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第1252回 東京の鳥が関わる地名

①https://tokyocup.jp/?pid=15499321より引用の都鳥のユリカモメと都花のソメイヨシノ

②https://www.google.co.jp/amp/s/jinjamemo.com/archives/saginomiyahachimanjinja.html%3famp=1より引用の鷺宮八幡神社 / 東京都中野区

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   ⑴  赤羽(北区)→あかはに赤埴の転化
赤いトキの羽がたくさん落ちていた。という説も
⑵  市谷鷹匠町→いちがやたかじょうまち(新宿区)
鷹匠の役人が居住していた。
⑶  鵜の木→うのき(大田区)
⑷  烏森→(港区)  烏森稲荷神社から
⑸  鷺宮→さぎのみや (中野区)
神社に鷺が多く生息していたので『鷺宮大明神』と呼ばれたことから。

③https://spi-ra.jp/shutoken/79696より引用の「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる巣鴨

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   ⑹  白鷺→しらさぎ (中野区)
⑺  白鳥→しらとり (葛飾区)
昔、白鳥沼があり、徳川家の御鷹狩りの場所。
⑻  巣鴨→すがも (豊島区)
昔は大きな沼がいくつもあって、さまざまな鳥がいて、洲鴨とも書き、「すがも(菅藻)」の意で、川中に生える菅草の一種。多くの鴨が川に生息し、巣を作っていた、という説も。
⑼  鷹ノ巣山→たかのすやま(東京都西多摩郡奥多摩町)  鷹の営巣地。幼鳥を将軍に献上。
⑽  たかの台→(小平市)  尾張家の鷹場があった。

④http://sito.ehoh.net/takabaseido1.htmlより引用の将軍の鷹場

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   (11)  鷹番→たかばん (目黒区)
御鷹場の監視に当たる鷹場番所があった
(12)  鳥越→とりごえ  (台東区)
源頼義が奥州征伐のとき、海が入り込んでいるために対岸へ渡るすべが無い。
やがて水鳥が海を越えていく。それを見て浅瀬を知り、無事軍勢を渡らせることができた。
(13)  鳩ノ巣→はとのす  (西多摩郡奥多摩町棚沢)
1657年の江戸の大火(振り袖火事)で、復興のために奥多摩の山林を伐採し、多摩川を利用して江戸に材木を運んだ。この伐採のための人足寄せ場の一つがこの地にも作られた。寄せ場近くの水神近くの木に鳩が仲睦まじく巣を作った。人々はこの鳩を霊鳥として大事にし、自分たちの安全を祈願した。
(14)  隼町→はやぶさちょう (千代田区)
鷹匠の屋敷があった
(15)  三鷹→みたか (三鷹市)  御三家の鷹場
かつて世田谷、府中、野方の三領に属する鷹場村だった。
御鷹場(みたかば)と言っていたのが三鷹に転じた。

⑤https://www.travel.co.jp/guide/article/32520/より引用の豊島区目白不動尊

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   (16)  連雀→れんじゃく (三鷹市)
連尺。(背負い梯子などのこと)  また、これを背負って物を運ぶ人。行商木枠の左右の下端が鳥のレンジャクの尾に似るという説も。
江戸時代、神田に行商が多く住む連雀町があったが、大火により、現在の場所に移住させられた。
(17)  早稲田鶴巻町→わせだつるまきちょう (新宿区)  元は鶴牧で、鶴の放し飼いのための鶴番を置いていた。鶴の飛来記録あり。
湧き水(水流 つる)が渦巻いていたという説も。
(18)  鶯谷→(台東区)  鴬谷という地名は無い。
寛永寺の一品法親王が、上野付近の鶯の音色が江戸訛りで聞き苦しいというので京都の鶯を運んで品種改良をした。『初音の森』とも呼ばれ、鶯の鳴く名勝地となった。今の鶯谷駅から1km以上離れていて、むしろ日暮里駅に近い。
(19)目黒→(品川区)  眼の黒い不動尊にちなむ。
(20)目白→(豊島区)  目白不動のある場所

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