見出し画像

第928回 仏法僧とブッポウソウ

①https://note.com/hiho2351/n/ne308a1532f73より引用の「仏法僧」と鳴くコノハズク(体長約20㌢)

   私がブッポウソウに出会うとすれば、近畿の霊山である高野山が思い浮かびます。ブッポウソウは夏鳥で、高山の森林に現れ、カワセミ同様に構造色の青い雌雄同色の綺麗な野鳥です。また同じく夏鳥のコノハズクこそ「ブッポウソウ」と鳴く影の『仏法僧』ですが、時期も同じく夏のことで、昼間でも薄暗い森林で、夕方以降に「ブッポウソウ」と鳴いた時には姿は知れず、昼間に薄暗いところで、勘違いながらその泣き声主を想像して、神秘な美しさのブッポウソウを定めました。

②https://note.com/hiho2351/n/ne308a1532f73より引用の「ブッポウソウ」と鳴くとされたブッポウソウ(体長約29㌢)

画像1

   昔の文献でも、835年の性霊集で「閑林独坐草堂暁 三宝之声一聞 一鳥有声人有心 声心雲水倶了了」(静かな林で暁に三宝の声を一鳥に聞くとき、その鳥の声は人の心に響き、空をゆく雲も川を流れる水も、すっきりと明了である)。この詩により仏法僧と鳴く鳥の存在が広く知られ「仏法僧鳥」「三宝鳥」と呼ばれました。918年躬恒集は
凡河内躬恒が左大臣の家を訪ねたさい、仏法僧と鳴く声御聞いたので、「足曳の山に住むらんこの鳥は妙にやは鳴く…  山に住み希に聞こゆる鳥なれど… いかでか鳥のかねて知りけん」と詠むと、左大臣が「法を思う心深く入りぬれば、さくとも鳥に耳ぞありけん」と詠みました。

③https://ja.ukiyo-e.org/image/jaodb/Keishu_Takeuchi-No_Series-Ben_No_Naiji-00038149-050805-F12より引用の辯内侍日記(二月五日)を記した藤原信実の娘にあたる鎌倉時代の女流詩人の弁内侍

画像2

   ③の日本画の女流詩人の弁内侍は、1249年に辯内侍日記(二月五日)の中で「佛法僧となくとり…  すがたはひえどりのやうにて、いますこしおほきなり」(ヒヨドリに似て、少し大きい)と詠み、まだこの頃の二月五日にはブッポウソウコノハズクも登場もしていません。また1672年の通念集では
「雄『佛法』と鳴けば、雌『僧』と声をあわすなりとしています。④の狩野常信の鳥写生図巻の一部の「仏法僧」はやはり、この頃も声と印象だけで、ブッポウソウコノハズクではありません。

④http://www.photo-make.jp/hm_2/bird_jyousen.htmlより引用の狩野常信 鳥写生図巻の一部の「仏法僧」

画像3

   1772年には嗚呼矣草の「究て梟の類に決すべし」1794年禽譜(仏法僧の絵はブッポウソウ)  1809年 紀伊国名所図会では雌雄同色のことが、1777~1887 倭訓栞は「大きさはひえどりより小なり。背は萌黄なり。羽先黒を交え、嘴赤く太く、足も明かし。爪前に二つ後ろに二つありて夜陰に雄『佛法』と鳴き、雌『僧』と鳴くなり」ブッポウソウコノハズクなど混乱。人から聞いた情報が混ざっています。他には1833年茅窓漫録、
「形鳩に似て目大に青色嘴赤黄を帯び目の左右の
1925 民俗学者早川孝太郎 雑誌「民俗」でも、これまで語られてきた言い伝えを紹介しています。

⑤https://ja.m.wikipedia.org/wiki/黒田長礼より引用の「仏法僧」と鳴くのはコノハズクと知らしめた鳥類学者の黒田長禮

画像4

   1.ブッポウソウと2.コノハズクは共に季節は夏で、二種とも昆虫食。営巣も樹洞、生息環境も神社、仏閣のある高山と、違いは垂直分布が1.低~中か、2.中~高で、鳴き声は1.昼間に「ゲッ 」2.夜間に「ブッポウソウ」姿は1.美しく、霊鳥にふさわしい  2.美しくないとなります。それが鳥類学者の黒田長禮によって、1935 6月7日、ラジオで仏法僧の声を放送し、そのラジオ放送を聞いた飼い鳥が、仏法僧と鳴き、その飼い鳥を鳥類学者の黒田長禮が借り受け、6月12日 飼い鳥が仏法僧と鳴き、仏法僧と鳴くのはコノハズクと判明。6月12日 山梨県河口村の中村幸雄氏、仏法僧と鳴く鳥を撃ち落し、コノハズクと判明しました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?