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砂糖菓子みたいな人

注意
※独白・散文・書きなぐりの三拍子。
※気付いたから書きなぐりたくなっただけ。
※いきなり始まる

「話し合いには感情を排して臨め」か、確かにそのほうがスムーズだろうね。
だけど別に建設的な会話がしたかったわけじゃないんだよね。

「話を聞く気がない」って?そりゃそうだよ。
あの時の私は頭を使った「話し合い」なんて望んでいなかった。
「あなたの対応や態度から、その言葉がどこまで本気なのか知りたい」だけだったんだよね。だから、「多少ぶつかっても、これを伝えたい」みたいなものがあるのか知りたかった。

別に「考えを変える」っていう頭へのアプローチを求めてたわけじゃなくて、心を動かしてほしかったんだよね。自分の考えと言葉でぶつかってきてほしかった。

でも返ってきたのは「今いくら言葉をかけても無駄」って言葉だった。
「人の事知りたいっていう割に、こっちの言っていること否定してる」って。
そらそーだよ、こっちはぶつかる気満々でいるんだからな。
いつもとは違う、これが「本来の私のやり方」だよ。

「偽らない私が知りたい」ってのは、私にはとても重い言葉だった。
私がその言葉を使うのは、少なくとも何が起こっても対処できると自信が持てる時だけ。
それがこの短期間の付き合いで、私のめんどくささを測れているとは思えない。
だから信用できない。半端な気持ちで踏み込んでるんじゃないかって。
だから怒らせて本心暴いてやろうと思ったんだ。

悪い癖だとわかっているんだよ。
相手の本心が知りたいと思う時に、わざと怒らせるような言動とるのが。
でも、それしかわからない。
ずっと発破をかけられて育ったから、ぶつかり合いを前提とした人間関係で生きてきたから感情に身を委ねないとすべてを出せない。
自分がそうしないと本心出せないから、他人に対しても同じように接してしまうんだって。
でもそれも「本来の私が知りたい」って言葉をあてにして、出してみたんだよ。

だけど「無駄」の一言で自分のやり方を変える気はないんだってわかったよ。
あなたはいつでも「綺麗な自分」しか見せない。
怒らないし、取り乱さないし、見せている弱みや恥の部分すらどこか演出めいてる。
短所は「怒れない」だし、好きな子に手を出さない自分を臆病者と評した。
トゲトゲしてる私に対しても怒らないし、傷つかない。

自分で決めた「自分」の枠から出られない。
優しい言葉をかけて、相談に乗る以外のやり方はできない。
そんな「優しい自分」をやめる気はない。
それで救える人もいるだろうけど、私の心は動かされなかった。
正直がっかりした。

結局そっちの土俵に上がんきゃいけないわけね。
「心でぶつかるコミュニケーション」じゃなくて「アタマで言葉を交わし合う、建設的な話し合い」ね。
それで相手に合わせてもらって、いいことした気分ってわけ?
この人に限らず、いつも相手に譲ってばかりな気がしてうんざりする。
「誰か私に譲ってくれる人、いないもんかね~」っていう話してたときも
「相手がどのくらい譲っているか、こっちは分からないのに何で自分がいつも譲っているって言えるの?」だって。
そっちこそ、私にこんな葛藤があったなんて知らんくせにな。

「俺に勝ちたいって思ってるんじゃないの」って言われた。
それを全部は否定できないけど、本意はそれだけじゃない。
本心確かめたかったからぶっ叩いてた。私が今までの人生で出した答えに敵うだけの何かを持ってるのか知りたかった。「あんな言い方されたら防戦一方になるよ」って言うけどさ、言い返してほしかったから余計ぶっ叩いたんだよ(結果ダメだったんだけどさ)。

優しくされてムカつくとも話した。
(これに関しては根が深いので、別の機会にまとめる予定)
自己嫌悪になるくらい洗いざらい話した。私は。
向こうは知らん。どうせ綺麗ぶってるしなんかまだ隠してるだろ。

これだけ本心を話して1週間くらい経つけど、
結局「危険な話題は避けよう」って結論なんだろな。
「こんな事なら本心なんて言わなきゃよかった」ってこぼした時に
「それ自分が否定された気分だわ」なんて言ってたけど。
やっぱり言わなきゃよかったよ。私もぶつかり合いを避けられて悲しいよ。
野生の私は扱いきれなくてダメなんでしょ。
私がこんなこと考えてるとか、知らないだろうけどさ。

メンヘラ化して、まなてぃーの気持ちがわかる気がした。
言葉にしてなかったけど、あの子の事を本当に心配してるつもりだった。
だけど、自分からあの子に踏み出すことはしなくて、いつも「こっちで待っているよ」って態度ばかり。
きっとあの子もなりふり構わない本当の「好き」がほしかっただろうから、私の態度は気まぐれか同情にしか見えなかっただろうな。
だから私も人のこと言えないとは思うよ。
ましてそれが衝突となれば、なおさら実行には勇気がいるだろうし。

実際、向こうに「私のやり方に合わせてください」って求めるのは
間違っているんじゃないか?とも思うよ。だってただの友人だしね。
でも、それも「作りものじゃない本心を知りたい」とか「関係を進めていきたい」とかいう本人のご希望に沿った結果です、って言い訳を用意できるわけですが。

ここ10年くらいで「心と頭を切り離してしゃべること」を覚えた。
その甲斐あってか友人にも恵まれた。
(でもそれって「本来の私」が好きなわけじゃないんでしょ?と今は拗らせているけど。)

最後にぶつかった友人は、伝説となった?元ネッ友〇なこだった。
傍から見たら中学生レベルの幼稚さだっただろうけど、私たちは本気だったんだ。
同じ土俵で、同じやり方で本気でケンカしてたんだよ。
それで考えのすり合わせできたかはわからんが、謎の信頼は生まれた。

正直、そんなにすり合わせて考え方を一致させる必要ってあるんかね。
考え方が自分と合わなくても「こいつならまぁいっか」って信用できてる方が重要じゃない?と少し思った。
だから考えの一致度合いだけが結束を強めるってわけじゃないんでしょ?

そりゃ四六時中ぶつかっていたいってわけじゃないよ。
でも「ここは譲れないぞ」って時はね「自分はこうなんだ」って言いたいよ。
それで争ってもいいから、心の底を知りたいんだよ。
そうやって初めて分かり合えるものだってあるよね?
人の根深い部分なんかに入ろうとしたら、無傷では済まないのは当然でしょ?

でもきっと、こういうぶつかり方・発破かけ方のコミュニケーションって前時代的なんだろうな。お互い無傷で綺麗なままの、やさしい関係が今どきのやりかたなんだろうなって気づいた。
私も長いこと綺麗なままのコミュニケーションに慣れてたせいで、久々に自分の本性目の当たりにして自己嫌悪になったくらいだしな。

みんな繊細って前提。過激なものといえばお気持ち表明ツイート。
ぶつかり合い前提でがつがつ主張する奴は戦闘民族にしか見えんだろうな。

でも私は違うつもりなんだよな。
彼らは勝つつもりだけど、私はむしろ負けたいんだよ。ちゃんと勝負して負けたいから、そのフィールド作ってるだけなのに。
100%勝つとわかってたら勝負なんかしないよ。この言葉の意味も重さも、たぶんこれっぽっちも理解していないんだろうな。
ああ、ぜんっぜん同族なんかじゃなかった。

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