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マコトモドキに惹きつけられる方に捧ぐ記事

断食で万病は治らないと思うよ。(笑い)

昨日、ツイッター内に「反省瞑想」なる言葉を発見。
内容を読んでみると、
う〜ん、やはりマコトモドキなる内容であった。

ここ日本は仏魔に侵されし国。
だからこそ、このようなマコト無き言説に疑問を持たずに自ら巻き込まれに行くのだろうか?
火水伝文の中に出てくる「意乗り真仮名ヰ行」に似て非なるもの。

火水伝文より
【【メグル情け】のお仕組みに毛程の狂いもありはせんのぞ。
どんなカタチで訪れ様と汝の外した分だけを、
間違い無うキチリお渡し致すのでござるから、
殺されあろう、何あろう、
この世に被害者は唯のお一人も居らん申す事、
ハキリ、ハラに据えて下されよ。
この方は、何がありても善いなぞ申して居るので無いぞ。
取り違え致すなよ。
悪き響きが訪れるは【メグル情け】のお仕組みにござるから、
ご自身以外のせいになされてはならぬ申して居るのじゃ。
そは悪き響きに対しイサカウは、
ちいともメグリが真釣ろえぬばかりか、
新たな悪きメグル響きを産むばかりでござるからぞ。
メグル悪き響きには、真釣る響きで和し添わねば鳴らんのじゃ。
汝等が少しでも三真釣り持ち行きて、
真釣るマコトのご苦労をして居りて下されば、
死ぬところを大怪我で

済ませる事も、大怪我のところを小怪我で済ませる事も、
小怪我のところをかすり傷ぐらいで済ませる事も、
全く何事も無く済ませる事も、出くる申して居るのじゃ。
保身の身欲を捨てなされて、スミキリあれば見え来るマコトにござるよ。
 汝は汝の身魂を磨き出して下されよ。
外した真釣りをタテナオス事が、
和する響きを出す事に鳴るのざぞ。
メグリも和するが出くるのじゃ。
真釣り和する響き、汝ご自身が出さらいで、誰が鳴するのぞ。
されば、今今は心鍛えスミキリある様なさりて下されよ。
心スミキリあればある程、真釣る響き出くる様に鳴りて来るのじゃ。
汝ご自身が真釣る【足場】と鳴り成されたら、
ご立派でござるぞ。
周りに真釣り和す響きを与うが出くるのじゃ。
皆々に居るだけで喜ばれる者と鳴るぞ。
今世の家族申すものは、最期の最後のメグリ合いにござるから、
今生の小さき家族の枠中だけに、囚われ居りては過つぞ。    
何時かの生の折々に、真釣り合うたミタマばかりの家族で無いぞ。
真釣り外し合うたミタマの家族も数多あるのじゃ。
それぞれにメグル因縁を背負いて、
今世にお出ましあそばされて居るのじゃ。
酷きメグリの家族もあれば、軽ろきメグリの家族もあるのじゃ。
なれどこ度の大切は、お一人お一人が真釣りを取りて参らねば、
鳴らぬ事にてござるから、
それぞれに適した舞台が次々と鳴り鳴りて参るぞ。
ざから、自ら背負い参られたメグル響きにフタをせず、
現れ参りた不都合に詫びて感謝の響き持て、
三真釣るマコトの行持ちて、
和する響きに少しでも鳴り鳴るカタチに従うが、
汝の真釣りに至るミチじゃ。
身欲を捨てて、なされて見なされ。
家族の者が解からいでも、罵られありても、
そがマコト自ら真釣る響きであるなれば、
至慈至誠を持ちてやりて見なされよ。
汝ご自身が罵り居りては、
どう思い込みて居られ様が汝にもマコトはありもさん。
マコトが何処にあるのかも解からぬ今世にござるから、 
馬鹿だ。ウツケだと近しき者から非難を浴びても、
自らのマコトは自らが磨かねば誰も磨いてくれはせんのぞ。
なれど、そに至慈至誠を持ち行くを忘れて下さるなよ。
こが無くれば中身はからっぽじゃ。
こがあればマコトに真釣る響き鳴りて来るのじゃ。】

【今今の汝のお体が如何様な響きに鳴りて居りても、
それでも神のご守護で真釣られあるのぞ。
汝の体を支えるに神々がいか程のご苦労をなされて居るか、
ちいとは解かりて上げなされよ。
汝ご自身がひっくり返した真釣りの数々を、一言の
文句も言わぬどころか、尚、慈愛の笑み持て、
メグリ少なきを量られて居るのぞ。
お詫びの響き、感謝の響き更に更に深き底より鳴り出させねば、
申し訳無いぞ。
いつまでも辛くあるは、汝の我、強きが由じゃ。
汝、感謝深くある積もりにありても、マコト欺くは適わぬ事ぞ。
体ばかりで無いぞ。心辛くあるも同じ事じゃ。
マコトの感謝が出けて居らんのじゃ。
この方もいつまでも辛くあるを見るは忍び無いぞ。
メグル情けをかくるは、そなたが愛しく救うてやりたいからじゃ。
早う真釣りに戻りて欲しいからぞ。
マコト以外のすべてを捨てる程に鳴りて下されよ。
今辛くある者にか程強く申すも、
今今のご苦労申すは、これまでの発生の過ちの
総決算をするに当たりて、
少しでも楽にお陰が取れる様にと、
一挙に一度で渡す、 
三歳苦難のその前に、
お渡しなされた大事な掃除道具にござるのじゃ。】
もう三歳苦難に入ってしまったね。

真釣りが崩れた申すは天地の理法に違反した言う事でござるから、天地のご恩にケジメも取れん様な生き様の時がありたからであろうから、今生にて覚え無くありても、今様に型示しあるは現実なれば、違反致し来たりたも必ず事実あるをハラから認めるス直持ちて下されて、天地の御祖の大神様に天地の何かの真釣りに外れたる御無礼をお詫び申し上げ、間違いのありたを、今より以上の大難なる前に、気付かせありたご守護の情けに感謝申し上げ、主がうつけなばかりに何の罪科も無き尊き神の肉宮に、痛い思いをさせてすまなんだと心からのマコトのお詫びが出くたなら、出くたその時その場からこの方が善き方に向けて差し上ぐるからと申して居るのじゃ。念での操作はしてはならんぞ。気を付けて置くぞ。今様の人民様にありては特に心濁り行きてしもうて、楽なやり方ばかりに頼りて居るから、治りた時の事のみ思い描きて、病治るを図るが如きやりようを唱うる者共に付き従う人民様数多て出くるが、悪に魅入られて居るのじゃぞ。逆様でござるのじゃ。改心申すはそんな事では出来はせんぞ。楽に走らず感謝を持ちて、苦を抱き参らせなば至るは適わぬ改心でござる由、くどう念を押し置くぞ。

マコトモドキとの違い、わかったでしょ。
いずれにせよ、真理について書いてあるのは、「火水伝文」しかありません。
ですから、火水伝文と違うことが書かれていたら、どんなに大半が素晴らしきこと書かれていても、モドキなのです。

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