下ろしている。
「あの…例の写真を見られてしまって…」
「写真?」
 一瞬わからず聞き返す。
「新浜さんのマンション前の金子の…写真です」
「あ、あれか。でも榊さん金子知らねえんだから適当に誤魔化せなかったのか」
「それが、榊さん金子の顔を知ってたんですよ」
 佐伯の眉がよる。何でだ?
「以前新浜さんのマンション前で見かけたらしくて…住民と思ってもらってもおかしくないですけど、タイミングが…悪いっすよね、やっぱ」
ー双龍会事務所(うちに)その画像があること自体がーと続ける。 
 佐伯は額をポリポリかいて考える。
「言うしかねえのかな」
 姫木を振り返り、軽く相談。
「まあ…誤魔化し切れるんなら隠し通すのも友哉のためにはいいかもしれねえけど…薬の件もでてきちまったしな」
 姫木の言葉に、そうなんだよなぁ…と腕を組む。
「薬?」
 聞き返す戸叶に、後で話すと告げ
「怒ってるのか?」
 と奥のドアを親指で指して指して問う。
「隠し事をしていることに対して、だとは思いますが、もう…」
 人差し指でこめかみあたりを指して頷く。
「言うしかねえか」
 友哉の声も聞こえているはずだが、一向に部屋から出てこない時点でそれは察せることだ。
 なんて話すかを考えながら、佐伯はゆっくりと奥の部屋へ向かい、姫木はそれに続きながら戸叶に
「友哉に、榊さんに全て話すことになったと言っておけ。あいつもそれなりの覚悟がいるだろうからな」
 と そう言ってやっと奥の部屋のドアノブを開けかけた佐伯に続いて行った。
 戸叶は意外と重要な任務だな…と、既に馬鹿騒ぎしている中へと向かっていき、まず少し静かにしろと嗜めた。

「榊さんお待たせしたようで」
 頭を下げて榊の前に腰を下ろした佐伯は、後から来た姫木がブラインドを下ろしに行くのを確認した後、テーブルの上の写真に目を落とした。
「写真をご覧になったそうですね」
 姫木も佐伯の隣へ座り、テーブルの上の写真を確認する。
「ここに写っている男は、俺がお前たちに友哉の件を頼みにくる前の日に友哉のマンションの前で俺にぶつかってきたんだ。結構威勢のいい言葉を吐いていったものだが、まあどこかのチンピラでもあるだろうと気にも留めていなかったんだが、その男の写真がここにあるからどうしたのかと思ってな」
 佐伯は少しだけ座り直して、両肘を両膝にのせて身を乗り出した。
「確かに、榊さんに言っていないことが有ります」
 そう言って両手を握り込む。
「その前に先に報告させてください。今日の一件は無事に済みました。借金はチャラにすると貸元の黒田さんは言ってくれましたし、ちょうど柳井の2代目も居たのでわざわざお礼に出向かずに済んでラッキーでしたよ」
 柳井の2代目の辺りで榊の眉がぴくりと反応したが、2人はそれには気づかなかった。
「そうか、じゃあその件はもう済んだこととしていい訳だな」
「はい。“そっち”はもう完璧に」
 榊は深いため息をつき
「それじゃあ今度はこっちの話だな」
 と写真をずいっと佐伯へ押した。
「取り敢えずですが榊さん。まずは最後まで落ち着いて話を聞いてください。お願いします」
 榊は友哉の親代わりの自分が、佐伯にここまで言われるようなことを聞かされるんだと察し、もう一度深く息を吐く。
「実は、友哉は借金の形(カタ)に売春(うり)をさせられていました」
 榊の顔が一瞬で凍りつき、膝の上の手がぎゅうっと握られた。
「まあ、友哉がそう言うことをさせられて憤るのは俺たちも一緒なんすけど、俺らの世界じゃこれ自体は何も責められないというか…こう言う状況はありがちじゃないっすか。だからまず、そっから友哉を逃す手段をとった訳なんすけど…これに関しての問題は他にありまして」
 確かに今回はたまたま友哉だったが、この東京で借金の形に売りをさせられている男女がどのくらいいることか。
 榊は自身を落ち着かせるために一度天井をみて、深くソファに座り直した。
 他の誰がしていようと身内がそんなことになったら許せないものだが、榊がこの世界に身を置いている以上それ自体は責められない。
「で、問題ってのは」
 平静を取り戻した声で榊は問う。
「借金の形に売りをさせてたって言うのは、一万歩譲ってよしとしましょう。でもその男、金子って言うんですが、借金の形以外に自分も友哉を遊びでやってましてね。これは俺と姫木が本人の口から聞いたので確かです。それに加えて、黒狼会の若いのも一緒になってという可能性も出てきまして…」
 榊の顔から表情が完全に消え、手元のコーヒーを手にする動作すら非常にゆっくりだ。
ー怒ってんなぁー
 佐伯と姫木は顔を見合わせる。
「それとですね」
「まだあるのか」
 佐伯が続けようとすると、そう言って榊は両目を瞑った。
「さっき知ったんですけど、どうやら友哉はこいつに薬を飲まされてた様で」
 榊の目が見開かれる
「覚醒剤(シャブ)か」
「いえ、そこまでじゃなかったっす。MDMAという一種の幻覚剤なんですが、なんていうかこれを服用すると催淫効果で、感度が上がるとか」
 その薬は榊も知っている。LSDの一種で、そのテの薬ではかなり効果が高いと。
「それを飲まされてたのか」
「まあ、飲まされてたというよりは、友哉自身飲まないとやってられなかったようで…客を取らされる苦痛はそれでかなり軽減したと…」
 言いながら佐伯はテーブルの写真を手に取った。
「今日の勝負が終わるまでは金子は放置していたんですが、薬の話を聞かされて俺も少しキレかかりましてね…早晩こちらから出ようと思ってます」
 いいながらその写真を破る。榊も相当頭に来ているようで、能面のような表情がますます無表情になり、怒りが最高潮なことを物語っている。
 すぐにでも自分が赴いて金子とやらを八つ裂きにしたい気持ちが湧いてくるが、今榊は高遠No.2牧島のお付きという立場がありそれはできない。しかもその立場から言えば、双龍会は牧島組の直轄であるのだから、この佐伯と姫木が出ていく制裁も組同士の喧嘩になりかねないと判っている。
 今の柳井との休戦協定は、いかに悔しくても個人のトラブル如きでは破ってはいけないものなのだ。
「榊さん」
 榊の心情を察し、佐伯は言葉を続ける
「金子への制裁は、大事(おおごと)にならない様には手は打ってありますよ」
ーえ?ーと榊は佐伯と目を合わせた。
「さっき黒狼会から引き上げる際黒田さんと2代目に、下っ端の金子という男の身に何が起こっても、それは俺たちが正当防衛で行うことだ、と了承をとって来ています」
ーなので、なんなりとお申し付けくださいーとニッと笑う佐伯に、榊は頼もしい部下の存在を感じ取り漸く少し苦笑する。
「抜け目が無いな、おまえらは」
「それが仕事なんで」
 榊は金子に対し正当な制裁を加えられることに少し気持ちが落ち着き、タバコを咥えた。
 そして姫木が出した火で煙草を点しながら
「任せていいか」
 と確認した。
「勿論です」
 2人は頷く。
「後のことは気にするな」
 佐伯と姫木はその言葉に頭を下げた。

 3人が部屋を出た時、その場の全員は料理を前にしながら食べもせず各々がバラバラに椅子に座っていた。
 全てを話すことになった友哉の気持ちを思うと、はしゃいではいられなかったのだろう。
 戸叶と佐藤は、もしも榊が友哉を殴ったりした時は支えにでもなればと言う気で傍に立っている。まさか榊を止めることはできないから…
 友哉も榊が出てきた時に立ち上がり、顔が見れずに俯いていた。
 榊はゆっくりと歩を進め、友哉は榊が近づくにつれ身を固くする。周囲(あたり)は静まり返り、これからどんな事が起こるのか固唾を飲んで見つめていた。
 そして友哉の前に立った榊は数秒俯く友哉を見つめたが、ゆっくりと右手をあげ友哉の頭を撫でた。そしてその頭を自分の胸に引き寄せる。
「大変だったな…よくがんばった」
 とその手に力を込める。
「もう1人で戦わなくていい」
 どんな風に怒られても叩かれても仕方ないと覚悟していた友哉は、その言葉に今までの記憶が一気に蘇り、涙が溢れ出た。嫌なことしか思い出せない。でも、もうそれも無くなるんだと思ったら溢れるように涙がこぼれ榊の腕の中で
「ごめんなさい…」
 と小さく呟くと、涙を見せないように榊に顔を埋める。その頭を榊はしっかりと抱きしめてやった。

 その後は榊が、せっかく用意したのだからみんなで食え、と促して取り敢えずの一件落着を祝う感じで盛り上がった。
 隅っこで密かにシャンパンをちびちびやっていた龍一はーやっとだよーと腰を上げて、チキンの丸焼きにかぶりつく。
 そして、室内を見つめながら
「この事務所、大学のゼミみてえだな」
 と 1人呟いた。思っていたより居心地が良かったようだ。しかし見るからに学生に見える組員たちだが、いざ事が起きると怖いお兄さんになってしまうのが信じられないのも確かだ。
「やってるな」
 と佐伯が近寄ってくる。
「あ、嫌味な先輩だ」
 学校になぞらえて、龍一はそう言って笑う
「何の話だよ」
 近寄ってきた佐伯も訳のわからない言葉に首を傾げたがー待たせて悪かったーともう一本持ってきたシャンパンをと掲げた。龍一は注げ!とばかりにコップを突き出す。
「コップで悪いな」
 とさすがに言って、佐伯はシャンパンの首を持ってまるで日本酒のように注いでやる。
 それをみた龍一は 注ぎ方がコップ並みだわとゲラゲラわらって、注がれたシャンパンを飲み干した。

 その次ぐ日から数日間、事務所を挙げて金子の動向を探った。
 金子に関して判ったことは、どこかに逃げたか、住処(ヤサ)はどこか、と徹底的に調べたが、結局友哉のマンションに入り浸っているということだ。
 そりゃあいいマンションだし立地もいい、住みたくもなるだろう。
「あいつ舐めてんな」
 戸叶が苛立たしそうに舌を鳴らす。
「まあ、俺らのこと判ってねえし、そりゃ仕方ねえよ」
 昼間、マンションを見張りながら戸叶と佐藤はソフトクリームを舐めながらそんな会話をしていた。もちろん仕事のうちで、アイス舐めて停車している車などは油断させるに十分だ。
 昨夜の話し合いで、今日の夜に金子の制裁を決行することに決まった。
 金子が部屋にいるにしろいないにしろ、取り敢えず午前0時になったら部屋へ入り、金子を見つけ次第エレベーターへと連れ込むのが作戦の第一段階だった。
 その中で起こることは、佐伯と姫木しか知り得ない。
 今の戸叶と佐藤は、他の人間(黒狼会)の出入りをまず確認することだ。それによって出かたも変わるから。
 同じところにばかりいたら後々目撃者等で面倒になるので、途中食事や諸々の事で若手と車を交代しながら、長い時間マンションを見張った。現在23時50分。
 佐藤は佐伯に連絡を入れた。
「今現在、金子は不在です。黒狼会の動きも見えず現場は今の所異常なしです」
 佐伯たちは今、近くの公園脇に児島と涌谷の若手と待機している。
『わかった。じゃあ俺らも向かう。金子が現れたら連絡してくれ』
「わかりました」
 運転席の戸叶にー今来るらしいーと告げると、戸叶は車のエンジンをかけてその場を離れ少し遠いがマンションが見渡せる道へと移動した。
 少しすると白のヴェルファイアが到着し、そこから佐伯と姫木が降りると再び発進していく。
「いよいよだな」
 戸叶がハンドルに腕を乗せて佐伯と姫木の後ろ姿を見送る。
 佐伯は腰までの黒いコート。姫木はいつも長いロング丈の黒コート。もう後姿だけで2人の判別は付く。
 仕事の時に黒い服を着るのは、たいてい血を見ることが多いせいで、返り血なども目立たないからだった。
 戸叶も佐藤も佐伯たち2人の仕事が好きだった。
 容赦がなく、見事で、必要な時は一撃でとどめをさせる。この世界に足を踏み入れた頃初めて見た佐伯と姫木の仕事が目に焼き付き、それからずっとそばにいる。
 2人は今ワクワクで胸が躍っていた。

 佐伯と姫木は、まず友哉の部屋へ向かった。友也からカードキーを預かり部屋へ入ると酒瓶や食べ物の容器が散らばり、見るに耐えない惨状である。
「ひでえな」
 姫木が眉を寄せながら足元のゴミを弾く。仕事の内容上いちいち脱ぎ履きできない靴は申し訳ないと思いつつそのまま履いて入り、リビングに入るとかろうじて空いているソファとパソコンデスクの前のゲーミングチェアーに各々腰掛けた。
「戻ってくるかな」
 言いながら、佐伯はソファの上にある菓子の袋を床に落とす。
「そんときゃそん時だな。どこにいようが俺らは行くし」
 のんびりとゲーミングチェアーに寄りかかる姫木は心なしか楽しそうな表情。
 そんな表情を見て佐伯も表情が緩む。
「お前、そんな楽しそうな顔すんなよ」
「お前もな」 
 元々2人がこの世界に入った理由は、堂々と喧嘩ができて何をしたって許される環境が整っているからだ。
 実際は何をしたっていいわけではないが、2人は力ずくで上の者の信用を勝ち取り、組まで一つ任され、好きなことをした後の始末は全て上がやってくれるという立場を確立したのだ。
 しかし、そんな修羅場はそうそうあるわけでもなく、特にその傾向が強い姫木は久しぶりに血を見そうな仕事に気持ちが湧き立っていた。
 音を消したスマホが震え、見てみると
<金子がマンションに入りました。すぐに部屋へ着くと思います>
 と言うメッセージ。
「来るぞ」
 と姫木に告げ、2人はゆったりと椅子へもたれかかった。

 カードキーが解除の音を鳴らすと、ドアが開いて金子が入ってきた。
 鼻歌を歌いながらリビングのドアを開けて、金子は
「誰だ?」
 と誰何する。
「いやあ、金子さんお久しぶりっす!先日は世話になりました。こないだの子良かったんで直に来ちゃいました」
 放っとけばテヘッと言いそうな勢いでとぼけている佐伯に、金子は瞬時にこめかみへ血管を浮き出させ
「おまえ!なんだと、ふざけるな!てめえらが連れ出したのはわかってんだよ!あいつをどうした。借金があるんだぞ。返させねえと俺が上への示しがつかねえんだ」
 やっぱりどうみても立派なただのチンピラだった。
「あ、やっぱりバレてました?そうなんすよ。実はこの部屋の人に頼まれましてね、金を返さなきゃならないからあんたを連れて来てくれって。一緒に来てくれますよね」
「ふざけんなよ!戻る気があんならあいつを連れてこい!」
 座っている佐伯の胸ぐらを掴んで息巻いてくる。
「そう言わずに。今彼は事情があってここに来られないんですよ。一緒に来てくださいって」
 声が静かな割に、佐伯は強い力で金子の手を引き剥がし掴んだ手首を捻り上げた。
「痛えよ!何すんだよ、離せっ!この野郎離せよ」
 身を捩って佐伯の手を振り切ろうとするが、横からやってきた姫木に髪を掴まれ膝で顔面を蹴られると大人しくなった。
「な…何なんだよお前ら…」
 鼻血を垂らし、折れた前歯をぺっと吐き出す金子を姫木は髪を掴んだまま玄関へと引っ張る。
「どこ行くんだ…よ。あいつ連れてこいっつってんだろ」
 そんな形(なり)になっても悪態をつく金子を、姫木は今度はリビングのドアノブへ額を打ちつけ、呻く金子を再び引っ張って玄関から出した。
 佐伯はノリノリの姫木に任せ、後ろからついてゆく。
 姫木は半ば引きずるように金子を連れてエレベーターまで来ると、戸叶が扉を開けて待っていた中へひきずりこみ、ドアの反対側の壁に音がするほど押しつけた。
 佐伯は戸叶に、部屋と廊下を汚したことを詫び扉を閉める。戸叶は直ぐに持っていたキーでエレベーターを止め、そしてまず廊下の掃除でもしておこうと佐藤に道具持ってくる様に連絡した。
 姫木が金子を押し付けている間に、佐伯は金子から武器になるものを全て取り上げる。
「いいナイフ持ってるじゃん」
 金子の腰のホルダーに収まっていたナイフを取り出し、姫木に渡した。
「あと銃(ハジキ)な、生意気〜」
 そう笑いながら。金子の頭に銃口を当てる。
「ヒィッ」
 と金子の喉がなり、鼻血で真っ赤な顔が青ざめた。
「馬鹿だな、こんな簡単にやるわけねえだろ。赤かったり青かったり忙しいな、あんたも」
 拳銃をエレベーターの後ろ隅に放り投げ、佐伯は金子の腰を思い切り踏みつける。
 頭を姫木に、腰を佐伯に押し付けられて金子はカエルみたいに壁に張り付けられていた。
「友哉が世話になったな」
 踏みつけた足をぐりぐりと捻りながら、より強く押し付ける。
「借金の形以外にも世話になったようで」
 姫木は空いている手でナイフを持ち、金子からは見えない首筋に当てて刃先をたてた。
「これの切れ味はどうなってんだ?」
 自分では見えないところで当てられるナイフは恐怖でしかない。
「や、やめろって…」
「答えになってねえんだよな、じゃあ試すか」
 そう言って姫木はナイフを耳朶にあてて、軽く下へ振り下ろす。
「ぎゃああっ」
 金子の悲鳴が響き、足元に落ちた耳朶のかけらを見て
「切れ味最高じゃね?最初から教えとけば痛い目見なかったのになぁ」
 と、ナイフを再び首元へ戻す
「な、なんなんだよあんたら!」
 壁づたいに流れる血に、右側の上半身がじわじわと侵食されていく感覚に金子も流石に怯えの色が入ってくる。
「この世界に入ったらさ…」
 そう言いながら佐伯は姫木に目配せして、よいしょなどといいながら不意に金子を反転させた。
 自分たちと向かい合う形にして、もう一度今度は腹を足で押さえ、姫木は左腕を持って高く上げさせる。
「自分だけが強いと思っちゃダメだよね。お前天下取ったみたいな事やってたけど、素人相手じゃカッコ悪いよな」
 もう抗う気力はないらしく、押さえつけられた腹はさっき食べたばかりの焼き肉が出そうだ。
「まあ、そう言うことで俺らはお礼に来たんだよ。友哉が世話になった礼にね」
 足を外して金子へ身を寄せた佐伯は、右足を金子の足の間に割り込ませ寄せた右足で金子の股間を持ち上げた。
「これで可愛がってくれたってな。ありがとう」
「うぐあっ」 
 膝をぎゅっと上に上げて睾丸を上へと持ち上げる。膝の上で陰嚢がコロコロ動くものだから、佐伯は2個まとめて後ろへと押し付けた。金子から冷や汗が流れ出る。
「そ、そんなのあんたらだって楽し…」
「わかってねえな。俺らは友哉の友達でさ、みるに見かねて助けたんだよ。借金の形に売春(売り)やってんのは仕方ねえとして、お前まで楽しむのは筋が違わねえか?金は払ったのか?」
 膝は相変わらずグリグリと上へと押し上げ、白目剥きそうな金子はそれでもここで失神したら命に関わるとでも思っているように意識を保とうと頑張っている。
「あ…あいつヤクザに知り合いいるなんて一言も…」
「知り合いどころか、あの子は高遠の幹部の息子だよ」
 今度こそ顔色が真っ青になった。もう殺されるとしか思えない。
「何をしたか、このボンクラな頭でも解ったみたいだな」
 佐伯は顔を極限まで近づけて笑った。
「てめえみてえなチンピラでも、高遠と柳井の確執くらいは知ってんだろ」
 金子の身体はもう何が理由かもわからないが、ガタガタ震え出している。
 ことの成り行きを黙って聞いていた姫木だったが、手が疲れたと言って
「いいかな」
 と佐伯に問い、いんじゃね?という謎の会話に今にもぶっ倒れそうな金子が??と思っている間に
「ぎいいやあああああ!」
 と悲鳴を上げさせられた。
 金子の左手はエレベーターの壁にナイフで刺されて固定されてしまった。
「痛えよ!いてえ!」
 騒いで腰を沈めればますます睾丸が体に食い込むし、左手は昆虫がピンを刺されたように留められてるしで次第に混乱してくる
「助けてくれ!知らなかったんだよ!本当だっ!な、助けてくれよ」
 空いている右手は、耳からの出血で真っ赤だったが拝むポーズを何度もして、金子は懇願してきた。
「命まで取ろうと思っちゃいないよ」
 佐伯がそう言うが、姫木は自分の愛用のナイフを取り出していて、それの刃先はさっきとは逆の首元で再びエッジを立ててトントンと叩かれる。
「でもそれ相応の罰は受けてもらわないと」
 こいつ…こいつやる気満々じゃねえか??と目だけで姫木を伺いながら金子は怯えていた。右手はますます拝みのポーズで、懇願をくりかえす金子に
「この右手鬱陶しいな」
 と佐伯もナイフを取り出し、右手を左手と同じ高さにあわせると
「この辺かな?」
 と意味もなく左手の高さを確認してーいいね。ここだねー
 そう言いながらそのままナイフを掌に突き立てた。
「いいいいいいいいいいいいいいいっ」
 言葉にならない声で金子は歯を食いしばる。
「これで邪魔じゃないな。よし、じゃあ本番」
「何しやがるこのやろうっ!てめえ!俺のバックには『柳井』が付いてんだぞ!舐めたことしやがると抗争(戦争)だぞ!」
 もう完全に裏返ってしまった声で金子は捲し立てる。真っ青になってる割にまだこんな元気が残っていた。が、金子の瞳孔は開き気味になり、かなりの興奮状態に陥っていた。
「安心しろ。お前みたいなチンピラが原因で抗争(せんそう)なんて起きねえよ」
 喉の皮一枚が姫木によってずっとトントンと叩かれ続けて、血が滴るほどになっていた。そしてその滲んでいる傷口に今度こそしっかりと歯
刃をあてすうっと撫でる。頸動脈の少し後ろに赤い線がつき、結構な量の血が滲んできていた。
「そっそんなことねえっ!俺には黒田の貸元がついてんだ!貸元なら俺の敵を…」
 佐伯は微笑みながらもう一本のナイフを出して、金子の掌を刺しているナイフをコンコンと叩いた。金子の顔が激しく歪む。
 姫木は自分の方で刺し留めてある手を佐伯同様見つめた。
「その黒田さんと話がついてるんだよ。ついでに教えるけど、柳井の2代目にも話はつけてある」
 だからお前についてるやつはもういねえよー 耳元で言ってやる。
 金子は今度は恐怖で体が震え出し、そしてみっともなくも涙を流し始めた。
 黒田とどんな繋がりか知らないが、昨日今日入った新参のチンピラに黒田が肩入れする訳もない。
「たっ助けてくれっ頼むっ!もうあいつには手ェ出さねえからっなっ頼むよ」
「もう遅いんだよな」
 姫木はそう言って、右手に持っていたナイフをエレベーターの壁にダンッダンッダンッと3回突き立て
「許しを乞うことなんざ最初からやるんじゃねえんだよ」
 ともう一回ダンッと壁を突くと、一瞬何が起こったかも判らないでいた金子が痛みに悲鳴をあげた。
「ひいいいっひいっ」
 情けない声の元は、姫木の足元に転がった指4本。
「効き手は避けておいた。左利きだったら悪いな」
 佐伯は金子の悲鳴があまりに大きくて耳障りだと、その口に金子が着ているコートの裾を突っ込んでやった。
「あんまり大声ばっかあげると、ご近所に迷惑だから」
 そう言いながら佐伯は、金子のだらしなく下がったカーゴパンツのボタンをはずしずりおろすと下着から縮み上がった金子のモノを引っ張り出した。
「おー、見事に縮こまってんな」
 そりゃあそうだろうな、と笑い佐伯はそれでも握れる部分を握って
「ここを切っちまえば、もう誰にも悪さできないだろ。どうかな」
 片手に握られたものにナイフを当てる様子を見て、金子は涙を流しながら
「わえええうえええーーあおうーわえおー」
 くぐもった声が佐伯に訴えかけながら首を横に振る。
「俺もここまでしなくてもいいとは思うんだけどな…」
 佐伯の言葉に金子は一瞬安堵の表情を見せてこくこくと頷く。
「でも俺にも『上』てもんがいて、こうでもしないと許してもらえねえんだよ」
 コートを加えた口がますます言葉にならない声をあげ、感じたことのない痛みに金子の顔は歪み切った。
 佐伯の手の中で半分だけ切り込まれた陰茎が夥しい血を流し、金子は既に失神状態である。
 両手を壁に刺し留められ、倒れることも許されずに金子は壁に貼り付けられたまま力無くぶら下がっていた。
 佐伯は
「次があったらこんなもんじゃ済まねえからな。最大限の温情をかけてやったんだ。感謝しろ」
 そう言ってドアをドンと叩く。
 その瞬間エレベーターは動き出し、自動的に一階へと向かった。
 金子の傷は、病院へ行くタイミング次第では後々使い物になるかどうかの微妙なところ。
 金子は薄れてゆく意識の中で、この世界に入ったときに先輩の坂田から高遠の特攻隊の存在を聞いたことがあった。個人で関わったら大変な事になるから気をつけろと言われた。
 ドアが開いて出てゆく2人の背中を見てまさかな…と思いながら意識を手放した。

「お疲れさまっした」
 戸叶と佐藤が各々のボスに濡れタオルと乾いたタオルを差し出す。
「あとは任せた」
 佐伯はグローブを外し、使い終わったタオルとともに戸叶へ渡し、その言葉に頭を下げた2人を残して佐伯と姫木は目の前に停められた車(ハリアー)に乗り込んだ。
 前から児島と涌谷が荷物を抱えて走ってきて、
「お疲れ様でした。さっきの公園とこにヴェルファイアあるんで乗り換えてください」
 そう言って、マンションへ手助けに向かった。
 佐伯はそれにーおうーと応え車を発進させる。姫木は既にスマホを取り出し榊へと連絡をしている。
 軽い会話の後すぐに切った姫木に
「なんて?」
 と問うと
「終わったかって。殺ったのかってから、やってないないと伝えておいた」
 ぶっきらぼうに言って、姫木は黙り込む。
 その沈黙は、血を見た後の姫木のいつもの現象。
 佐伯は膝の上で握られる姫木の手を見て、少しだけスピードを上げた。
 公園脇に停めてあるヴェルファイアの後ろにハリアーをつけ、佐伯は姫木を引き寄せる。
「堪らねえ顔してるよ、お前」
 姫木の脳裏には、床に滴る血溜まりが離れない。
 黙って見返す姫木の頭を寄せて、佐伯は唇を合わせた。
 応急処置のちょっと激しいもの。
「我慢できるか?」
 頷く姫木を確認してヴェルファイアへと乗り換えた。

「な…にしてんだ……はやく…来いよ神楽…」
 胸の辺りを徘徊する佐伯の舌に焦れて、姫木はその髪を引っ張る。
 マンションへ着いた時から、姫木は耐えられなくなっていた。地下の駐車場から部屋へのエレベーターの中まで、佐伯にずっと絡みつき舌を吸いまくり、部屋へ入ってからも、あんな状況だったからと無理やりシャワーを浴びせたが、その間も熱い吐息は治まらない。
 そして今
「焦るなよ譲(ゆずる)…お前のこんなのってたまになんだから、俺にも楽しませろ」
 焦らすのは意地悪でもなんでもなく、こんな時にしか姫木のこういう姿は見られないので、佐伯も堪能はしたい。
 今まで触れていた『姫木自身』から手を離し、舌で胸を悪戯するだけに切り替える。
 佐伯にしがみつく腕は感じていることを雄弁に語り、今日の血を見た姫木の興奮度は久しぶりだからなのかいつもより激しい。
 血を見て欲情する姫木の性質は、回を重ねる毎に激しくなっていた。
 流された血が姫木の中に溜まって好意を激しくしている様な感覚に佐伯は、もしかしたらいつか姫木の身体から、溜まった物が一気に吐き出される時がくるのではないかと思っている。
 そしてこうして少しずつ姫木の“血抜き”をして行くのがいいのか悪いのかは佐伯にも判らなかった。
 佐伯は姫木の胸から上へと下を這わせ、抱きしめる様に肩ぐちに口を当てるとそこに噛みつき血を滲ませる。それを舌で掬って姫木の唇へ運ぶ。
「お前のだよ…これでもっと煽れよ…俺を」
 佐伯の舌に舌を絡めて、姫木は血の味を堪能し、自らの口内へと広げてゆく。
 姫木が溜まった物を吐き出すとき、一緒に行ってやるのがいいのか…それとも少しずつだがこうやって抜いていって、少しでも長く一緒に過ごすのがいいのかは佐伯には答えを出せない。というか出す必要を感じなくなってきた。
 なる様にしかならない。姫木の口癖みたいな言葉が頭をよぎり今は目の前の愛おしい怪物を堪能しようとおもった。
 手と舌の愛撫だけで喘ぐ姫木の身体を抱きしめ、その両足の間に身体を入れると自然と足が腰に絡んできた。
 そのままゆっくりと身を進め、姫木の中へと入り込んでゆく。
 入る速度に合わせ喉が反って行く姫木は、収まり切った時には大きく喉をさらすほどになっていた。その喉元に舌を這わせ、佐伯は姫木を揺らす。
 両腕を姫木の脇について揺れを激しくしながら、その変化を楽しんでいる佐伯の腕に姫木の指が絡んでくる。
 入り切った後の姫木は、入る前よりも声が密やかで、息を吐くのさえも遠慮がちにまるで佐伯を感じたいかの如く、揺らぎに身を任せている。
「譲…静かだな…」
 目を瞑る姫木の上で、佐伯は笑った。
「いいから…そのままつづけろよ…」
 細く開けた目さえもが佐伯を煽って、言われなくたってそう簡単には萎えそうもない、と呟き一転激しく姫木を攻め立て始めた。

 目の前に置かれた300万をみて、佐伯と姫木は榊の顔を見る。
 仕事を終えた次ぐ日の夕方である。
「榊さん、これは…」
「今回の件は俺がお前達に依頼したことだから、これは正当な報酬だろう」
 それはそうだが、隠し事をした負い目もあるし何より直の上役にまさかもらうわけにはいかない。
「とんでもないっす。そちらに納めてください俺たちは金のためにやったんじゃないっすから」
 札束を押し戻して、勘弁してくださいと頭を下げる。
「まあそう言わずに貰ってやってくれ。実を言えば新浜さんからの分も入ってるんだ」
「え?」
 と顔を上げた2人へ、榊は
「先日友哉を連れて面会に行ってきた。新浜さんは怒っちゃあいたけど、でもこうして友哉が無事に世間へ戻れる様にしてくれたお前達にも感謝しててな、自分には金でしか誠意を表せないが…といって、俺が口座から預かってきた。だから受け取ってやってくれ」
 そう言われてしまうと、押し返すのも却って失礼になる。
「解りました…それなら有り難く頂戴します。越谷にも何かしようと思ってたんで、1束渡せます。ありがとうございました」
「越谷と言えば、すごいイカサマやったそうだな」
 あの、全員が手元に注目する中での札替えは見事だったと、友哉などは『マリックだよ』とはしゃいでいたようだ。
「ええ、お陰で本当に助かりましたよ。大学(がっこう)サボって遊んでるだけのことはありますね」
 最後の言葉に笑って、榊は一度ちゃんと会ってみたいと佐伯に告げる。
 佐伯は話しておきます、と言った後で
「そう言えば、友哉は医者には行ったんですか」
 越谷といえば、友哉のMDMAの副作用を心配していたことを思い出したのだ。
「一応簡単な検査を受けて異常はなかったみたいだ。とりあえず人間ドックを受けさせたが、結果はまだでないけど、医者は大方大丈夫だろうと言っていた」
 ヤクザが薬(シャブ)をやろうが一向に構わないのだが、一般の人間が、まして身内がドラッグ中毒になるのは佐伯にはやるせない。常習性がないにしても薬で身体を壊したなんていうのは、社会人としては致命的だ。
「よかったすね。俺もほっとしました。越谷も心配してたんで」
 榊は、その言葉に、本当に一度飯でも食おうと言っておいてくれと言って立ち上がった。
「今日はこれから?」
「ああ、一旦事務所に戻って牧島さんを恵比寿に送らなきゃなんだ」
「行ったり来たり大変すね」
 ここは目黒だから、一度品川に行って戻ってくるようである。
「あ、それとこれ」
 笑って榊はポケットから板チョコを5枚ほど取り出して、姫木へ差し出した。
 昨日の1件で今朝からぼんやりしていた姫木は、今の2人の会話も半ば頭に入っていないだろう。血を見る仕事の後は、姫木はアドレナリンを使い切ってしまったかのようにおとなしいのが常で、そういう時にいつも普段食べないチョコレートを食べている、と双龍会の誰かから聞いたと榊は言った。
「あ、すんません」
 ちょうど買ってこようかなと考えていたところだったので、有難い。
「こんな細かいところまですみません」
 佐伯も笑って礼を言う。
「ところで恵比寿っていうのは、牧島さん囲ってるって聞きましたけど」
 下世話に小指を立てて、佐伯はワクワクした目で榊をみた。
「今度俺らにも会わせてくださいって伝えてください」
 期待しかない佐伯の言葉に榊は密かにため息をつく。確かに『姐さん』という人間が居なすぎる環境だが、榊にはやはり『姐さんじゃあないんだ』とも伝えられず、ましてや相手が『柳井組の2代目』だなんて言うのは、太陽が西から昇ったって榊の口からは言えない。
「いつか牧島さんが、佐伯と姫木には紹介するとか言ってたから、それまで待ってるといい」
 幾分青い顔をしてそう言うと、榊はじゃあ、と帰っていった。
 下の者達に、姐さんがいない、と結構淋しそうなことを言われるので、これで一安心。と胸を撫で下ろす。
 兎にも角にも、今回の一件は全て方がついた。
「金も入ったし、正月はどこか温泉でも行くか?」
 何気に姫木だけに行った言葉を、どこでどう聞いてどう勘違いしたのか、周りにいた戸叶や佐藤、その他の組員達が
「ほんとーっすか⁉︎」
 と寄って来る。
「いやー嬉しいなあ。すんません、有り難く連れていっていただきます」
「俺温泉なんて何年振りだろう」
「やっぱ箱根っすか?俺今から宿とか調べて予約します」
「彼女も連れてっていいすか」
 周りでここまで騒がれてはもうお手上げである。
 今回の金は新浜の好意でもあることだし、友哉のことは組員も心配も協力もしてくれた。
「んじゃ、豪勢に行くか!」
 佐伯の声に皆大喜び。
 その喜びの傍で、姫木が佐伯の腕を引く。
「越谷さんにあげる分はとっておいてやれよ」
 佐伯はー大丈夫、先に100渡しとくからーと言って、再びみなと浮かれポンチ。
「あ、龍一も旅行に誘ってやろうかな。人数多いほうが楽しいだろ」
 浮かれた気分でそう言う佐伯に、
『越谷さんがヤクザと一緒に温泉行くのを嫌がらなければの話だろうけどな』
 と、周囲の盛り上がりを他所に、榊に貰ったチョコレートを一つ開けて齧り付く。
 行き先は、なし崩しに箱根。
 少しはのんびりしたい年末年始だった。

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