見出し画像

第829回 慣れ慣れしい奴ら!(ドバト15回目)

①https://backnumber.dailyportalz.jp/2010/08/13/b/?r=sbtwより引用の「慣れ慣れしい鳥」のドバトの群れ

   やはり、ドバトも私たちにとっては身近過ぎるくらい身近な野鳥で、いま春夏秋冬一年中見られる野鳥はスズメハシブトガラスハクセキレイと肩を並べる四天王だと思います。鳩の仲間といえば、このドバトに最近街中に進出してきた山鳩ことキジバトと、もう一つは全く身近でないもうひとつの山鳩のアオバトの三種が当たります。その中でもドバトだけは野鳥とは思えない、人に対して慣れ慣れしい所があります。それもそのはずで、ドバトは昔は飼い慣らされた「飼鳥」です。

②https://j-town.net/tokyo/news/localnews/260476.html?p=allより引用のこの程度の数のドバトなら

画像1

   ドバトの歴史は人に馴れやすいため家禽化され、食用や伝令用として利用されたほか、愛玩用の品種も多数作られました。ドバトの原種は「カワラバト」で、本来ヨーロッパ、中央アジア、北アフリカなどの乾燥地帯に生息する野鳥でした。それが日本では伝書鳩やレース鳩として飼われ、完全に野性味を失いましたが、何千㌔も離れた所から帰巣本能が残っていたので、戦争や趣味として重宝されました。しかし、科学や通信の進歩でいつの間にか無用物となり、野に放たれました。

③https://www.google.co.jp/amp/s/rezone.exblog.jp/amp/14548172/より引用の公園で餌をもらうドバトの群れ

画像2

   ③の写真の光景は誰もが良くご覧になる光景で、同じ鳩でもキジバトアオバトは自分で餌を探して食べますが、ドバトだけは人に飼われていた時間が長過ぎて、自分から採餌することが本能から抜け落ちてしまったのです。ドバトが日本にやってきたのは、室町時代に「たうばと(塔鳩)」これに加え、安土桃山時代には「だうばと(堂鳩)」が使われています。「ドバト(土鳩)」という語が登場するのは江戸時代です。実際には原種のカワラバトでもドバトですもいいのです。

④https://www.photolibrary.jp/img718/319113_6083569.htmlより引用のドバトの群れの飛行

画像3

   そんな日本の昔からドバトは生きていくために、昔の人が集まる寺社仏閣に群れをなして人に寄り添うようにして餌をねだっていたのです。ドバトほどいくら人間に身近だとしても、人が集まるその足下まで、擦り寄って、飛び立つこともせず、集まったドバトの群れすべてが、餌を持ってる人やくれそうな人に対して、その人たちの顔色を伺うようにして、餌を食べつつなにかの拍子に、びっくりするようなことが有れば、とっさに群れをなして羽音を立てながら飛び立ちます。

⑤https://townphoto.net/tokyo/m-hachioji1.htmlより引用の夜の駅のホームにたむろするドバト

画像4

   最近ではこんな所にもドバトは現れます。しかも時間は夜だというのに現れて、駅のホームの地面をクチバシでコツコツと突いて、小石や砂粒をついばみ、乗客がスナック菓子やパンなどをくれやしないかと待っています。こんな夜まで時間を費やして餌を求めていることは、非常に餌不足と思えます。かつては増え続けて大量の糞害をもたらしたドバト。人は餌をあげないように注意して、また駅舎はドバトよけの対策を施して、営巣させず、糞害なしにドバトとの共生を図ります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?