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第2047回 変わりゆく鳥の環境 ⑴

①https://www.photolibrary.jp/img386/193143_3662289.htmlより引用の鳥の環境のイメージイラスト

   自然との共存を考えて、人間はこれまでの破壊型環境開発をやめ、樹木などの緑を開発地に取り入れたり致しまして、鳥類や哺乳類、爬虫類、両生類、魚介類、昆虫類に至る生き物との融合を目指した都市づくりを目指しています。街中のまんなかに高層ビルが建ち、その屋上が草木や樹木をいっぱい植えたり、人工の小川のせせらぎを再現したりして、初夏にホタルを放ってみたり、何とか人も生き物も喜べる空間を演出してみたいなと。しかし植林も大変ですが、昔の風景は重要です。

②-1.https://icotto.jp/presses/10150より引用の田舎の風景のイラスト

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②-2.https://www.ac-illust.com/main/search_result.php?word=%E7%94%B0%E6%A4%8D%E3%81%88より引用の田畑の風景のイラスト

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   ②-1.のイラストのような昔の田園風景や②-2.のイラストの田植えなど、昔の自然豊かな環境が少なくなってきた証拠に、春に生まれ故郷の日本に帰ってきますツバメの数が減りました。ウグイスと共に春告鳥の異名を持っていますヒバリの姿も最近では見なくなりました。またセキレイの仲間の中でも、最も清流好きなキセキレイも姿をみせません。ちょっと足を伸ばして山里に行きましたら、ハトやノネズミを狩っていた猛禽類のサシバも見かけなくなりました。色んなところで、昔と比べて、いくつかの鳥が減少したり、消えたり…

③-1.https://shikabee.com/niyunaisuzume/より引用のニュウナイスズメのつがい(左がメス、右がオス共に体長約14㌢)

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③-2.https://www.birdfan.net/2019/07/05/71986/より引用の小さな群れで行動するハシボソガラス(体長約50㌢)

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   昔のこととはいうものの、いま私たちに身近なスズメはもともと日本の鳥ではなく、はるか昔、稲作が日本にやってきたのにあわせアフリカ大陸からやってきたという説が有力です。日本に稲作と一緒に、五千年から六千年以上も前に日本にやってきました。当時の日本でやはり民家の近くに生息していましたのが③-1.の写真のニュウナイスズメでした。そんな環境の中に外来のスズメが割り込んできまして、自分より身体の大きなスズメに結果して、追いやられることになり、森林へと退去せざるを得なかったのです。③-2.の写真は今ではハシブトガラスと並んで身近なカラスのひとつのハシボソガラスです。ニュウナイスズメスズメに追いやられ、森林へと逃げこみ、渡鳥となりましたが、ハシボソガラスは今から約五十数年前までは街中に現れる不気味で縁起の悪いカラスの名称はハシボソガラスでした。現れて「カァー」と鳴けば死人がでるとか言われました。ところが前回の大阪万博前くらいから、家庭ゴミをポリ袋に入れてゴミ出しするようになりましたら、山里の森林に住んでいましたハシブトガラスが街中にその彼らにとってご馳走の入ったゴミ袋の中を求め、活動場所を街中に定着し、ハシボソガラスは郊外の田園地帯に活路を見出し、今に至ります。

④https://www.birdfan.net/2018/11/02/65848/より引用の天然記念物のトキ(体長約76.5㌢)

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   国の特別天然記念物トキが2008年9月に新潟県佐渡市で初めて放鳥されて10年が過ぎました。トキが住みやすい環境を整備したこともあり、野生下に生息する個体数は推定約370羽にまで復活しましたが、しかし遺伝的に近いため抵抗力の弱さが指摘されるほか、農業への被害も出ており、住民との共生という課題もあります。トキは日本を含む東アジア一帯に生息していましたが、とき色と表される薄桃色の美しい羽根が装飾品に利用されたり、稲を踏み荒らしたりしたため乱獲されて激減し、日本産は03年にメスのキンが死に絶滅しました。環境省はトキの保護増殖のため、絶滅前の1999年に中国から提供されたつがいから佐渡トキ保護センターで個体を増やし、08年に野生下への放鳥を始め、人工的な人による増殖の有様です。

⑤-1.http://jjb-3.asablo.jp/blog/2019/02/17/9037047より引用のつがいのヒヨドリ(右がオス、左がメス共に体長約27㌢)

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⑤-2.https://ameblo.jp/cl-020464/entry-10222604555.htmlより引用のつがいのムクドリ(右がオス、左がメス共に体長約24㌢)

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   環境が目覚ましく変化して、減少傾向になるもの、また絶滅したり、人の手で蘇らそうとされているもの。そんな状況を見据えて、街中に活路を見いだすものがあり、近年に街中に進出してきた鳥たちが繁殖数を増やしたり、現状維持を保ったりしています。そんな代表的な存在が⑤-1.の写真のヒヨドリと⑤-2.の写真のムクドリだと思います。60年代当時のヒヨドリは、10月くらいになると北方、または山のほうから飛んできてひと冬を過ごし、4月ごろになるといなくなる典型的な冬鳥でした。それがハシブトガラスと同じように70年代に街中に進出の留鳥ヒヨドリと、まだまだ国内での渡りをする漂鳥ヒヨドリに分かれます。やはりその時期にはムクドリも低地の平野や低山地にかけて広く生息し、都市部などの人家付近や田畑などでもよく見られます。ヒヨドリ同様に寒冷地のものは越冬のため南下する形態の二分化です。

⑥-1.http://www.tori-monogatari.com/story_detail.php?pSid=5より引用のつがいのキジバト(左がメス、右がオス共に体長約33㌢)

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⑥-2.https://www.birdfan.net/2015/04/17/34412/より引用のつがいのハクセキレイ(手前がメス、奥がオス共に体長約21㌢)

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⑥-3.http://opipo.blog.fc2.com/blog-entry-139.htmlより引用のつがいのイソヒヨドリ(左がオス、右がメス共に体長約25㌢)

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   上記の三種の鳥たちも街中に進出しました。この中で一番早くやって来ましたのは、⑥-1.の写真のキジバトです。80年代に別名のヤマバトよろしく山から郊外、郊外から街中へと生息環境が変化しました。⑥-2.の写真のハクセキレイは川沿いに生息しているセグロセキレイキセキレイと共に水辺の鳥でしたが、ハクセキレイは1950年代には北海道から北東北の海沿いにしかいませんでした。その後南下と、川沿いに内陸へ侵入していき、今では近畿から中国地方でも繁殖しています。それが最近では、水辺から街中のコンビニ駐車場に移行しています。そして2000年代に入ると⑥-3.の写真のイソヒヨドリが街中に進出です。日本ではこの鳥はその名の通り、海辺の磯に住むヒヨドリにメスが似ていることからこの名前がつきました。今では人工物のビルやマンションに営巣します。また紹介させて頂いた三種は、すべてが街中に進出したわけではなく、以前の生息地に留まっている個体群もあり、様々な生息になりました。

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