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18歳の時インドに行って気づいたこと

高校の卒業式を迎える1週間前に
2回目のインドへ行ったお話、、、🛩

言い忘れていたが、今回のインド旅noteも前回のnoteもその時感じてることをもちろん書いているが、行ったからこそ今気づけてることの方が圧倒的に多い。

なんでもそうなのかもしれない。

その時感じることはあっても、気づくことは後になって返ってくることが大半。

だから、みんな、体験することが伏線みたいなイメージで後の人生でその伏線を回収していくような人生になっているんだと思う。

全ては体験するためにあるってことを前にも言ったがほんとにそう思う。

このことについてはちゃんと確立された学問があるのでまた書いていきます😊

話を戻します。
はじめは帰ってきて2日後が卒業式だから
行くのやめとこっていう行かない理由をつけていたが、気がついたら飛行機に乗ってた。

っていうのはウソで8年前初めて行った時
カルチャーショックでほぼ寝込んでいたのもあり
あまり現地を見れなかったっていうのと、
当時10歳だった僕は未知の地域や路上を1人で
歩くのは怖かった、、がさすがに18にもなったら
色んなところ歩いて廻れるやろうっていう好奇心があって行くことにした。

といっても行く直前までは受験勉強でほとんど時間を使っていたから
気がついたらインドにいたレベルで時間が経つのが早かった。

それとインドは一度行くと、もう二度といきたくないという人と
また行ってみたいと思う人に分かれやすいみたいだが、僕は後者だったのもある。

18歳になった僕はまた同じ国、同じ地域に行くから
また同じようにみて感じるんやろなぁ〜と思いながらいったが、予想は真逆で全く違った見え方で、いろんな気づきがあった。

今思うとそらそうやろ、となるが当時は
まだ気づけていなかった。

以前のnoteにも書いたが10歳の時の脳と18歳の時の脳では経験値(記憶)が8年分違う。

見る角度も違えば、感じることも違う。

だから2回目とはいえ、初めて行く感覚だった。
正直な話、10歳の時どう思っていたかなんて
そこまで覚えていない(衝撃すぎて)。

過去にどう感じたとかは大事かもしれないが、
やっぱり1番大事なのは今何を思ってどう感じてるかだと僕は思う。

だから2回目のインドでは8年前寝込んで見ることができなかった施設も8年前に見た施設も全てクリアにしてみるように心掛けた。

着いた瞬間、発展途上国は8年でここまで変わるかというぐらい街並みが綺麗になっていた。
道路は整備されているし、サービスもかなり整っていたりでにぎやかになっていた、、が全体でみるとまだまだ生活スタイルは変わっていないとこもあった。

なんせ人が多すぎて、どこ行っても花金の夜の道頓堀ぐらいな感じかそれ以上。

交通なんか24時間クラクションのコンサート。
車、バイクが多いのに信号があまりないのには驚いた。

スレスレでもなんなく運転する高度な運転技術があるのと、普通に譲り合い精神があって信号がなくても全然事故らないらしい。(現地情報)
実際事故みたいなのは多いとは思うが、多分日本みたいに軽く当たっただけで警察とかのことにはならない。
そんなことと言ったらあかんのかもやけど、そんなことで警察沙汰にしたりしないんだと思う
(多分)。
人が多すぎてその辺の人がその場で解決してるのがあったし、当たっても何?みたいに当たり前に素通りする人もいて、なんか心とか器とか広いなぁって思った。
というか全然見知らぬ人でも団結力みたいなのを感じた。

そんなこんなで2回目のインドへ行ったのだが、
帰ってきてからはたくさんの矛盾を日本で感じていた。

なんと表現したらいいか難しいので
良くない表現をしてしまうかもしれないが、
正直なところインドより断然日本の方が生活水準が良いというのはインドに行ってなくてもわかるとは思う。

じゃあ日本に住んでるとみんな豊かで幸せに過ごしてるかというと全然そんなことないなと感じた。
小、中、高になるにつれて、よりそう思うようにもなり、何が違うのかは昔はわからなかったが、なんでそう思ったかはわかっていた気がする。
それが2回目いって確認できた。

なぜかというと、インドで生活してる人でもとても幸せそうに過ごしてる人もたくさんいたからだ。

今回コルカタではいろんな施設を見学させて頂き、それに気づけた。
親がいない子供の家(孤児院)や生まれつき障がいをもった子の家、過去に事故などで身体に支障をきたした人たちの職場、路上で1人で残りの人生を歩もうとしていた人たちが運び込まれる
「死を待つ人々の家」といわれる施設などなど
さまざまな施設を見させていただいた。

その中でも僕が1番衝撃を受けたのはやはり
「死を待つ人々の家」と言われているとこだった。

名前からもインパクトがあったが
路上で誰からも声をかけられることなく死だけを待つ人たちが送られてくる場所。
マザーテレサの言葉を借りると
誰からも必要とされずこの世を去っていく人たちが来る場所。
そんな場所があると聞いて自分の目で見るまでは
信じることができなかった。

マザーテレサはそんな誰からも必要とされずに運ばれてくる人一人一人に寄り添って声をかけ続けていたみたい。

マザーがいつも口にしていたのは
この世に誰一人として不必要に生まれてくる人はいない、ということ。

そのことを目の前に運ばれてくる人に言い続けていたと現地の人が言っていた。

マザーテレサはもうこの世にはいないが
その意志、生き方は今でも語り続けられ、受け継がれている。
実際小学5、6年生の時の国語の教科書にも載っていた。

死んでなお語り続けられ、受け継がれていく人が歴史に名を刻んでいってるんやと気づけた。

それと何をしたかも大切だけど、どんな思いでどう生きてきたかの方が
もっと大切やなとも思った。

「在り方」「生き方」となる部分だ。

今でも学んでいる途中だが
それを初めてマザーテレサから学んだ。

そして、現地で生きている人たちからも多く学ばせてもらった。

現地にいる人たちも
いつも笑顔でありがとうと言って今に感謝している。

今まで当たり前と思っていたことが
実は当たり前ではないんやなと思った瞬間でもあった。
普段生活していてものすごく小さな些細なことでも
こっちではものすごく大きかったりする。
というか、感謝に小さいも大きいもないんやなって今になって気づいた。
まずはその身の周りの小さなことがいかに今の自分の支えになっていたかを知ることからだとも思った。
よく聞く小さなことから感謝を忘れてはいけないって所にも繋がった。

生活水準なんて関係なく、いかに今をどう捉え、どう生きてるかが、大事だった。

日本という国でも同じような生活をしている人が
いるってことも知らなかった。
世界にはこんな地域でこんなにたくさんの人がこんな生活をしているんやってことを知るだけでいろんなことに目を向けられた。今も。

そして自分にはこんなに周りに人がいて恵まれていると初めて認識できた。

身の周りの物の大切さも再認識もできた。

今があるのもすべて周りに人がいたからであって、
1人で生きてたらおそらく今はないと思ってる。
それは1人やったら今頃死んでるとかそういうことじゃなくて
皆生まれてから何かしらで誰かに必要とされて生きてきてるということ。

だから、自分の周りで自分のことを不必要だとか
1人だとか、存在ないとか思ってる人にはそうじゃないってことを伝えていきたい。

「人」という漢字は人と人が支え合ってできてるってよく耳にするのもそういうことだと思った。

支え合うと聞くとお互いが支えることだけと認識していたが
支えると支えられるがセットで支え合うだと今は思うことができる。

支え合うから1人じゃできないこともできるようになる。

1人じゃできないことができるから楽しめる。

とインドという国のほんの一部を見て知ったからこそ、周りに人がいるから今楽しめているってことに気づけ、一生大切にしようと思った。


インドの全てを見たわけでもなく、まだまだ知らないことなんて山ほどある。
別にインドにこだわってるわけでもなく、たまたま僕がインドという国に出逢い
そこで実体験を通して感じて気づいたことがあっただけだと思っている。
ただ、その気づいたことを書くことで、誰かの気づきのきっかけになれば嬉しいなと思い、今回自分の体験談を初めて書いてみた。

もちろん単純に書きたかったから書いたのもある😄

やっぱり未知なことを知ったり体験するから新しい気づきが得れるんやなぁ
って身にしめて思った。

だから、これからもどんどん新しいことに触れていくし、それを一緒にできる人がいたらもっともっと面白い気づきが得れる🐉
んでもっと楽しくなる😄


だから、結局何が言いたかったかというと

みんなインドでもどこでもいこやぁぁぁぁ🤝

でした

おやすぅみ💤

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