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大切なのは心の有り様(カゴメ唄追記)

ツイッターで、「日月神示」で検索してみる。

ひふみ祝詞を今だお経のように読んでいる人は多いのだろうか?
たとえ、古の言葉の羅列を三五七調で読もうと、「とおかみえみため」(遠つ神、微笑みたまえ)を唱える連中と何ら変わりは無いよ。
また、出口王仁三郎が唱えた「惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはえませ)」も同じですよ。確かにその内容は、「神様の御心のままに神霊の幸福をたまわりませ」という意味ですが、その言葉が意味をなす時代はもうだいぶ前に過ぎ去ったのです。

この私は豚肉もよく食べます。(笑い)
確かに、必要もない量を日々食べるのは問題がありますが、大切なことは、そんな細かい部分にはありません。

誰がこんな出家人みたいな食べ方をするであろうか?(笑い)

大日月地神示なる偽物神示というか、元つ神を語るお馬鹿神示を載せた本が出版されていますが、その語り主たる逆十字の御霊のことでは無く、大日月地大神とは統べる真中の神を示しています。

素盞鳴大神とはスサナルであり、スサノオのことではありません。
正式名は、「カムスサナルノオオカミ」であり、この地の辺の王たる立ち位置にあります。
ちなみに、スサノオの神霊はカムスサナルの響きに変えていただいたので、スサノオとしての存在はもうこの世にありません。

大事なことは、神名を唱える、マントラのようにつぶやくことではありません。
そこに「真釣り」無くば、「お陰」の心無くば、真言宗のマントラと大差は無いのです。

何度も同じことを書くが、この世の真理を知りたくば、「火水伝文」を読むことです。

この本以外に、この地上で真理を語っている書物は無いのです。

火水伝文に、日月神示は"御経綸の計画書"と記されていますが、それよりも、"このまま進んでいくと「夜明けの晩」が来てしまいますよ"という警告書の意味合いが強かったと言えるでしょう。

ただその警告も徒労に終わったわけですが。

最後に、以前解き明かした「カゴメ歌」について、もう一度解説しましょう。

かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ?(地方によって歌詞が少々変わるのですが、一番知られた歌詞で読み解きます)

「かごめ」は普通に読めばカゴの目、つまり、「六芒星」のこと。ただ、一番重要なのは、"囲め"であり、"屈め"であるが、正確には、"囲まれている"、"屈められている"ということを示している。実際、鬼は目を隠して中央に座り、その周りを他の子が輪になって歌を歌いながら回るでしょ。つまり、獣と変わらぬ民によって、自由を失った「蛇の力」(知恵の火の神)の存在を示している。

そんな不遇な目に合っている塞神は、いつになったら自由になれるのだろうか?と続く。それも、九宮の中央「五」の位置から解放され出てくるのだから、"いついつ出やる"なんだよ。

「夜明けの晩」とは、封じ込められていた女神が、本来の有り様に戻る時、「飛鳥時代」直前のことであるが、獣民にとっては一番暗い世の中なわけさ。本当の夜明けの前(本当のメシア登場前 - オオトリ)が一番暗いんだよ。

ツルとは「水流」とも書かれるように、言霊的には、下降ベクトルであり、飛べないベクトルなわけ。余談になるけど、千羽鶴なんてものは、物凄い呪いの物体なわけさ。ああ、言霊のわからぬ人々を騙すのはたやすいこと也。

鶴の左側は「寉」ですが、「隹」(ふるとり)が蓋がされた状態です。つまり、古鳥だった(昔は鳥であった)存在が今は自由を失っていると教えているのです。だから、「ツル」なんですよ。意味が深いでしょ。

亀の音たる「カメ」は、案外、上昇ベクトルなんです。

カメはまた、「瓶」を表し、尾骨の最下層に封じ込められている「蛇の力」とその場所を提示しています。

以上のような深くて細かい意味が隠れているのですが、一番の裏の表は、神道の御幣のように、つまり、伏見稲荷の社と門前の狐と同じように、両脇のダウンベクトルが、中央の上昇ベクトルを生み出すというメッセージです。

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最後の"うしろの正面だあれ"は、中央の封じ込められていた「蛇の力」が本当の姿を表すからです。







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