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第1207回 闘鶏

①https://sasacebu.com/cockfightより引用の闘鶏

   この世の中には動物愛護を嘲り笑うように生き物同士を闘わし、楽しむスポーツであり余興でもあり、ギャンブル性の高い見世物で、その歴史は古く、市民だけでなく王侯貴族からも広く好まれていました。日本でも、黒毛和牛、日本短角種という種を使った闘牛。ピットブル、土佐闘犬、ブルドッグなどの種を使った闘犬。珍しい所では今は禁止されている毒蛇ハブ対天敵マングースの闘い。そして軍鶏(シャモ)を使った闘鶏があります。シャモは本来は闘鶏専用の品種改良されました。

②https://www.istockphoto.com/jp/ベクター/イギリスビクトリア朝19世紀のコックファイト-gm1224581343-360130912より19世期頃のイギリスの闘鶏

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   ②のイラストはイギリス、ビクトリア朝、19世紀の闘鶏の模様です。コックファイトと呼ばれていました。インダス文明の遺跡からは闘鶏をモチーフとした出土品が見られ、鶏を家禽とした初期の時代から闘鶏が行われていたことが伺われます。日本で闘鶏が始まりは定かでありません。公家から下の庶民の娯楽として、起源が不明なほど古くから行われてきました。最古の記録は八世紀前半に編纂された『日本書紀』で、以後の公家の日記や史書にも闘鶏の記事は数多く見られます。

③https://www.google.co.jp/amp/blog.edayasuo.net/article/453130049.html%3famp=1より引用の闘鶏のカイナレースワン

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  闘鶏は軍鶏のオスを戦わせる競技です。江戸時代のはじめには、タイから軍鶏が輸入されるとさらに盛んになっていきました。しかし庶民の間で賭博の対象とされることが多いです。闘鶏のその歴史はここタイから始まったと言ってもよく、軍鶏の名は、当時のタイの旧名・シャムに由来するといいます。タイのアユッタヤー王朝第19代目ナレースワン大王に因んだものです。きっかけは「カイ・チョン」と呼ばれる闘鶏用品種の一内種で、大王の名に因んだ「カイ・ナレースワン」です。

④https://www.wikiwand.com/ja/軍鶏より引用の闘鶏に使われるシャモ

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   闘鶏は東南アジアにおいても古くから行われてきました。特にタイの軍鶏はその強さで知られていて、元々は賭け事ではなく、喪に服す家族を慰問する行事の一種であるとする見方が存在します。また、タイでは闘鶏の結果を占いに用いており、有名なものとしてアユタヤ朝のナレースワンがビルマと戦争した際に、闘鶏によって戦況を占った例があります。シャモのオス同士を闘争心を持って文字通りの死闘です。東京都を始め、北海道、神奈川県、福井県、石川県の五都道県は禁止。

⑤https://chiikishigen.tokyo/introduction/details/introduction_50.htmlより引用の食用のシャモ

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   沖縄県では、2017年以降、闘鶏で傷つき遺棄されたとみられる軍鶏が多数保護されて、闘鶏を禁止する条例の制定が急務とかしてます。闘鶏としての飼育は下火になったが、食味に優れるためそれ以後も飼育は続けられていました。現在は各地で食用として飼育されています。闘鶏用だったため、勝てない雄は食用へ回されていました。地鶏に比べて大型であるため肉の量が多く、シャモ鍋によってシャモの肉の旨さが認められ、高級食材となります。どちらにせよ人の思うままです。



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